行動

『てかこいつ、きき推しの子じゃないの?』

『この間の握手イベントでみっくんの列に並んでたの見たわ』

『マジで迷惑かけるなよ』

 SNS上にはそんな言葉が絶え間なく続いた。河田光友のアカウントは、報道が出た次の日には消えたものの、ゆりなのアカウントは消えなかった。

 アカウントがある限り、この言葉を見続ける事になるのだから消せばいいのにと思った。あの報道を見てもゆりなに連絡を送ろうとは思わなかった。信じたくなかったから。

 時々気になる。いつから付き合っていたのだろう、とか。本当にあのゆりななのだろうか、とか。でもそれを知るすべはなかった。

 あの報道を受け、河田光友は活動休止を強いられRI-Tu_Mの表記はまた変わってしまった。宇野大晴はこの現状を知っているのだろうか。メンバーは河田光友にどんな言葉をかけたのだろうか。この活動休止中に彼はどう変わるのだろうか。戻ってくるのだろうか。何も分からない。

 河田光友が家に帰ってこなくなったのは、きっと彼女が出来たからだろう。

 ふと気がついた。

私はこれからどうすればいいのだろう。

 ずっと河田光友のために頑張ってきた。これからは何のために頑張ればいいのだろうか。何をすればいいのだろう。このままRI-Tu_mを応援していくべきなのだろうか。

 公式アカウントで発表された文章はなんとも刺さらないものだった。

『この度各所で報道されました、河田光友の件につきまして本人に確認を取ったところ、事実である事が確認されましたので一定期間の活動休止とさせて頂きます。熱愛報道に関しましては、弊社の方針で本人たちの自由としていましたが、SNS禁止というルール違反が見られましたのでこのような対応とさせて頂きました。日頃からお世話になっている皆様には残念な結果となってしまいましたが、これからのRI-Tu_mの活動も応援していただけますと幸いです。追記 本日よりRI-Tu_Mの表記がRI-Tu_mとなりました事、ご理解くださいますようお願い致します』

 ただ業務上のことを報告しただけで、ファンの事は少しも考えていないというような文章。推しの幸せはオタクの幸せ。でも彼が誰かを愛していて、それが幸せなのなら私達も幸せ、なんて事はない。

 この感情を打破するには、何か集中出来ることを見つけるしかないと思った。変わらないといけない。自分のために。あの日、河田光友に惹かれた日、私は変われると思った。今日、河田光友の裏切りで、また私は変われると思った。私の人生は、推しが原動力となり自分自身が行動している。もう一度歯車が回ったのだ。


「じゃあ今日からよろしくね」

「はい!」

 あれから色々考え、最終的に辿り着いた答えはここだった。お金も貰えて成長出来そうな気がしたから。キャバ嬢。二年前の私は、私がキャバ嬢をするなんて想像しただろうか。自分の部屋で引きこもり、周りと関わらずに生きて二次元に貢ぎ一生こうして暮らしていくのだろうと受け入れたあの日の私。今、こうして色んな人に接する仕事をしているなんて。そうさせたのが河田光友だという現実は憎いけど。

「初日だから、せめて3人と連絡先は交換しよう。それと、頻繁にお客様のグラスを確認して注いであげるの。会話が難しかったら相槌打つだけでもいいから。わかった?」

「はい! 全力で頑張ります!」

 ……と言ったものの、初日から上手くいくはずもなく。連絡先を渡す事が出来たのは1人だけだった。とても優しくて笑顔が素敵な人だった。

『あんな人でもキャバクラに来るんだ』

 正直大変な仕事だと思った。自分が酔わない程度でお酒を飲みつつ、会話を途切れさせないようにしなければならない。その上相手のグラスを見つつ適度に注ぐ。先輩のキャバ嬢たちは色んな人の所を転々としながら相手の細かい変化に気付いて話を振る。そんな様子を見ながら私は先輩とお客様の会話を聞いて静かに笑ったり相槌を打ったり。きっと気付かれてはないだろう努力を積み重ねる事しか出来なかった。

 しかしスタッフルームに戻ると主任から思いのほか褒めてもらう事が出来た。

「あんた、誰と連絡先交換出来たと思ってるの! 初日からあんなレアなお客様と連絡先を交換出来るなんてね」

 周りにいた先輩たちが「誰と交換したんですか?」と口々に主任に質問した。その名前を聞いて「え、マジで?」「嘘! 来てたの?」と皆が騒いだ。近くにいた先輩が耳元でこっそり囁いた。

「ゆりなが交換した人、今年ブレーク間違いなしって言われてるモデルさんよ。この間のドラマで俳優デビューして来月から公開の映画で主演なのよ?」

 彼から貰った紙をもう一度ポケットから出して確認する。そこに記された名前をスマホで検索してみる。確かにそこに表示された画像はあの時の笑顔その物だった。

「本当だー」

「知らなかったの?」

「最近あんまりテレビとか見ないんですよね」

 河田光友の一件でテレビを見る事が出来なくなった。きっと他の報道番組でも彼のことを取り上げられると思うと見れなかったのだ。

「一応連絡してみたら?」

「わかりました!」

「この人太客に出来たら一気に売り上げ上がると思うよ」

 このキャバクラは私が想像していたものとは雰囲気が違っていた。皆売り上げを伸ばすために必死で他のキャバ嬢の事を裏で悪く言うイメージ。それとはかけ離れていた。主任曰く「私がこんな性格だからだよー」と訳分からない事を言われたけど、きっとそういう所なのだろう。

「そういえばなんで源氏名ゆりななの?」

「本名がまりななので変えすぎたら自分の事だと気づかなそうだなーと思いまして」

「確かに。私もここで働き始めた時呼ばれても気付かなかったからね」

 本当は違う。「まりな」と「ゆりな」は一文字しか変わらない。なのに選ばれたのは「ゆりな」だった。私はずっと根に持っている。神崎龍輝推しだと言っていたのに河田光友と付き合った事を。その真相を確かめたい。だけどその勇気がなかった。主任から源氏名を考えてねって言われた時、この名前しかないと思った。キャバ嬢は夜の華だ。その華として相応しいのはゆりだ。そして白く可憐な花を咲かせる。私はここでゆりのような可憐な存在となる。

「明日も頑張って連絡先渡せるようにしようね」

「頑張ります!」

「じゃあお先ー」

「お疲れ様です!」

 1人、また1人と身支度を済ませて店を後にする。まりなはスタッフルームであの人に電話をかけた。

『本当に出るのかな』

 コールが1回、2回と鳴る度に『きっと出るわけがない』という思いが強くなった。

『もしもし』

「え」

『電話、かけてきてくれたんですね』

 彼の溶けるような優しい声に胸がぎゅんっと締め付けられる。

「……今日はありがとうございました」

『いえ、僕の方こそありがとうございました。もし良かったら明日も行っていいですか?』

「え! ぜひ、お越しください」

『ゆりなさんいますか?』

「いますよ」

『良かった。いないんだったら行く必要ないなって、思っちゃいました。じゃあまた明日』

「あ、はい……」

 電話を切ってからもスマホの画面を見つめる。その中に彼がいるわけではないのだが、もう一度彼の声が無性に聞きたくなった。

 検索アプリを開いて「近藤颯汰 動画」で調べる。いくつか検索が上がった後トップの動画を開いた。

「近藤颯汰です! 僕が出演するドラマ、貴方は1人が今夜スタートします! 第1話となる今夜は15分拡大版となっているので、ぜひご覧下さい」

 3ヶ月ほど前の動画。

「そういえば3ヶ月前にみっくんと出会ったっけ。あ、このドラマみのる君主演のドラマじゃん。主題歌聞きたくて1話は見たけどそれ以降見れなかったんだよね。出てたんだー」

 好きになった当時が恋しい。あの幸せな時が戻って来ればいいのに。

 荷物を持って店を出る。夜は明るい。人間の欲が作り出した灯りは誰かに取っての癒しなのだ。

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