第9話 食糧問題が解決した
帰りは馬車を使った.
馬車はゆっくり進む.たまに商人の荷馬車が追い抜いていくが,揺れがすごくてとても乗れたものではないとげんなりして言うイリス.
「そういえば家出して荷馬車に潜り込んでうちまで来たことあったね」
「あれは散々だった.もう二度とやらない」
「散々だったのは,荷物の中から目を回した女の子が出てきて騒動になった商人の人だよ.あんたのお父さんが駆けつけなければ,人身売買の容疑者として王都に連行されるところだったんだから」
話を聞くと,荷馬車自体より騒動のあとに怒られたことがトラウマになっているようだ.
隣に座ったイリスがメモ帳を開いて魔石と見比べている.馬車でそんなことをしていたら酔いそうだ.
メモ帳とボールペン,売ってお金にしようと思ってたのだけどいつの間にかイリスに使われていた.
イリスが持つ魔石の中を覗き込む.
複雑な模様が立体的に幾重にも重なっている.
「この中にある模様も魔法陣なのか?」
「それが転移の魔法」
「イリスが使っていた魔法陣は?」
「あれは効率よく魔力を注ぐだけでのやつ.けど,あれ無しだと発動するまえに魔力切れになっちゃうかも」
「たぶん,これが転移魔法のコア部分」
そう言って見せられたメモ帳の幾何学的な図形.前にどこかで見たことがある気がする.
「でもこの図形自体は魔法陣じゃないの.角度によって色が変わって見えるでしょ?」
そう言ってイリスが魔石を手の上で動かすと虹色に光って見えた.
「その模様の中に目では見えないほど小さな魔法陣が並べてあるの.あまりに細かいせいで角度によって光の反射の仕方が変わってしまうみたい」
半導体のシリコンチップを思い出した.
微細な構造を持つ表面で反射する光が干渉して色づいて見えるやつ.
つまり光の波長に近いかそれ以下の大きさの魔法陣が並んでいることになる.
手作業で描くのは絶望的だ.
「この魔法陣は人間が描くことどころか,一生を費やしても全てを読むことすらできそうにない.たぶんだけど,魔法陣を作るための魔法が存在したんだと思う」
人智を超えたものに見えるが,イリスはあくまで人間の手によるものだと考えているようだ.
「すごく精密なものなんだな」
「それが少し疑問なの.発動したときの感覚でだいたいの魔法の規模が分かったんだけど,それにしては維持するための魔力消費が大きすぎた.すごく効率の悪い魔法に感じた」
「触れたものを全てを,もう一方に転送するんだよな?」
俺は,一つの可能性について考えていた.
「ただあのとき何も触れてなかった.触れていたとしたら…………空気くらい」
「空気の重さがどれくらいか知ってるか?」
イリスから返事がないので横を見ると,メモ帳を抱きながらウトウトと船を漕いでいた.
「……空気……の重さ…………」
「もしかして寝不足?」
魔石を眺めながら考え事をしていたら朝になっていたらしい.
何事もなく,夕方にはシュターツの街に戻ってきた.
宿に入るとなにやら騒がしい.
酔った客がリッカに絡んでいた.
ほかの客は面白そうに眺めるだけで助けに入る気配はない.
このまま素通りしたいが,一瞬だけリッカと目があってしまった.
……仕方がない.
「ちょっと」
「なんだぁ?てめぇ…………」
男の手を握りリッカから遠ざけるが,もし殴り返されたりしたら勝ち目はない.
しかし,こちらを睨みつけていた男は青い顔をしている.気分でも悪くなったのかもしれない.
「ひっ……もう帰るところだったんだ,運がよかったな」
そのまま男は怯えた表情で店から去っていった.
意味が分からず後ろを見ると店主がいた.
「面倒かけたな.一皿サービスしておく」
酔ってリッカに絡んだ客が店主に殴り飛ばされるのが,恒例のイベントだったらしい.
サービスだと言われた謎の肉料理を食べるが,口にあまり合わない……というかまずい.
少々物足りないが,その皿だけ平らげて二階に上がる.
「さっきは,ありがとうございました!」
部屋の前で,リッカに声をかけられた.
「いや,俺が何もしなくても大丈夫だったんだろ?」
むしろ俺に助けられたのは,絡んでいた酔っぱらいの方だったようだ.
「ところで,お店の料理の味どう思います?」
答えに困る.
「えーと……説明が難しい個性的な味かな」
「率直に言うと?」
「正直,まずい」
「そうですよね!人が食べるものじゃないですよね!」
そこまでは言っていないのだけど.
「これお礼です.良かったら食べてください!」
そう言って料理の乗ったトレイを差し出す.これを渡すために部屋の前で待っていたようだ.
ただ,まずいと話したばかりの料理を渡す意味が分からない.何かを試されているんだろうか.
「まだ練習中なのでお客さんには出させてもらえないんですけど.お店に出してる料理よりはマシだと思います」
言っていることもおかしい気がするけど,お礼を言って受け取った.
「普通の味覚の人で良かった.お父さんは料理の味に無頓着だし,お客さんは酔って味覚が麻痺しているか,もともと舌がおかしい人ばかりだし!」
部屋に入って,夕食を再開する.
特に手の混んだ料理ではないし,見た目はさっき食べた謎の肉料理とあまり変わらない.
驚いたことに,まずくなかった.
下処理がちゃんとされているせいか,臭み無いし柔らかい,何よりまともな味がする.むしろとても美味しい.
朝食のスープは,たまにリッカが手伝っていたのかと納得した.
店主が引退してリッカに料理をするようになれば,この宿は繁盛するかもしれない.
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