第17話 学校が建てられる場所にまつわる噂話

11月16日 水曜日 17時30分

鈴守神社 社務所


#Voice :鹿乗かのり 玲司れいじ


「鹿乗くん、うちの学校の怪談って―― 聞いたこと、ある?」

「少しくらいは……」


 俺は、あいまいに応えた。

 正直にいって、戸惑っている。

 怪奇現象としか言いようのない猟奇殺人事件が、学校で連続した。

 現場を撮影したビデオのデータを復元してしまった。

 刑事にまで、胡散臭い眼で見られた。

 これ以上は、関わり合いになりたくない。

 俺は、ごく当然の高校生生活を求めていた。


 しかし―― 星崎先輩の黒い瞳が、俺に現実を見よと迫っているかのように、見据えている。


 俺は、この瞬間まで無視してきたことを思い出した。

 いや、中学生の頃、進学先を検討する段階から、知っていたし、バカバカしいと無視してきた。


 私立祐久高校は、いわくつきの土地に建設されていた―― その事実を。

 

 日本史の常識だから、説明するまでもないが…… 学校とは、明治時代に学制が施行されて以後に作られた。 

 また、戦後は人口増加や進学率の向上から、多くの高等学校が新設されている。


 しかし、学校は市街地近郊にまとまった用地を必要とする。

 したがい、学校の建っている場所は、もともとが墓地だったとか、刑場だったとか…… そんな噂話が絶えない。


 我が、祐久高校も例外ではない。

 江戸時代にあって明治時代には必要ないモノ。つまり江戸時代までお城だった場所に、現在の祐久高校はある。


「祖父から借りたものだけど、これを見てほしいの」

 すっと差し出されたのは、地元の郷土史家が自費出版した書籍らしい。


 いわく、明治20年。祐久城の跡地に、祐久尋常小学校が設置された。その後、高等小学校が併設された。

 戦前、昭和16年に国民学校高等科に変わり、戦争末期には市街地を守るための高射砲台になった。同時に病院というより、簡易な救護所も置かれていたらしい。

 その後、高度成長期に入り高校教育の必要性が叫ばれる中、昭和52年に私立祐久高校が開学した。その際に、昭和初期の建物も一部がそのまま利用された。


「旧校舎は、古い時代の建物だって聞いてたけど、これか」

 画質の荒れたモノクロ写真が数点、添えられていた。細部が変わっているが、確かに俺たちがときどき授業で使っている旧校舎に間違いない。


 俺は納得してうなずいたが、星崎先輩は小首をかしげてみせた。

「でも、戦争が終わったのは昭和20年、高校ができたのは昭和52年、おかしいと思わない? この間、30年間はどうなっていたと思う?」


 そう問われると確かにそうだ。

 戦後、この祐久市も急速に復興した。小学校も中学校も市街地の反対側に田畑を埋め立てて、まったく新しく作られた。俺はあまり詳しくないが、そう聞いている。


「廃墟のままだったの。校舎も残されているのに、戦後すぐに別の場所に小中学校ができたのも、この場所が嫌がられたかららしいの」

 星崎先輩は声を潜めた。

「昭和50年秋に高校建設のための地鎮祭をしたんだけど、神主さんを探すのにも苦労したとか。仕方なしに、うちのおじいちゃんが地鎮祭をしたらしいの。あまり、この話をしたがらないけどね」


 鈴守神社は、観光客が押し寄せるような有名な場所ではない。

 歴史も由緒もあるが、格式はない。

 元々は、地元の民間信仰から始まった神社らしい。

 そして、祐久高校まではバスを乗り継ぐほど離れている。

 近隣で他に引き受けてくれる神主がいなかったとは…… よほど避けられているのか。


「そんな悪名高い場所だったのか?」

 星崎先輩は、にんまりと返した。

「おかげで私立高校建設に必要な用地費が安く済んだそうよ」

 げんなりだ。もっとも、特進枠に入れば授業料免除を目当てに入学した俺が言えた義理じゃないが。


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