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 僕は、自分の職場である都内の少し大きな大学へとコーヒーを抱えて歩みを進めていく。そのうしろに、彼女はバックを抱え、ぴったりとついてくる。やがて僕の研究室にたどり着き、僕と彼女は腰がけた。

「それで……どちらさまですか……」

 彼女はためらいながら、答えた。

「あなたと同じ研究をしています」

 僕は首を傾げた。「同じ学会ですかね?その、お名前は?」

 彼女はおもむろに答えた。

琴永糸雲ことながしくも、です」

「しくも……」

 その時、彼女の思い出が蘇ってくる。ふと僕は訪ねた。

「生きて、いたの……」

 彼女は驚いて言った。

「ち、違うよ!」

 僕は俯く。

「すみません。その、似ていたもので……彼女は、もっと髪が長くて……」

 彼女はほっとしたかのようだった。それで僕は訪ねた。

「それでどうして、僕のもとに……」

「人が自殺しようとしてたら、誰だって止める」

 僕は俯く。

「それは、すみません」

 彼女は僕に言った。

「どうして、あんなことを……」

 僕は顔をあげる。そこには、心配そうな彼女の眼差しがある。とても見覚えのある。だから、僕は言った。

「自分の研究が、うまくいかなくて……」

「人格の保存、ね」

 僕は頷いた。

「僕はさらに単純化して、こう表現しています。消えゆく人類の、魂の存続と」

 そして、僕は思考すると、プロジェクターが突如として起動する。そして、ひとりの女性を映し出した。彼女は僕をみつめ、微笑んでいる。それを、琴永さんは呆然と見つめている。

「実用化、していたの」

 僕は首を振る。

「確かに死んだ彼女は、ずっと僕のうしろにいる。けれど、何かを語ることはない。そして、あなたのように僕を止めたりすることもありません」

 僕は続けた。

「だから、僕は諦めてしまった」

 彼女は俯く。

「それは、つらかったね」

 僕は首を振った。

「僕のやってること自体が、間違っているんです。自然の摂理を超えて、死んだはずの誰かと、もう一度誰かに会おうとする。それは、許されないことなんです」

 プロジェクターに映された彼女は、ただ微笑むだけ。まるで、写真のように。それが悲しくて、僕は俯くしかないのだ。

 長い沈黙のなか、ふと琴永さんは言った。

「あの、この研究を、もっとがんばったりとか、できないの」

 僕は首を振った。

「できることはしました。ですが、本質的なところに踏み込もうとすると失敗するんです」

「具体的には?」

「魂をつくるとき、彼女のことを知ることが何よりも必要なんです。でも、それをしようとすればするほど、誰かに気づかれ、阻まれてしまう」

 彼女は俯く。

「この世界は、それを許さないことで成り立っているから……」

 僕は頷く。

「この処理プロセスを踏まない限り、彼女はきっと、何も語ってくれません」

 僕は置かれたコーヒーを眺める。

「そのままに、僕は誰かの血で作られたこのコーヒーを飲んで、生き延びていく。頑張れば、ただ人を犠牲にすることになる」

 彼女は俯いたままだった。だから僕は気がついた。

「ごめんなさい。あなたに止めてもらったのに」

 彼女は首を振った。そして、訊ねてきた。

「その処理プロセス、やってみる?」

 僕は訊ねる。

「どうやって……」

 彼女はバックから、書類を取り出していく。それを僕は手に取る。けれど、強烈な違和感があった。そのとき、彼女は訊ねてくる。

「どうかした?」

「いえ、すみません。何かが書いてあるはずなんですが、うまく、読めなくて……」

「ああ、あなたの作り上げようとしているその子の、調査をしてもいいっていう許可の書類たちだよ」

 僕は顔を上げる。

「あなたは一体、何者なんです……」

 彼女は微笑んだ。

「あなたにとっては、神様かな」

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