第49話 僕が犯した儀式


  ◆ 回想 ◆



11月30日 水曜日 0時01分

祐久市内 広田鏡司の自宅


 僕は「キュービットさん」のメンテナンス要員にされた。

 だけど、僕だけに観客席が用意されるなんてことは、ない。


『Curses Circus Qubit ! (カーサス サーカス キュービット)

 あなたを置き去りにした萩谷瑠梨が憎いなら、呪いなさい。

 儀式の方法を伝えます……』


 SMSが僕にも届いた。

 そう、僕も呪いのサーカスに引き出されて、火の輪くぐりや玉乗りをさせられる見世物の猛獣に過ぎないんだ、悟った。

 

 僕と同じいじめられっ子だったはずの萩谷は、いまやクラスの友達の輪に暖かく迎え入れられている。僕だけが惨めに、孤独と絶望の泥沼に打ち捨てられている。


 僕を捨て去った萩谷を恨むべきだ。


 僕は、こんなネガティブなことを願う僕は、本当に僕なのか?


 深夜に僕は、気持ちの悪い儀式をしていた。

 小学校の頃に使った埃をかぶったお裁縫箱を引っ張り出して、縫い針を取り出した。SMSで伝えられる儀式の方法は単純だが、異常だった。 


 でも、僕はやってしまったんだ。


 縫い針をライターであぶって焼いた。

 焼いた縫い針を僕は、僕自身の身体に深く刺した。

 刺した場所は、左手の掌。

 分厚い僕の掌の肉の中に、縫い針をすべて埋まるまで深く刺した。

 痛みは不思議となくて、異常な高揚感が僕の中を支配した。


 針を左手に刺したまま眠った。

 翌朝も、登校してからも、授業中も…… 僕は左手の中に、狂気と凶器を隠し持っていた。



 ◆ 回想 ◆ 


 

11月30日 水曜日 17時15分

私立祐久高等学校 屋内プール機械室


 学校のサーバーに侵入した結果、僕は、学校施設の詳細な建築図面を手に入れていた。だから、屋内プールの裏にある機械室の存在に気づいた。


「ここからなら、萩谷に手が届く」


 いじめられっ子だった僕は、つい先週までいじめられっ子だった萩谷のことをいつも見ていた。萩谷がときどき水泳部に泳ぎに来ることも知っていた。


 今日だって、教室で、飯野緋羽たちの友達グループで談笑する様子も見ていた。

 萩谷が緋羽と弓道場で待ち合わせしたことも、その前に水泳部の練習に立ち寄ることも、聞こえていた。僕は、萩谷の声に耳を澄ましていた。


 だから、容易に萩谷の行動が予測できた。

 弓道場で緋羽が待っている。

 その待ち合わせ時間から逆算すると……


 待ったのはわずか数分だ。

 予想どおり、萩谷はシャワー室に現れた。

 流れる水音でわかった。シャワー室へとつながる配管は、僕が侵入した機械室のボイラーから供給されている。配管を流れる水の音で、いま萩谷がどのシャワー室を使っているかもわかった。


 萩谷瑠梨がいま、そこにいる。

 僕の手が届く位置にいる。


 学校の建築図面を見て気づいたんだ。

 シャワー室と、僕が潜む機械室とを隔てる壁の厚みは、コンクリートの壁とシャワー室の内装パネルを合わせても、20センチしかない。僕の腕の長さよりも短い。


 僕の左手は、焼いた針の宿した呪いにより、壁を突き抜けることができた。

 原理はわからない。

 針で貫いた左手には、壁を貫く呪いの力が宿されていた。

 呪いの力に操られる僕は、こんな空恐ろしい儀式にも疑問を持たないんだ。


 まるで幽霊のように、僕の左手は壁を抜けて、シャワー室の中へ侵入した。

 萩谷はシャンプーの途中らしかった。

 しかし、目を閉じたままなのに気配に気づいて、振り向いた。


 眼を閉じているのは、きっと、幸せだった。

 なぜなら、シャワー室の壁から僕の黒い腕がにょきりと伸びているのを見たら、あまりの気持ち悪さが、きっとトラウマとして残っただろうから。


 だが、僕は、僕じゃなかった。

 左手の掌に差し込んでいた縫い針を抜いて――

 僕の気配に気づいて、振り返った萩谷の胸に向けて振り下ろした。


 悲鳴は聞こえなかった。

 だけど、僕は…… またしても、決定的で絶望的な瞬間を委ねられていた。


 そうなんだ。

 こんな恐ろしい犯行の直後に、僕はまた、僕が僕だったことを思い出して、恐怖と戸惑いと途方に暮れていた。麻痺していた左手の痛覚も戻っていた。針で奥深くまで刺したら痛いに決まっている。


 僕は傷の痛みと、恐ろしいことをした恐怖とを抱いて、機械室から逃げ出した。



 ◇  ◇



12月2日 金曜日 12時35分

私立祐久高等学校 屋上


#Voice :広田ひろた 鏡司きょうじ


 僕の回想は、後悔と恐怖と戸惑いで真っ暗だ。

 僕は、どうしたらいいんだろう。


「死にたい」


 いずれ学年主任の先生からサーバー室のセキュリティキーを盗んだ犯人が、僕だと知られるだろう。サーバーが異常な呪いのプログラムに乗っ取られていることも、露見するときが来る。

 僕が、萩谷瑠梨を襲った犯人だということも、いずれバレるだろう。


 いや、その前に、僕は、僕じゃない僕は、また、僕に恐ろしいことをさせるだろう。もう、僕は生きていたら、いけない人間になってしまったんだ。


「死のう。もう、それしか選択肢は残されていない」


 僕は、屋上フェンスに歩み寄り、登り始めた。


 だけど……


「ダメだよ。そんなことは、絶対ダメだってば」

 背後で「天使」の声が僕を呼び止めた。


 振り向いた。

 「天使」が優しげに微笑んでいた。

 よじ登りかけた屋上のフェンスから、ずるずると降りた。

 情けないと思った。


 でも、どんなに惨めで情けなくっても……

 僕は、また、「天使」に救われたんだと思いたかった。

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