1

「この世界は人間でできている」

 高校の教室で、先生はそう切り出していた。当時の僕たちもしんとしていたけど、別に嫌な感じの静まり方ではなかった気がした。

 そんな僕らの反応を見てか、先生は表情を緩めた。

「あたりまえすぎたね。今わたしの着ているパンツスーツも、みんなの服も、バックも、ぜんぶ髪の毛と皮膚がもと。わたしたちが年に一度食べる給食は人の血と肉をつかったものだし、この建物も人の骨をすりつぶしてつくっています。そして、今社会を支えるコンピュータは脳でできていて、私たちは各々がリソースを別途当番制で割り当てている。では皆さんに質問です。どうして人が人を使うようになったのでしょうか」

 僕はみんなとともにゆっくりと手を上げる。すると先生が僕を指名してきて、僕は座ったまま発言する。

「数百年前に使える資源がなくなって、僕たちの祖先が人を使うことを選んだからではないでしょうか」

 先生はうなずく。

「そう。わたしたちが生きるために、この世界には限界が規定された。今日はそのことについて話していきましょう」

 そうして先生は僕たちに教えてくれた。

 曰く、世界はすでに、人口の爆発的な増加が懸念されていた。その時に発生する深刻な食糧難は、戦争の火種となりうると予測されていた。けれど、何か有効な手立てがあったわけじゃなかった。だから各々が、どうにか新しい未来を構築するための試行錯誤を繰り返している状態だった。

 ヒトゲノムを他の生物に投与する実験。

 分子構造を重合を始めとした手法で変化をもたらし、別の機能を持たせる実験。

 クローン羊の作成実験。

 そのほか様々。

 それに転機があったのはいつごろだろうか。先生の言っていたことは思い出せない。けれど、これまで予測でしかなかった、分子の化学構造の真の姿を捉えることに成功したのだろう。更に高分子構造を容易に変更できるようになったことで、あらゆる科学において革命が起きたのだ。

 分子操作による機能付与。

 有機半導体の発展。

 チューリング完全の新型有機計算機の完成。


 はじめにもたらしたこれらの恩恵は、数年ほどのソフトウェアとの結合に伴い、生物という莫大な情報の模倣を可能としたそうだ。そうして人は、最終的に最も効率よく資源を、特に食べ物を生成できる材料を見出し、気づけば社会システムの中に組み込まれていた。

 その材料が、因果なことに鳥でも豚でも牛でもなく、人間だったというわけだ。


 それはまるで、ガリバー旅行記で名高いスウィフトによる風刺文書、いわゆる「穏健なる提案」だ。

 かいつまんで説明すれば、「人口抑制と経済的な救済のために、貧民の赤子を一歳まで養育、富裕層に食料として提供する」というものだ。生々しい数値で書き上げられたこの風刺が、まさか本気で実行されることになるとは、さしものスウィフトも想像してなかっただろうが。

 だが本気で実行できたのは、日本だけだったようだ。

 故に、人肉化技術は決してどこの国にも広まることはなく、その十年後、更なる深刻な食糧難によって世界的に内戦とテロが拡散、日本以外の世界は内戦の後にすべて滅んでしまったのだという。

「かくしていま、食人国であるわたしたちだけが文化的な暮らしを享受することとなりました。それにもいろいろ制限はあるけれど」

 先生は悲しそうに微笑んで、

「みんなもわかってると思うけど、今は人口がとても増えました。豊かになりました。ものも増えています。だからこそ、今は一歳未満の子以外も、資源となる人が選定されるようになっている。必要に応じて申請がかかって、誰かがいなくなることもあるわけです」

 教室から物音が消えた。

 そうして、先生の涙ぐむ声だけが響く。

「昨日はあの子だった。あの子は笑って送られていった。『しかたがない』と言ってくれていた。私たちはあの子を見習わなきゃいけない……いけないんだけど……私は……」

 僕は先生の顔を見ていられなくて窓の外を見ようとした。窓に反射した自分が写る。目元が腫れているのがみえて、そこからも目をそらすしかなかった。

 社会が豊かで健康的であるためには、現在は誰かが必要に応じて間引かれてゆく必要がある。

 その礼状は電子メッセージで送られてくる。そのカラーコードは最重要とする臙脂の色で、厚生省献体委員会と書かれていた。

 選定を行うのは、同じく選定されて国のための力となる、僕たちの脳。繋がれたときの僕たちは選定のために最初に最適化を施され、個体としての意識は集団の意識として飽和する。ただ細分された計算処理を実行する機械マシンとなるという。

 考えることは主に次のようなことらしい。

 これから何が必要になるのか。

 どの場所が人不足となっているのか。

 どの人間が消えた時、社会の影響が最も薄いのか。

 言うなれば、最大にして究極の計画経済システム。滅びたはずの完全共産主義の国を知る学者はそういった。

 選定に際して年齢の制限は一切ない。七五三を乗り越えられない者もいれば、米寿寸前の者まで、肉体としての素材が必要であればいくらでも簡単に選ばれていく。

 選定されるのは、現在、そして未来五十年において不要となる者だ。情報工学が人間の脳の複雑さと並んだからこそできる、技術的預言とされる。未来を見通すレベルにまで至った技術だからこそ成せる間引きなのだと。とはいえ、明確な未来を公表されることはされてはいない。だからこそ、僕たちは自分のできることを行い続けなくてはならなかった。自分の存在証明のために。誰かが、僕らを見ているから。それだけが、この社会の動力源となっていた。

 僕たちは常に素材として選ばれて消える可能性がある。

 それが今日なのか。それとも明日なのか。

 誰かがいなくなること、自分がいなくなることを心のどこかで覚悟し、生きていく必要があった。

 誰かの死を止めてはならない。そして、選定の理由は知ってはならないし、選定された彼らの行く先を知ってはならない。それはいま自らが享受している豊かさを否定することになるからだ。僕が彼女を探そうとするたびに、いつの間にかそう言う誰かが現れる。そして、追い返され続けた。あるいは、気づけば家の中で眠っている。

 逆に言えば、この世界で生きる忠誠だけを持っていれば、この世界で何不自由なく生きていくことができた。資源豊かな、素晴らしき新世界で。

 だが、僕には理解できなかった。なぜ、彼女が消えなくてはならなかったのか。なぜ、僕よりもずっと優秀で、優しかった彼女がいなくなってしまったのか。僕はそれだけを考えていた。

 その結果が、二十年経ってもこうして公園を眺めるしかないという結末だった。


 僕は誰もいない展望台の階段を登る。すると、ブロック塀の先に降りる道として階段は続いている。僕はそれを降りて、大きな空母のようなそこを横切り、最短で海との境界線を引く柵にたどり着いた。その向こうには、テトラポットたちが並んで、波を打ち消していく。そして、誰もいないなか、僕はその柵に触れた。僕は呟いていた。

「君を探したらみんな怒るけど、僕が向こうに行っても、誰も怒らないよね……」

 僕は、自分のノートを取り出す。そこに、遺書を書こうとした。

 けれど、うまく書けなかった。

 ペンの持ち方も、忘れてしまったかのように。ノートの罫線すら、うまく焦点が合わない。

 けれど、気がつくとそこには何か文章が書かれている。

「行っちゃだめ」

 僕は首を傾げる。

「書いた覚え、ないのに……」

 そして僕はノートを投げ捨てる。そして、柵を越えようと、手に力を込めた。

 突然、その手に誰かが遮るように触れた。驚いて振り返ると、そこには涙を溜めた、セミロングの女性がいた。

「行っちゃだめ」

 そして強引に引き剥がされ、僕は抱きしめられた。

「もう二度と、こんなことしないで」

 優しい香りに包まれながら、僕は訪ねた。

「誰……」

 彼女は言った。

「いまはそんなこと、どうでもいい」

 そして彼女は泣き出してしまう。僕は焦りながら、彼女の背中を優しくなでる。

「ご、ごめん」

 ノートを、彼女をみつめながら、僕は困惑するしかない。

 それが、僕と彼女の出会いだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る