第4章 サーカスは終わったと思った? まだ、だよ。
第50話 保健室の天井
12月2日 金曜日 13時10分
私立祐久高等学校 保健室
#Voice :
祐久生徒会保健委員長にて、保健室の「天使」こと、菅生先輩に助けられた。僕は、屋上で突然、死にたいと思ってしまったんだ。
泣き震える僕を、菅生先輩は励ましながら、保健室まで連れて来てくれた。
そして、いま、僕は、保健室の天井をぼんやり眺めながら、ベッドに仰向けになっていた。記憶が戻るにつれて、「死にたい」と考えてしまったこと自体に、恐怖を感じた。僕は、やはり僕じゃないのか? それとも罪の重圧に耐えられずに死にたいと願ったのが―― 臆病な本当の僕なのか?
「えっと、広田くんは少し具合が良くないみたいだから、5時間目はここでお休みしてもらいます。先生に、これを渡してね」
「はい」
菅生先輩が、欠席届を書いて、クラスの保健委員に手渡したらしい。
真っ白なカーテンに囲われた空間で、そんなやり取りを聞いていた。
しばらくして、カーテンが捲られた。
「どう、少しは気持ちが落ち着いたかな?」
菅生先輩の声がした。
僕は、声も出せずに、沈黙していた。
「うん?」
菅生先輩が、小さく小首をかしげてみせた。
「何があったの? 話した方がきっと楽になれるよ」
僕は、救われたと…… 思いたかったんだ。
だから、菅生先輩に話すことにした。
◇ ◇
12月2日 金曜日 13時40分
私立祐久高等学校 保健室
#Voice :
僕は、初めて「キュービットさん」をしたあの夜からのことを話した。
学校のサーバー室のセキュリティーキーカードを、盗んでしまったこと。
「キュービットさん」のシステム改修をしたこと。
恐ろしい儀式を行い、萩谷を襲ったこと。
罪悪感と恐怖で、死にたいと思ったこと。
全部を話したんだ。
「そっか、大変だったね。でも、キミは頑張っているよ」
菅生先輩は、柔らかく微笑んでいる。
「天使」と菅生先輩が、学園内の生徒たちから慕われる理由だ。
◇ ◇
しかし、僕には、菅生先輩に聞かなくてはいけないことがあるんだ。
あの日、野入に誘われて、初めて「キュービットさん」をした日、11月8日、火曜日21時55分頃、不法侵入したパソコン室で、僕は萩谷のタブレットパソコンの中を勝手に閲覧していた。
萩谷の水着姿も、中学生時代の写真も、パソコン室で画面に大写しで見ている最中だった。
そこに、ふいに、菅生先輩が現れたんだ。
菅生先輩が、夜遅くにパソコン室に現れた理由なら知っている。菅生先輩は、ずっと保健室にいる。ときには、夜間も保健室にいて、保健室で寝泊まりしていることさえあるらしい。
保健室の「天使」は、保健室の主でもあるんだ。
結果、留年するらしいと、うわさ話を聞いていた。
「パソコン室の窓から明かりが漏れていたから、気になって見に来たんだけど」
と、菅生先輩は笑った。
恥ずかしい犯行現場を見られたんだ。
僕は、当惑の末に、菅生先輩にすべてを放り投げて、その場から逃げ出した。
あのあと、菅生先輩はどうしたんだ?
萩谷のタブレットパソコンは、どこにあるんだ?
学校のサーバーが、乗っ取られているのは…… あのとき、僕がファイルサーバーに保存した「キュービットさん」のインストールファイルを実行してしまったのは?
僕は、いま、あの犯行の夜を思い出して、恐怖している。
僕がしでかしたことの深刻な結果が、いま、僕を優しく見つめて笑っている。
そんな気がした。
菅生先輩も、「キュービットさん」に感染しているのか?
保健室の「天使」を感染させた原因者は、僕なのか?
◇ ◇
怯えた瞳から、僕の想いを察してくれたらしい。
菅生先輩は、微かに微笑みながらに話し始めた。
「キミが心配していることを言いあててあげようか」
僕は、心臓の高鳴る音を聞いていた。
「萩谷さんのタブレットパソコンは、ここにあるよ」
え?
「この保健室にあるよ。電源もつないであるし、通信回線も接続してあるよ」
「そんな、あれは……」
「『キュービットさん』でしょ。危険なアプリが走っているから……」
菅生先輩が、ゆっくりあの呪いのアプリの名前をしゃべった。
「知っているなら、どうして、電源を落とさないんですか?」
僕は祈るように問い返した。
「いま電源を落としたら、キミたちを元に戻せなくなるよ」
え!?
「いま、キミたちは『キュービットさん』から、催眠という呪いを受けているの。だから、キミは自分の意思とは無関係にとんでもないことをしてしまった。だけど、キミたちの呪いを解いて、催眠状態から解放するには、あのタブレットが持っている記憶が必要なの」
「そんな…… うそだ」
思わず漏らした僕の声は、自分でも驚いたほどに怯えていた。
「残念だけど、本当」
「キミたちの心は、捧げられてしまったの。システムをメンテナンスしたなら、気づいたかな? 『キュービットさん』は、ユーザーの心を奪い、学校の儀式用サーバーを経由して、最後はどこか遠くの上位呪術サーバーに送ってしまうの」
菅生先輩は、まるで死の瞬間にお迎えに来る「天使」のように、微笑んでいる。
「いやだ。そんなこと……」
「大丈夫だよ。私がそんなことさせないから」
「えっ?」
「まだ、ここにあるよ。キミたちの心は、あのタブレットパソコンのメインメモリーの中に残っているよ。でも、メインメモリーは、電源を落とすと消えてしまうから」
僕は、菅生先輩の柔らかい声に救いを感じていたんだ。
だけど…… 気づいてしまったんだ。
なぜ、菅生先輩は「キュービットさん」について、こんなに詳しく知っているのか? 僕は操られて、キュービットさんのメンテナンスをした。だから、システムについて、教示された範囲で理解している。
でも、菅生先輩は、どうして…… 知っているんだ?
「うん? キミは心配しなくってもいいんだよ。少し眠ってみようか。そうしたら、気持ちが落ち着くから……」
僕は、もう、わかってしまったんだ。
でも、保健室の「天使」、菅生先輩は全部を呑み込んで、優しく笑ってくれた。
たとえどんなに卑怯だとしても、僕は、救われたんだ。
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