第18話 ニキシー管と計算機
ネット環境は欲しいが,この世界には電卓すらまだ存在しない.買い物をしたときに,店の人が小さな木片を並べてお釣りを計算しているのを見たことがあるが,あれで足し算や引き算以外の計算ができるのかどうかは不明だ.
俺たちがいるのは通信機の中継所がある倉庫の一室.イリスの部屋に行くのは,領主の屋敷だと知ってから怖くなって避けている.
「というわけで,計算機を作りたい」
「けいさんき?」
疑問を発したのは,イリスではなくリサだ.
「なんでここにリサがいるんだ?」
「最近イリスが何かこそこそやっているから後をつけてきた.入り口の衛兵の人は見た顔だったから,にっこり微笑んだら入れてくれたよ」
(……もっと警備を強化した方が良いな)
「まずは,こういうものを作って欲しいんだけど」と,イリスにタブレットPCに表示された本のページを見せた.
そこには,真空管の写真と図が描かれている.ただし,通常の真空管と違うところがあり,内部に数字の形に折り曲げられた10種類の電極が重なって格納されている.
早速作り始めるが,イリスは既にいくつも真空管を作っているので手慣れたものだ.電極の針金を数字の形に折り曲げる作業は3人で分担した.
出来上がったのは,ニキシー管だ.
ニキシー管というのは,電圧をかけるとグロー放電現象によって数字の形の電極が光る真空管だ.液晶やLEDが無い時代には数字を表示するためによく使われていたものだ.アニメで使われているシーンを見たことはあるが,実際に目にするのはこれが初めてだ.
イリスに魔法で電圧をかけてもらう.イリスがいると任意の電圧を簡単に作れるので便利だ.
(……何も起こらない.失敗?)
「よく見ると光ってるけど……これでいいの?」
リサの言う通り,よく目を凝らすと電極の周りが光っている.しかし暗すぎる.前にイリスと作った真空管ですら,もう少し明るく光っていた気がする.
「そういえば,最近作った真空管はあまり光らなくなった気がしてた」
「何か変えたのか?」
「空気がガラス管の中に残らないように色々工夫しているけど,関係ある?」
「それだ.少しだけ空気を残すようにしてくれない?」
「やってみる」
真空度を少し下て再挑戦すると,今度は紫に近い淡い色に光っているのが見えた.
転移魔法は真空度を上げたほうが消費魔力が減るが,今回はある程度の気体が残っている必要がある.ネオン等を入れると明るいオレンジ色になるのだけど,今は空気で我慢しよう.
数字の形状を見る限り,一番手先が器用なのはリサで,その次にイリスだった.俺はと言うと……圧倒的な不器用さ.この国の数字にまだ不慣れだし,数字は識別できるから問題ない.
同じものを数本作って,しばらく数字を切り替えたりそれを眺めていたリサとイリス.
「おもしろいけど,これ何の意味があるの?」
「光魔法で光らせた方が簡単じゃない?」
(……光魔法を使うことは気付いていなかったわけじゃくて,ニキシー管の光にはロマンがあるのだ.絶対こっちのほうが良い.決して気付いていなかったわけじゃないぞ?)
気を取り直して,メモ帳を取り出し事前に準備していたページを見せる.
「この魔方陣と繋いでみてくれないか?」
「なんなの……このものすごく汚い魔法陣」
予想はしていた反応だが,やはりイリスの目から見て汚いらしい.
「これが計算機.昨日,一日かけて作った」
「作った?魔法も使えないのに,本当に?」
「まあ,それは置いておいて,魔力を流してみてくれないか」
イリスが信じられないという顔をしている.
「じゃあ,いくよ」
ニキシー管につないで,イリスが魔法陣を起動すると『0000』の表示.
「大丈夫そうだな」
魔法陣の左右には,目印のために0~9の番号が振られた図形が4組ずつある.数字を入力するボタンが無いので,ここに線を書き加えて魔力が流れるようにする.
試しに,左側の4つを『1,2,3,4』となるように線をつなぎ,右側を 『7,8,9,0』としてみた.
ニキシー管には『9$24』と表示されている.1桁おかしいが,魔法陣をよく見ると変な場所で交差してしまっている線があったのですぐ修正する.
「なんか数字が出たね」
「9124……もしかして足し算?」
イリスは気付いたようだ.
イリスは確認するように先程俺が書き加えた線を,さらに書き換えて動きを確認する.するとニキシー管の表示も次々変わっていく.
「魔法で計算をするなんて.見たことも考えたことも無かった.どうやって作ったのか聞かせてくれる?」
昨日のこと思い出しながら説明する.イリスは興味深そうに聞き入っているが,リサはすぐに飽きたようで,適当にニキシー管に表示される数字を変更しながら眺めている.
イリスや王都の細工師の魔法陣を見て,電気回路のスイッチと同じような働きをする図形があるのには気付いていた.
写真に撮っておいた魔法陣の画像を見ながら,イリスが魔法を発動していたときの様子を思い出す.
(たしか……ここが光っている間は,魔法が発動しなくて,光が消えた瞬間にここが光ったな……この図形はきっと論理学的な否定だな.そして,この2つの図形の間にあるのが,両方の図形に魔力が満ちてから動き出す,論理積を表しているはず)
目的の動きをするものは簡単に見つけられた.
コンピュータ上で行われる計算は,論理素子と呼ばれる数種類の単純な半導体素子の組み合わせで表現されている.極端な話,一種類の素子の組み合わせでコンピュータ上で行われる全ての計算をすることもできる……と『コンピュータアーキテクチャ』というタイトルの本を読んだら説明されていた.
あとは,見様見真似で魔法陣を紙に描いていく.
いくつかの図形をつないだ半加算器を,さらに2つつないで全加算器を作る.これでこの図形は,0と1を足すことができる1桁の二進法の計算になっているはずだ.
それを沢山……とりあえず16個並べてつなぐ.なんとかメモ帳の1ページに収まった.
イリスの魔法陣のような美しさもなければ,王都の細工師の魔法陣のような精巧さも無い.ただそれらしい要素をつなぎ合わせただけの図形で,実際のところ深くは理解していない.本当に動くのか以前に,イリスに見せたらお叱りを受けそうだ.
(まずは商人に売ることを考えると,二進法だと不便か……少し修正した方が良いな)
16個並べた加算器を4組ずつに分けて,繰り上がり条件に手を加える.本来なら4組で0~15の数字を表せるところを,0~9になるように制限した.
使える数字が減ってしまうし,もっと効率が良い方法があるはずだが,今は仕方ない.
――――というのが昨日,宿屋に引きこもってやっていたことだ.
「と,こんな感じで作った」
「他の計算もできるの?」
「理屈上はどんな計算もできるけど,複雑になりすぎて無理かもしれないな」
「どんな計算も……魔法陣の意味は分かるけど,どういう発想に基づいてるわけ?」
論理学と二進法の話を説明をしたら興味深そうに聞いていた.ただイリスならタブレットPCを渡しておけば自分で理解しそうだ.
いつもイリスの知識や理解力に驚かれているけど,さすがに計算機やコンピュータのような技術の上にしか成り立たないものなら俺の方に分があった.
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