変動
彼が同じ時間、同じ空の下を生活しているのだと思うと不思議な感覚だった。河田光友が私の元に来たあの日から、私たちの関係はアイドルとオタクからお客様とキャバ嬢へと変わった。
貢いでいた相手が私に貢ぐのだ。私が話したいと思っていた彼が、私と話すために私の元に訪れる。関係が変わっても私は彼を愛し続けた。日に日に元気になるものの落ちぶれていく彼が醜い。
1度彼に聞いてみた事がある。
「メンバーの元には帰らないんですか?」と。
彼は少し考えて「わからない」とだけ言う。それ以上は踏み込んではいけないような気がした。だけど彼は続けてこう言った。「戻れないかもしれない」と。
きっとファンの皆は戻ってきてほしいと願っている。メンバーの真意は分からないけどきっと戻ってきてほしいと思っているはずだ。そう信じたい。
「ゆりなちゃん」
「なんですか?」
「そろそろ連絡先交換しない?」
河田光友は最近よくこんな事を言ってくる。先輩主任は「交換しな」と言うけれど、私はオタクとして、彼のプライベートには踏み込まないと決めている。それに、彼とメールをするようになってしまうと、きっとあの日のみっとさんの会話を思い出してしまう気がする。
「私がキャバ嬢を辞めたらいいですよ」
「まだまだかー」
私がキャバ嬢を辞めることはあるのだろうか。最近はどうしてこの仕事をしているのか分からない事がある。だけど他のバイトに比べれば結構お金貰える方だし、近藤颯汰や河田光友以外にも私を指名してくれる人が増えてきたから一人暮らしが楽にできるようになった。時々実家へも仕送りもしている。私が変われたことは間違いなかった。ここのおかげだ。
河田光友がお店に訪れて1ヶ月後、彼がグループを脱退すると報道された。その日付けで事務所も退社したそうだ。やっぱり私は彼の力になる事が出来なかったのだ。彼は私に上辺の話をするばかりで心の中を話してくれることはなかった。きっと、次にお店に来た時、本人の口から聞けるかもしれない。なんて思いは儚く散った。その日から河田光友がお店に来なくなったのだ。
「また来てねー」
彼が来なくなっても私はキャバ嬢を辞めることはなかった。彼が来なくなってからいきなり指名が増え、休む事も出来なくなっていた。きっと忙しくしていれば忘れられる。そう信じてお客様に笑顔を振り撒く。
それでも彼がどんどん芸能界という世界から消えていく様子が手に取るようにわかった。RI-Tu_mは河田光友の脱退によりRI-Tuに改名。読み方がファンネームの同じ「りっつ」へと変わった。彼の居場所は完璧になくなってしまっていた。インターネットの噂によればそろそろ宇野大晴が留学から帰ってくるそうだ。しかも河田光友を面白がって舞台監督とか色んな所の人が声をかけているらしいがどれも断り続けているらしい。
彼の考えが分からない。
近藤颯汰は今では毎日のようにテレビで見かけるくらい有名な芸能人になった。一時はキャバクラに行く様子が取り上げられたものの、近藤颯汰の事務所が「現在はそのような場所には行っていない」と発表したため何事もなく終息した。彼からの連絡も途絶え、初めてのお客様たちは消えていった。1人は明かりの方へ。もう1人は暗闇の方へ。そして私は妖艶な場所で今日も誰かに笑顔を向ける。
そんな状況が変わり始めたのは1週間後の事。
近藤颯汰から連絡が来たのだ。
『光友って今もお店行ってる?』
突然の連絡に驚いたが連絡先が変わっていなかったことに1番驚いた。
「いらっしゃってないですけど、どうしましたか?」
『ここ最近あいつと連絡が取れないんだ。電話かけても出ないし家に行っても誰も出ない』
衝撃。その言葉以外浮かばなかった。それを聞いていてもたってもいられなくなり、主任に無理を言ってお店を出た。
「もしもし」
『ゆりなちゃんの店にも言ってなかったんだ』
「結構前からいらっしゃってなくて。河田さんの家ってどこにありますか?!」
『あいつの家に行くの?』
「はい」
『たぶんあいつ引っ越してる。だから僕の知っている家には光友はいないよ』
為す術なし。私には本当に何も出来ないのだろうか。嫌だ。
「わかりました!」
近藤颯汰との電話を終わらせ別の人に電話をかけた。
「……もしもし」
『……もしもし?』
小さい声がスマホの向こうから聞こえてくる。
「みっくんが今どこにいるかわかりますか」
『まりな、あの人の家行くの?』
久しぶりに誰かから私の名前を呼ばれた気がした。あー私の名前だ。
「探してるの、わかる?」
『最後に教えてもらった住所送るよ』
「ありがとう」
『ごめんね』
「大丈夫。じゃあね、ゆりな」
電話を切るとすぐにゆりなから住所が送られてきた。その住所を検索アプリに打ち込み目印になるものを探す。近くでタクシーを拾い大まかな住所を告げた。
「あそこか」
エレベーターに乗ってボタンを押す。その手が少し震えていることに気づいて左手でギュッと握った。
教えられた部屋の前で呼び鈴を鳴らす。しかし向こうから物音はせず、ここが近藤颯汰が言っていたマンションなのだろうと肩を落とした。
『ゆりな、さん?』
インターホンから聞こえたその声は間違いなく河田光友だった。
「いるんですか?」
『なんでここわかったんですか』
「教えてもらいました」
『中、入りますか』
「玄関まで」
『わかりました』
ガチャと音が聞こえた。ドアノブを回すと重々しいドアが開き向こうのドアから河田光友が出てくるのが見えた。
「急に来ちゃってごめんなさい」
「大丈夫ですよ」
「あの、なんでお店に来なくなっちゃったんですか?」
「……僕ね、死のうと思うんです」
「え?」
唐突に言われた言葉に信用しきれない自分がいたが、彼の様子から嘘ではないことが伝わってきた。
「なんでですか」
「僕の居場所はもうどこにもないんです。知ってるでしょ? 僕があの場所から離れた事」
返す言葉がなかった。何も知らないフリをしていたからこそ下手な事が言えなかったのだ。
「握手会」
「え?」
「握手会、来てくれてましたよね。僕の前で泣いちゃった」
なんで知っているの。覚えてなかったじゃん。
「初めてお店でまりなちゃん見た時に気付いてたよ。でも、君が隠したそうにしてたから言わなかった。なんで?」
「……えっ、と」
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