3
僕と琴永さんは学校の中を歩みを進めていく。そして、ひとつの教室の中に入った。僕はつぶやく。
「すごい、ここの教室に、入れる……」
彼女は頷いた。
「死んだ人のことのところに行くのは、お墓だけしか許されないもんね」
僕は教室のなかの、かつて座っていた席についた。そして、僕は言った。
「僕はここで、授業を受けていた。彼女と一緒に……」
その隣へと向いた時、その隣には彼女が席についていた。後ろにいる琴永さんの声は訊ねてくる。
「どうかしたの?」
「彼女が、座ってる。今までこんなこと、なかったのに……」
僕はすぐさま、彼女へと向き合う。かつて、そうしたように。彼女は優しく、僕に微笑んでいる。
「そうだ。こういう風に、よく話していた」
わずかに、涙が滲んでしまう。
「そう。たくさん話をした。自分の好きな作品のことだ。ゲームのことも。絵も、一緒に描いていたな……」
そして、僕は訪ねた。
「ねえ、今度こそ話そうよ。あの時みたいに」
けれど彼女はただ微笑むばかり。
僕は俯き、首を振った。
「なんで。どうしてここにも来れたのに、君は何も答えてくれないんだ」
そして、僕は話題を振ろうとした。
その時、違和感に気がついた。
僕はしばらくして、琴永さんへと振り返った。彼女が訊ねてくる。
「どうかしたの?」
「彼女とのことが、思い出せない……」
そのとき琴永さんの表情は、悲しみに包まれた。そして、僕は続けた。
「どうしてだろう。僕はずっと彼女といっしょにいて。僕は研究者で……」
そのとき僕はふと、気がついた。
そこは病院だった。僕は大量の管に繋がれている。だがそれらはすべて、この世から根絶されたはずのプラスチック製だ。体に力もはいらないまま、誰かが僕の右手を握っている。そこにいたのは、彼女だった。
髪の長い彼女。
僕は学校に戻ってきていた。そして、彼女に訊ねた。僕を遠くからみつめる彼女へ。
「ねえ、神様。教えてくれますか」
琴永さんは頷く。だから僕は言った。
「僕は……いいえ、この世界こそが、
彼女は涙を湛えながら、頷いた。
「そう。あなたは私。私は、あなた」
僕は俯く。全ての記憶が、頭の中に流れ込んでくる。彼女の言葉として、滔々と。
この世界は現実じゃない。
目を開けたまま見る夢。私のみつめる世界を通して、あなたは世界を見つめている、一種の拡張現実。
人を食べているのは、あくまで私のエネルギーを使っていることの
唯一不足していたのは、あなただけ。
本当のあなたは病気のなか、手立てが見つけられないままに死ぬ運命にあった。そのときあなたは言ったの。
「君の空想の中でなら、僕は生きていけるはずだ。君なら、できるだろ?」
だから私は、この夢の世界で、あなたに会えるように頑張った。でも、コンピュータのプログラムであなたは再現できなかった。だから私は自分の脳の一部のリソースを割り当てて、あなたがみえるように世界に虚像を組み立てた。
けれどあなたはただ、微笑むだけだった。
だから私は、全ての手を試すことになった。その最後の手法が、あなたをあなたたらしめたの。
私のいない世界の、構築。
人は生まれた時からその人なわけじゃない。世界から何を与えられたか。何を与えられなかったか。そうした世界の関係性のなかで、あなたはわたしではなくなる。けれど人格として語り出すためには、最大の
そうして私のいない世界で、あなたという自我がプロセスとして確立した。
彼女は僕に語りかける。目の前にいる、今の彼女の姿となって。
「だからあなたから取り上げるしかなかった。あなたが私を追い求めることを。けれどあなたは自らの命を絶つ道を選んでしまった。私はあなたが死ぬのが嫌で、こんなひどい世界を、つくったのに」
そして彼女は、泣き出してしまう。僕は、彼女に触れようとする。けれど、その手に触れることはできない。苦しみと恐怖と悲しみを感じながら僕は、自分こそが幻にすぎないと、彼女が僕を夢見ているのだと悟った。
「ごめんね。糸雲。僕が、間違っていたんだ」
彼女は首を振った。
「いいえ。この世界をつくったのは私。私が馬鹿なばっかりに、あなたを魂の牢獄に捉えてしまった」
その時、僕の手は、僅かにかすれていくことに気が付く。そして言った。
「僕は、ここで消えるのか」
彼女は言った。
「この世界の真実を知ってしまった。あなたは別の人格ではなく、私として元通りひとつになる」
僕は首を振った。
「そんなの嫌だよ!」
彼女は驚いていた。
「君をこんなまま置いていけない!君に、何かを渡さなきゃ、何か、なにか……」
その時僕は、自分の持っていたノートに気がついた。そして僕は呆然としながら、ペンをとる。けれど、ペンをうまく握ることもできないまま、ペンは消え去っていく。そこで、僕は気がついた。
「君が僕のことに気がついたのは、このノートだったよね」
彼女は頷いた。
「ええ。それはあなたの、記録用のログファイル」
僕はその真っ白なノートに手を当てた。すると、どんな文字列かはわからないが、すべてが一瞬で記述されていく。その中で僕は言った。
「こうすれば、僕だって物語を書けたんだ。僕は君の研究のことはよくわからない。けれど、いつかどこかで、これ以外の方法が見つかるかもしれない。まだここは、僕の世界の数百年前なんだから」
彼女は呆然とその様子を見つめていた。そこに書かれたここまでの記録を。そしてここに一つ残された、最後の記述を、僕は言った。
『ありがとう。僕はずっと、そばにいる』
彼女は嗚咽を漏らし、泣き出してしまう。だから僕は笑った。自分が消えていく、そのなかで。
「またね、糸雲」
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