第51話 「天使」は、感染に気づいた
12月2日 金曜日 16時40分
私立祐久高等学校 保健室
#Voice :
広田くんは、あのあと眠ってしまった。精神がずっと張りつめていたんだと思うよ。よほど疲れていたんだろうね。
結局、午後の授業はすべて保健室でお休み。
私が、広田くんを起こしたのは、ホームルームも終わった後だった。
やっと気持ちが落ち着いた様子の広田くんを、校門まで見送った。お家に帰った方が、学校にいるよりも安全だと思うからね。
えっと、ね。
私が、「キュービットさん」に感染していることに気づいたのは、つい、おとついのことなの。だから、広田くんがあんなに怯えている理由も理解できたんだ。
◆ 回想 ◆
11月30日 水曜日 17時25分
私立祐久高等学校 保健室
#Voice :
それは、おとついの午後のこと。
1年生の萩谷さんが、クラスメイトの緋羽ちゃんに付き添われて、放課後に保健室に来たんだ。直前に、生徒会LINEグループで、萩谷さんがシャワー室で何者かに縫い針で刺されたって、情報が回っていた。
小さな縫い針だけど、心配だったから、保健室に来るようにLINEでメッセージを送ったの。
「うわぁ、これは、痛いわ」
萩谷さんは、ハンカチに包んだ縫い針を見せてくれた。
メリケン針の4号だと思う。厚地の生地を縫うのに使う太くて長い針だった。
傷口はきれいだったけど、手当てした。
「どうする? 先生に襲われたこと、私から伝えようか?」
戸惑いながら尋ねた。萩谷さんの気持ちの問題もあるから、直ちに先生方に伝えるのは、ちょっと迷った。ただでさえ、連日の凶事で、学校内は不安と不信が渦巻いている。シャワー室っていう状況もデリケートなので迷ったの。
「大丈夫です。問題ありませんから」
萩谷さんは、平気な顔をしていた。
「キミは強いなぁ。でも、何かあったら、すぐ、連絡するんだよ」
関心した。だから、とりあえず、様子見にしたのだけど…… 判断はすごく迷ったの。また、襲われたらどうしようか? そんな不安もあったから。
でも、萩谷さんは、平気な顔をしていた。
結局、萩谷さんたちをそのまま見送った。
そのすぐ後、保健室の内線電話が鳴ったの。
電話に出ると、担任の高梁先生から、生徒指導室に来てほしいという呼び出しだった。
◆ ◆
11月30日 水曜日 17時40分
私立祐久高等学校 生徒指導室
#Voice :
生徒指導室では、担任の高梁先生が渋い顔をして待っていた。
「お願いがあるんだ」
「はい」
「教室に来てくれ。どうしても卒業してもらわないと、困るんだ」
「はい?」
私の頭は、急に靄がかかったような感じになる。教室に行かなきゃ…… って思うと、なぜか、急に頭の中がモヤだらけになって、行きたくなくなる。
教室なんて行かなくても問題ないよ。
ずっと保健室にいようよ。
そんな声が頭の中で歌い始める。
だから、私は…… ぼんやりと先生の訴えを聞いていた。
小首をかしげる。
高梁先生は、苦り切った顔をしていた。
「保健室に棲むのをダメとはいわない。とにかく出席日数をクリアしてくれといっているんだ。頼む。俺を救うと思って話を聞いてくれ」
高梁先生が私を拝んだ。
「あれ? 私が、先生を救うのですか?」
「そうだ。菅生、キミしか先生を救うことはできない。頼む」
「救う」という言葉を聞いたら…… 私の中で、何かが弾けた。
「あっ……!」
みんなを救いたい。それが私の願いだった。何度も否定されても、繰り返し陰惨な願い事を言えと求められても、私の中にある本当の気持ちは、みんなを救いたい。みんなが幸せになってほしい。それだけだった。
「あれ……?」
高梁先生が、急に様子が変になった私を見て、ちょっと驚いた顔をしていた。
そういう私も驚いている。これでも、私は驚いているの!
「ありゃあ?」
変な声が出た。
「おい…… 菅生、どうした?」
高梁先生が心配そうな顔になった。
私は―― たぶん、30秒間くらい、ぼーと宙を見詰めて、変な声を出していた…… ような気がする。
そして、やっと、頭の中の靄が晴れてきた。
色んな記憶が一斉に駆け戻って来て、頭の中で繋がった。
「あ、これは、まずいことになってるぞ」
私は、私がいま置かれている状況を、この瞬間に、約1か月ぶりに理解した。
そう、私は、この瞬間に、目が覚めたんだ。
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