第7話 感染する呪いの儀式

11月8日 火曜日 17時50分

私立祐久高等学校 弓道場 


#Voice :名倉なくら 葦之あしゆき


 先輩たちが帰った後、1年生だけで弓道場の片づけ清掃をした。多少の不満はあるが、進学校である祐久高校では、2年生3年生は学業を優先と決められていた。

 学業優先で、部活動を両立するとなると、まあ必然的にこうなるというわけだ。

 ひと足先に下校した先輩方は、塾通いをしているらしい。


 片付けが終わり、帰ろうとして―― 通学バックに突っ込んだ、あの紙袋が気になった。アパレル関係? 何かのブランドなのか解らないが、小綺麗なデザインの紙袋だ。

 

「何よ、それ」

 背中から声が笑った。

緋羽ひわ、いや、その、これは、ちょっと、籠川かごかわさんから預かったんだ」

 からかわれた気がして、慌てて弁解した。こんなブランド物の紙袋なんて、僕には似つかわしくない。恥ずかしい気がした。


「籠川さんから…… ですか」


 緋羽の声のトーンが下がった。

「もしかして、プレゼントとか、何か?」

 飯野いいの 緋羽ひわと僕は、小学校以来の仲間だ。自宅もそれなりに近く、登下校も一緒のことが多い。

 僕と緋羽は、祐久高校では少数派の県外登校組だ。電車もバスも毎日、同じ。教室でも一緒だ。こうなると、もう腐れ縁というやつかも知れない。


 とはいえ、他の生徒の眼がある。仲良く手を繋いで登下校なんてありえない。同じバスに乗っていても、微妙に距離を取っていた。

 緋羽は、僕ともっと近くで一緒にいたいみたいだけど、僕にだってやりたいことは他にもある。


 それに、緋羽は、独占欲が丸出しだ。

 籠川の名前を聞いたとたん、目つきが変わった。

 僕の言葉は自然と弁解口調になる。こんな関係には少し疲れていた。


「 いや、預かっただけだって」

「本当に? 何が入っているの?」

「中身を見るなって言われているんだけど……」

 緋羽がむっと、むくれた。サラサラの黒髪ポニーテールが覗き込んでくる。


「うそっぽい」

「いや、ちがう。本当に―― 『もしも見たら安全は保障できない』と、籠川さんから言い含められていて……」

 緋羽の様子が、ますます剣呑になった。


「あの、がそう言ったの?」

 え……? 緋羽が忌々しそうに、籠川さんのことを吐き捨てた。

 緋羽は、僕に対して、結構な独占欲がある。僕だって、それくらいは気づいていた。窮屈でもあるけど、緋羽は可愛いから、あいまいにして来たけど。

 しかし、籠川さんのことを、しげにいうのは、ちょっと嫌だな。 

 

「貸してください」

 緋羽が、僕の手から、紙袋をかすめ取った。

 戸惑う様子もなくさっさと開封してしまう。


「Windowsのタブレットパソコン? だよな?」

 紙袋の中身は、女の子の秘密とは程遠い。なんで、籠川さんは、僕にこんなものを預けたのか? 全く見当がつかなかった。


「これ、萩谷はぎやさんのお絵描きタブレットじゃないの?」


 緋羽がため息混じりにいう。

 確かに、萩谷はタブレットパソコンを持ち歩いていた。萩谷は、ハブられているから、昼休みにひとりで絵を描いている。

 萩谷のことは嫌いじゃない。成績も良いし、礼儀正しいし、何よりもあの容姿だ。小柄だが、ブラウスの胸元は意外とある感じなのだ。


 そして、萩谷は水泳部に所属していた。

 水泳部の奴らから聞いたところによると、泳ぎも上手いらしい。

 僕も水泳が苦手でなければ、萩谷はぎやのスタイルを拝めるのか…… そう、思ったね。


「なによ、これ、おもしろく、ない」

 緋羽が、ぷいと横を向いた。


 そのとき、緋羽の指先がタブレットのボタンに触れたらしい。

 ふいに、タブレットの画面に灯が入り、何かのアプリが起動した。


「なんだ、これ……?」



 ◇  ◇



11月8日 火曜日 18時40分

私立祐久高等学校 弓道場 


#Voice :名倉なくら 葦之あしゆき


 下校時間のチャイムが校庭に鳴り響いた。

 僕は、ぼうとしていた意識を取り戻した。

「下校時間のチャイム? あれ、いつの間にこんな時間に?」


「あれ? あたし、いまなんで?」

 緋羽もサラサラの黒髪を振って、そして小首をかしげた。

 僕も首をひねった。

 確か、籠川さんから預かった紙袋を緋羽が勝手に開けて…… そうだ。萩谷はぎやのタブレットが起動して…… それから、どうしたんだっけ? 


「あたし、籠川さんも、萩谷はぎやさんも好きじゃない……」


 ふいに、緋羽がいう。瞳が赤らんでいる。

「これ、あたしが萩谷はぎやさんに返すから」

 タブレットを抱いて、緋羽が瞳を潤ませていう。


「あたし、葦之あしゆきのこと、好きだよ。クラスの誰よりも―― それなのに…… どうして…… おかしいよ」


 緋羽の様子がおかしかった。

 こんなことを急に言い出すなんて…… 緋羽が明確に口に出して、僕に向かって「好き」と言うのは、いままでなかった。言わなくても、気持ちが通じている。そんな関係だったはずだ。


 小学校で出会って以来、いつも一緒の時間を過ごしてきた。

 でも、それは永遠じゃない。幼馴染だとしても、高校を卒業したら、次は、きっと、それぞれの道を歩むことになるはずだと、僕は思っていた。

 僕たちはいつまでも子供ではいられない。

 幼馴染の関係はいつか終わる。

 僕たちには、新しい世界や、新しい出会いが必要だ。


 だから、緋羽との幼馴染の関係にも、終わりがあるはずなんだ。

 少なくとも、僕はわかっているつもりだった。

 緋羽も、高校卒業までには変わると、大雑把に信じていた。


 それなのに……

 僕は戸惑いを言葉にしてしまった。


「緋羽、『好き』なんて恥ずかしいこと、なんで、急に、何を言いだして……?」


 僕の無神経な言葉が、きっと、緋羽を傷つけた。

 緋羽の顔が、耳まで赤く染まる。


葦之あしゆきのバカ、バカ、バカ…… あたしがどんな気持ちなのか知らないで、…… あんたみたいなバカもう知らない。死んじゃえっ!」

 緋羽は、タブレットを胸元に抱えたまま、喚き散らした。

 一瞬、ぽうとタブレットを押し当てているブラウスの胸元が光った…… ような気がした。でも、一瞬だったから、見間違いかも知れない。


 そして、緋羽は、ブランド物の派手な紙袋にタブレットを放り込んで、荷物と一緒に抱えて駆け出した。


 弓道場に置き去りにされた僕は、仕方なく緋羽のうしろ姿を見送った。


 これが、僕と緋羽が一緒に過ごした最後の時間になるなんて、僕は…… そのとき何もわかってなかった。

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