第17話 中継所とモールス信号

イリスの両親に会ってから数日後.


「この辺りは初めて来たな」

「たしかに商人や職人じゃない限りあまり立ち入らない場所ね」


俺はイリスと初めて来た通りを歩いていた.道を荷馬車が行き交っていたり,価格交渉をしている商人をよく見かける.いわゆる問屋街のような場所だ.


少し歩くと目的地に到着した.


倉庫のような建物だが,扉の両脇に衛兵が立っていて周囲からは浮いた存在に見える.


「いらっしゃい.こっちへどうぞ」


イリスに続いてドアをくぐると,イリスの母親のエレクトラが迎えてくれた.建物はやはり倉庫のようで,内部は簡易の壁ていくつかの部屋に仕切られていた.


俺たちは,エレクトラに付いていき奥の部屋に入る.部屋の中には色々な物が置かれ,数人の人が何か作業していた.


「順調そうね」

「イリスちゃんの頼みだから,お母さん張り切っちゃったわ」


誉めて誉めてと言わんばかりの笑顔を俺とイリスに向けて答える.先日会ったときと,だいぶ印象が違う.そもそも,領主様がこんなところにいて良いのだろうか?


「領主の仕事は夫がほとんどやっているし,私は名前を貸してるお飾りみたいなものよ」と俺の顔から疑問を読み取ったのかエレクトラが答える.


この部屋が通信設備の中継所だ.改めて,部屋の様子を観察する.


番号で管理することにした通信機が,壁一面の棚に番号順に並べられている.それを数人の交換手と呼ばれる人たちが見ている.


通信機が光ると,交換手が棚から取り出し,相手と交信を始める.交信と言っても,音声が送れるわけではにので,光の点滅パターンでやりとりする必要がある.


その後,交換手の人は別の通信機を棚から取り出し,一方の通信機の横にくっつけるように置いている.ケーブルなどは無く隣り合わせて置くだけで,接続されるみたいだ.


しばらく光っていない通信機を見つけたら,棚に戻すルールになっているようだ.


(切断の合図も決めたほうが良さそうだな)


初期の電話は最初に交換手につながり相手を伝えて接続してもらうという方式だった.それと同じ仕組みだ.




「もう実際に使われているんですね」

「今はうちと取引がある商会に試してもらっているわ」


しばらく眺めていると気付いたことがあった.


「短い通信が多いですね.数回の点滅で終わるパターンばかりだ」

「点滅の回数で伝えたいことを表す対応表を商会ごとに作成しているみたいね」

「 対応表は事前に会って交換するんですね」

「ええ,会ったことがない相手や予定していない内容を送るときに困りそうだとも聞いたわ」


通信内容は,商品,価格,個数だけを簡単に伝えることに特化しているようだった.


「他に何か問題は起きてますか?」


「どこで知ったのか,すでに他の商人や貴族から問い合わせが殺到して対応に苦労しているわ」


この世界では,安く仕入れたものを,高く売れそうな場所をいかに見つけて運ぶかが商人の能力だと言われている.ここで,遠くの地の物価が一瞬で伝えられるなら,一気に商売が簡単になる.逆に,情報がなく常に出遅れる商人はたまったものではない.


「あと,王都より南にある港町で使えるようにしてほしいという要望が多いわね」


この街から王都より更に離れた港町は圏外なのだ.商会によってはギリギリ届く場所に簡易の拠点を作り,そこから港町に馬を使って少しでも早く連絡しているという.


「次の予定があるから,わたしは,そろそろ失礼するわね.イリスちゃん,あとはお願いね」


エレクトラはそう告げて出ていく.


「あまり領主様って感じがしない人だな」


「お母様は昔からあんな感じ.だから貴族でもないお父様と結婚したみたい.でも,領主と商人が結婚することで色々あったって聞いた」


もともと,破産寸前だった街を,イリスの父親が救ったのだというような噂話を最近耳にした.それを考慮しても,貴族でない商人が領主と結婚することはありえないことだったのだろう.


「ところで,通信相手の指定はどうやってやり取りしてるんだ?」


光の点滅回数でやり取りしていたようだが,いきなり通信機だけ渡されても使えるわけがない.


「それは,通信機を渡すときに説明してるのと,商人なら識字率は高いから,これを読んでもらってる」


イリスはそう言って,取り扱い説明書のような冊子をどこからか取り出す.

数字と点滅パターンの組み合わせと,接続手順がわかりやすく書かれている.


いまだに,文章はちゃんと読めないので,本当にわかりやすいかはわからないが.


「これに,追加して欲しいものがあるんだけどいいか?」

「聞かせて」

「まず,指定した相手が他の人と通信中だった場合を追加するのと,これは通信機の改造が必要かもしれないけど,通信が終わった後しばらく特定の点滅を続けるようにしたい」

「たしかに必要そう」

「あと,数字だけじゃなくて文字もやり取りできるように対応表を載せてほしい.商会の中で工夫してくれるかもしれないけど,共通のものがあったほうが使う人が増えたときに情報交換しやすいだろ」


多くの人が使うようになると,相手ごとに対応表を使い分けるのが面倒なのは明らかだ.機密情報を送るために,秘密の対応表を使う人達はいるだろうけど,基本的には簡単なほうが良い.


「そのときに,よく使う文字ほど簡単に送れるように工夫したいんだけど,できそうか?」


タブレットPCを取り出し『アマチュア無線入門』というタイトルの本から,モールス信号の符号一覧のページを探す.


モールス信号の符号は,頻繁に使う文字ほど短い符号になるように工夫されている.

この世界の言葉は,20~30個のアルファベットで表記されている.英語とほぼ同じだ.なので,モールス信号を少し変更するだけで使えるはずだ.


「モールス信号ね」

「なんだ知ってたのか.さすがイリスだな」


褒められたことに照れながらもイリスは嬉しそうにする.

それより,イリスに対しては地球の現代知識でも敵わなくなりそうで気分は複雑だ.


「この説明書,どうやって複製するんだ?」

「王都で転移魔法を再現した時,参考にするために転写魔法も手に入れておいた」


ちゃっかりしている.説明書はすぐに更新して,すでに使っている人にも配り直すと言っていた.

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