第101話 ラリー様からの呼び出し

 私がラリー様に呼ばれたのは、日が傾き始めた夕刻だった。いつ呼ばれるのかとずっとそわそわしていた私は、その頃には気に病み過ぎてかなり消耗していた。ユーニスに言いたい事は言うように言われたけれど…そんな気力は残っているように思えなかった。でも、言わなければユーニスに何を言われるかわかったもんじゃないのも確かで…私からちゃんと話をしない訳にもいかなかった。私は意を決してラリー様の執務室のドアを開けた。


「待たせて悪かった、シア」


 ラリー様の執務室に入ると、意外にもラリー様以外誰もいなかった。何だかそれだけで変に緊張してしまって、残っていた精神力は早くも霧となって消えてしまいそうな気分だった。そのせいで少しやさぐれたと言うか、諦めがついたと言うか、結構自棄になっていたかもしれない。こうなってくると、どうせ隣国に行くのだから言いたい事は言ってしまおうという気になっていた。言わなければ多分、ユーニスに盛大に話を盛られて伝わってしまうのだ。だったら自分で言った方がダメージは小さい気がした。


 案内されたのは執務室の隣にある、ラリー様の私室の応接室だった。初めて入るわけじゃないのに、王都から戻ってからは私室に入るのは初めてだったので、何だか変に緊張してしまった。緊張しているとばれないだろうかと、私はそれが心配で動悸が早くなるのを必死で抑えていた。こういう時、自分に癒しの力が使えないのは損だな…と思ったのは現実逃避しかけていたせいかもしれない。

 三人は掛けられるだろうソファに並んで座らされて、それだけで緊張感が高まるのは意識し過ぎだろうか…何だか…初めてこの屋敷を訪れた時よりも緊張している気がした。距離が近くて、どんな表情をしていいのか困る…何故こんな時に限って隣になんて座るのだろう…


「今まで心配をかけて…すまなかった」


 私がどんな態度を取っていいのかと当惑していると、ラリー様の声とは思えないほどに、弱く消え入りそうな声が細く響いた。思いがけなくて私は慌てて顔を上げてラリー様を見上げると、声と同じくらいに弱々しい表情が目に入った。そんな様子に、私は悪い想像が自分の中で膨らむのを感じた。


「そ、そんな事は…」

「いや、本当にすまなかった。しなくてもいい心配をかけて…」

「あの…本当に大丈夫ですから…」

「シアの大丈夫ほどあてにならない事はないよ」

「…そ、それは…」


 そう言われると私も返答に困った。あてにならないだなんて、ユーニスと同じ事を仰るなんて…でも今はそれよりも…


「あの…本当に大丈夫ですから。それよりも…あの、隣国の話は…」

「その話だが、単刀直入に言おう。シアには、このまま私に嫁いで貰いたい」

「……え…?」


 一体今、ラリー様は何と仰ったのだろう…言われた言葉が予想の範囲を超えていて、私は直ぐにはその意味を受け入れられなかった。このまま嫁ぐって…じゃ、隣国はどうなるの…?


「…あ、あの…」

「どうした?」

「えっと…あの…隣国…は?」


 言われた事が理解出来ないと、人は自分を守る方に向かうのだろう。私の思考もこの時、自分の期待が裏切られた時のショックを恐れて、私の中では最悪のパターンに向かっていた。今回は特に、期待を裏切られたら立ち直れなくなりそうな気がしたのだ。それに…ラリー様の前では取り乱したくなかった。残っていた力を振り絞って表情だけでも整えようとした私に、ラリー様は小さく頭を振った。


「…隣国には行かせないし、王都にも帰さない」


 そう言いながらラリー様は、私の手を取られた。その動作が現実じゃないみたいで、私はその様を呆然と眺めていた。ラリー様の手がいつにも増して冷たく感じられて、それだけがやけに現実的だった。そう感じたのは、窓から差し込むオレンジ色の光が現実味を奪っていたからだろうか…


「…あの…」

「何?」

「すみません…もう一度…」

「シアは私と結婚する。隣国には行かせないし、王都にも戻さない」


 言って下さいと言おうとしたところで、ラリー様は今度は噛んで含めるようなはっきりとした言い方で、もう一度繰り返した。手にゆっくりと力が込められて、それに合わせてその言葉がじわじわと私の中に広がった。


「…それは…あの…ラリー様と?」

「そうだ」

「…白い…結婚で?」

「その選択肢はなくなった」

「…え、っと…」


 これは…本当に言葉通り受け止めていいのだろうか…私はこれまでの経緯を思い返して、俄かには信じられず、ラリー様にとられた自分の右手を眺めながら、頭の中で言われた言葉を繰り返し再生した。


「…あの…じゃ、私は…ラリー様と…白い結婚じゃない結婚を、するんですか?」


 白い結婚じゃない結婚って…随分と間抜けな質問だとは思ったけれど…私は確認のためにそう聞かずにはいられなかった。その可能性は、私の中では一番低くかったからだ。私の中では…七割は隣国で、残りは白い結婚で王都に戻る事だった。いや、婚約者なのだからこれまでの状況がおかしかったのだけど…と今になってその事に思い至ったが…今はそれどころじゃない。


「そうだ」

「…そう仰られても…信じられないのですが…」


 思わず本音が出てしまって、言い終わってからしまったと思ったが後の祭りだった。でも、信じられないのは本当だ。だって、隣国の要請は?暗殺者に狙われている話は?それに…メアリー様との事は?何もかもがわからなくて、また後で違うと言われるのも嫌で、私は直ぐには受け入れられなかった。期待して、後から否定されるのはもうこりごりだから…


「…そうだな。何から話そうか…」


 ラリー様が何をどう説明しようかお考えになっている様子を、私はまだ夢の中の出来事のような感覚の中で見ていた。

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