野心

「そこのお姉さん、今時間あります?」

 そう声をかけられたのは、握手会に参加した1週間後のことだった。この日も物件探しとバイト探しであの会場から近い場所をウロウロしていた。その帰り声をかけられたのだ。

「あー、今から帰るところで」

「ちょっとでもない感じですか? ホストとか興味ないかなーって思ったんですけど」

『ホスト?』

「うちの店すぐそこで! 初回は──」

 途中から何を言っているのか分からなくなった。数字の話ばかりされたから。そもそもお金もないのに行けないよ。

「すみません、あんまり興味ないで……」

「そうですか……。もしかしてキャバ嬢だったりします?」

『いつになったら解放してくれるのだろう』

「……違います」

「えー! お綺麗だったのでそういうお仕事されてるのかと思いました。もし今お仕事探されているならお姉さんには結構おすすめですよ!」

「そうですか、ありがとうございます」

 無理矢理その場から逃げる。男も追いかけては来ないようだ。それはそうか。いくらそういうお店が多い道でも人目は気になるのだろう。それに私が大声を上げれば直ぐ周りから視線を集めることになる。そうなればあの人もお店にいられなくなるかもしれない。個人の売上があまり良くないからあんな事をしているのだろう。

 お昼に見学に行った物件を思い出す。1人で住むには丁度いいし土地のわりには家賃が安かった。ほとんどあそこで決定だ。あそこで住み始めてもしばらくは親からのお金でやっていこう。それから仕事を見つければいい。

 時間を確認するためにスマホを開いた。SNSから通知が来ていた。公式アカウントからではないようだ。アプリを開いてみると私宛のメッセージが届いていた。

「みっとさん?」

 そのメッセージは、私と同じくRI-Tu_Mが好きな男性ファンからだった。RI-Tu_Mのファンの方と会話をするのはゆりな以外誰もいなかったのでワクワクした。

『はじめまして! まりなさんの投稿を見て声掛けてみたくなりました! みっとって言います。よろしくお願いします!』

 その方のプロフィールには『メンズりっつ』とだけ書いてあった。

『はじめまして! 投稿見ていただきありがとうございます! よろしくお願いします』

 こういうメッセージは初めてなのでどう会話を繋げればいいのか分からない。

 みっとさんからのメッセージは案外早く返ってきた。

『努力して綺麗になった人って輝きが違いますね! まりなさんはみっくんが好きなんですか?』

 不覚にも1行目のメッセージにドキッとしてしまった。こんな事を男性から言われた事がなかったので免疫がないのだ。

『ホントですか?! ありがとうございます笑 みっくん推しです! みっとさんは誰推しですか?』

『僕もみっくん推しです!』

『一緒ですね! RI-Tu_Mの男性ファンの方に初めて出会ったので凄い嬉しいです!』

『周りの友達でRI-Tu_Mファンの男探してるんですけど、全然見つかんないんですよ涙』

『少ないですよね……。でも絶対増えると思いますよ! 男性受けの良さそうなかっこいい曲とかいっぱいありますからね!』

『ですよね……!』

 みっとさんとの会話はずっと続いた。楽しかった。男性から見えるRI-Tu_Mのカッコ良さとか面白さをいっぱい教えてくれたから。私たちはいつしかRI-Tu_M以外のプライベートの話なんかをするようになった。みっとさんが案外近いところに住んでいるとか実家で飼っているポメラニアンが最近お母さんになったっていう話とか。本当に楽しかった。

 その頃からゆりなの連絡が遅くなった。仕事が繁忙期に入ったらしい。彼女がどんな仕事をしているのか私は知らない。それでも彼女の時間を優先してあげなければならないという思いから、自分から連絡をすることもあまりなかった。

 そんな時でもみっとさんは私の話し相手になってくれた。ゆりなの話も名前を出さないように相談した。

『イベントで仲良くなった友達が今忙しいみたいで、なかなか連絡も取れてなくて寂しいんです。RI-Tu_Mの話とか出来るのその子だけだったので……』

『そっか……。せめて連絡が取れるようになるといいんだけどね。でもその子の時間を優先してあげようと思えるまりなさんは優しいね』

 みっとさんからのメッセージは私の心の支えとなっていた。彼とは会った事がないけれど、すぐ隣にいるような温かさが言葉に詰まっていた。

 ある日私は彼に口を滑らせてしまった。

『私、みっくんの家知ってるんです』

 どういうつもりでそれを送ったのか分からない。でも気がつくとみっとさんからの連絡が来ていた。

『ほんとに?』

 そこで辞めればよかったのに、私は少しずつ壊れ始めていた。

『はい。みっくんがマンションに入っていくの見たことあるんですよね』

 あれは、私がホストに声をかけられた3日後くらいの事だった。夕方頃、バイト探しのために新居近くをウロウロ探索していた。最初は気が付かなかった。その人が近くの公園で揺れるブランコを写真で撮っている姿を見かけた。変な人だと思った。その夜、RI-Tu_MのWebを更新したのは河田光友だった。

『公園のブランコ久しぶりに座ったー! 風が気持ちいいね! この写真は乗り終わって揺れてるブランコ笑』

 その写真には夕方に見たブランコが写っていた。周りの景色は正しくお昼に見た光景のままだった。次の日、私はその公園に向かった。また来るかもしれない。Webには久しぶりと書いていたので、きっと来ない可能性の方が高いと思う。それでも少しの可能性を信じて河田光友を待つことにした。

 彼が現れたのは昨日と同じ夕方頃だった。彼はおもむろにブランコに近づき座った。ゆっくりゆっくりこぎ始め、決して高くは上がらないようにこいでいた。

『きっと疲れているんだ』

 そう思った。

 私は彼が帰るまで、ずっと影で見守った。公園を出てからも後を追いかけた。ストーカーしたかった訳では無い。彼を私が見守ってあげたかった。行き着いたのは都内でも有名なマンションだった。見上げるほどあるそのマンションに、河田光友は迷いもなく入っていった。それ以上は近づけなかった。セキュリティがしっかりとされていたから。

 それから毎日私はそのマンションの前で河田光友を待った。毎日そこから出てくるので河田光友の家で間違いないのだろう。どの部屋なのか分からないのが残念だけど。私は推しの家を見つけ出したのだ。

『そうなんだ』

 みっとさんからの返信はそれだけだった。その返信を見てようやく言ってはいけないことだったと気が付いた。

『まあ、1度見かけただけなので本当かどうかは分からないんですね』

 みっとさんが既読をつけることはなかった。ブロックされているわけではなかったので、きっとゆりなと同じで忙しいのだろう。

 そんな呑気な事を考えていられたのは1週間だけだった。

 夜、河田光友のマンションの前で彼が帰ってくるのを待った。しかし、どれだけ待っても帰ってこなかったのだ。きっとテレビのロケとかで泊まりがけなのかもしれない。明日か明後日には帰ってくるよ。そう期待してずっと彼を待った。

「今日も帰って来ない」

 1週間、2週間と待っていても彼は現れたなかった。でもテレビの生放送には笑顔で出ている。

『ホテルに泊まってるのかな?』

 テレビを見ながらSNSを開く。今日も色んな人が推しの事を語っている。それを見ながら私もニヤニヤする。

 ワイドショーがそれを放送したのはまもなくの事だった。

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