第20話 自動交換機
いつものようにリッカが持ってきてくれた朝食を食べる.
(このパン,パンの匂いがする)
パンなので匂いがパンなのは当然なのだが,いつもの硬いだけで風味もほとんど無いパンではなく,食べる前からパンらしい匂いが漂っている.ほんのり温かいところを見るに,ここに持ってくる前に焼き直したのか.宿の通常のメニューと同じ材料で作られた朝食だが,もう全く別物になりつつあった.
リッカは練習で作っているものだと言っていたが,少しでも美味しく食べてもらおうと手間をかけているのが分かる.リッカへの感謝と,この宿の通常の料理を食べている他の客への罪悪感を感じながら,朝食を平らげる.
食器を返すために一階に降りるとリッカが店番をしていた.
「ごちそうさま.今日の朝食も美味しかった.毎日大変じゃない?」
「美味しいって言ってもらえるなら,毎日作りますよ.それに,好きでやってることですから大変じゃないです」
リッカと少し雑談をしてから宿を出る.当面の生活に困らないお金ができたので,もっと良い宿に移ることもできるが,いまのところこの宿に大きな不満はない.
通信の中継所の倉庫の前まで来ると,以前よりも警備の衛兵が増えているのに気付いた.ドアの前に二人いるのは変わらないが.建物を囲むように数人が立っている.
もう顔を覚えられているのか,特に声をかけられることもなく建物に入る.衛兵は何の建物なのか知らされてないので領主の娘の遊び場くらいに思われていそうだ.
俺たちがいつも作業スペース兼たまり場として使っている部屋の中には,いつもと違う顔が見えた.
「改めて自己紹介を.あっしはゾルデっす.知っての通り王都で細工師として小さな店をやってるっす」
そういえば今までちゃんと名前を聞いてなかったな.俺もリサとイリスに続いて自己紹介をする.
今日はゾルデに通信機や中継作業の説明をすることになった.
「あの魔法陣がこうなったっすか.でもずいぶん忙しそうっすね」
昨日と同様に交換手の人が忙しそうに働いている.午前中のこの時間と,夕方の利用が多いらしい.
本格的に運用するなら人を増やすか仕組みを変えないといけなさそうだ.一番良いのは自動交換機に置き換えることだが,少し調べた感じでは作るのが難しそうだった.最初の自動電話交換機は,ステップ・バイ・ステップ方式と呼ばれ,電話番号の桁ごとに接点を機械的に切り替える仕組だったようだが,細かい部分までわかる資料がないし,部品数が多く複雑でメンテナンスも大変そうだ.それよりもっと簡単な方法がありそうだ.
「これを,魔法で自動的につながるようにできないか?」
「そんな都合のいい魔法あるわけないじゃない.いくらイリスでも知らないでしょ?」
「確かに知らないけど,わたしへの質問じゃないみたい」
「見た感じだと,信号が送られた回数によって切り替わる感じっすか?」
「それであってる.魔石に魔法陣を刻印するのに使っていた魔法陣をベースに作れるんじゃないか?」
「確かに,作れる気がするっす.イリスも異常に魔法に詳しいと思ってたけど,あの魔法陣の意味がわかるあんたも何かが異常っすね.実は他国の高位の魔道士っすか?」
「魔道士どころか俺は魔力もない平民だ.それより,どれくらいの通信機を切り替えられそう?」
「魔力が無いってことは使えない魔法の意味が分かるってことっすか……100個くらいなら切り替えられるけど,あまり増えると無理そうっす」
「それで大丈夫.ただ同じものをいくつか作ってくれないか」
すでに100回線近い通信機が使われていて,これから本格的に普及させるならすぐ10倍くらいにはなるだろう.
100個の通信機を切り替えるだけではすぐ足りなくなる.
翌日.
「できたっす」
「もうできた?時間がかかるものだと思っってたのに早いな」
細工師のゾルデから規則的なパターンを持った魔法陣が描かれた板を見せてもらう.結構大きい.1m四方近くある.
「この上に通信機を並べれば動くっす」
魔法陣の板に書かれた2桁の数字の上に,通信機をいくつか並べる.
試しに通信機で数字を送ると,別の通信機につながった.魔法陣に必要な魔力は通信機から受け取っているようだ.
「これ,どういう仕組みで動いてるんだ?」
魔法陣の説明を聞く.
やはり,魔法陣の中に状態を持たせて,魔法陣の特定の部位が動作する度に状態が変わる仕組みらしい.数字は魔力量としてアナログ値で保持しているせいで,100種類くらいの識別が限界なのも分かった.
「100個しか置けないけど,増えたら作り直すの?」
イリスの疑問への答えは用意してある.
「ひとまずは複数の魔法陣をつないで多段式にするつもりだ」
多段式にして,最初の2桁で交換機を切り替えて別の交換機につながるようにしておき,次の2桁で更に次の交換機を切り替え,最後の2桁で通信相手につながるようにする.
途中の交換機は同時に沢山の通信をつなげることになるので,余裕を持って複数並べた方が良さそうだ.
これでたぶん,10万回線くらいまでならどうにかなるだろう.たぶん王都の人口も10万人もいかないだろうし十分だ.
「お父様に相談しておいたほうが良さそうね」
必要な人員や設備に影響がありそうだし早いほうが良いだろう.
午後に領主の屋敷に向かう.
「ちょうど,増員計画を立てていたところだった.信頼できる人間となると早めに打診しておかないといけぬからな」
イリスの父親のアノスによると,今日にも直近の増員分を募集するところだったという.
「話はそれだけか?」
「今日はこれも売れるか見て貰いたいです」
持ってきたものを机の上に置く.足し算と引き算だけの計算機だ.数字を入力するとニキシー管に計算結果が表示される.
「これは,計算をするものか?」
「はい」
「興味深いな.ただ,このままだとあまり売れないだろうな.高価なものを大量に扱う商会なら欲しがるかもしれないが……」
「……そうですか」
ほとんどの場合,売上の計算は翌日までに終わっていれば困らない.
計算する手間が少し減るかもしれないが,単純な計算のために,高価な魔道具とそれを扱う人間を用意できる場面は少ない.
そんな理由を説明された.
「通信機に組み込むのはどうだ?もし,計算結果をそのまま送ることができれば,数字の書き間違いを減らせるかもしれない」
「支店から受け取った売上を記録して合計できたりすると便利そうっすね」
「そうだな,支店ごとに毎月の売上の比較したりも簡単にできると良いな」
ゾルデとアノスは,電卓ではなく表計算ソフトをご所望らしい.
前向きに検討させていただきます,と返事をしておく.
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