接触
ついにこの日がやって来た。
あれから2ヶ月間もの間私はダイエットを続け、自分磨きに専念した。これまでは二次元に課金してきたが、河田光友に出会い、自分を変えたくて自分に課金しそれにより自分が変わっていく姿に心が大きく揺れた。三次元に触れ続けることが楽しいと思ったのだ。
そしてついに今日、本人に会えるのだ。本当に偶然、チョコの中にプレミアムカードが入っていた。神様はきちんと日頃の行いを見てくれているのだと初めて実感した。そうなるともう本当に自分磨きをしなければならないと気付き、昨日まで全力を尽くしたのだ。
会場はもう目の前。たくさんのファンが友達とキャッキャしながら会場に入っていく。
『私もオタ友ほしいなー』
その光景を羨ましく思いながらチケットをスタッフに見せ、中に入っていく。少し会場に入っただけなのに心拍数が一気に上がる。この同じ屋根の下に推しがいる。そう思うとおでこの方が熱くなってきた。プレミアムカードを持っている人は一般より少し遅い時間にスタートのようだが、勿論プレミアムカードを持っていようと一般の握手券も持っているので普通に握手会には参加する。一般は10秒間の握手タイムが設けられているようだ。
メンバーそれぞれの列が準備されており、自分が会いたい人の列に並ぶ。河田光友の列を探し並んだ。まだ握手会が始まっていないので皆パイプ椅子に座ってその時を待つ。
後ろに並んだ子たちの話し声が聞こえてきた。
「みっくんの後誰行こうか! ききにも会いたいけど1番人気だからめちゃくちゃ待たないとだよね」
「だよね! でもなんか意外とたつ兄にも会いたいんだよね」
「あんたたっちゃんの事推しじゃないのに好きだよね」
「だって絶対たつ兄はサバサバ系じゃなくてツンデレなんだよ!」
あ、それ初見で私も同じ事思った! とは初対面の人に言えるわけもなく話を聞き続けた。
「でもシングルめっちゃ買ったし全員回れるよね。時間との勝負だけど(笑)」
そういう事も出来るんだ、と思いながら時計を見ると握手会スタート1分前となっていた。再び心臓がバクバクと鳴り始める。頑張って呼吸を整える。
すると前に座っていた女性が私の方をパッと見て「緊張します?」と聞いてきた。そんなに顔に出ていたのだろうか。
「はい……。初めてなんです」
「そうなんですか! 緊張しますよね。私も初めて会う時緊張しすぎて何も言えなかったんです。それが凄く後悔してて。でも今日は頑張って10秒で気持ちを伝える練習をしてきたんです!」
拳を握りニコニコしているその人を見て少しだけ気持ちに余裕が出来た。10秒でもこんなに緊張するのに5分間も喋る事が出来るのだろうか。気まづいとは思われたくない。
「始まりますね」
時計を見ると時針は10時を指していた。
前方で歓声が上がる。メンバーが出てきたのだろう。落ち着いていた心臓がまたしても弾ける。
「緊張しすぎて死にそうです」
「やばいですよね! 私もなんか緊張してきました。推しがひとつ屋根の下に居るって考えただけでもうなんか色々やばくて! 同じ空気を吸っているって考えただけでも幸せに死ねそうですよ」
その表現に可笑しくなり「ははっ」と笑うとその人も一緒に笑ってくれた。
「この感じだとあと10分は待ちそうですね」
「10分しかないんですか」
「この10分で伝えたい事まとめておきましょ!」
「なるほど!」
何を伝えるべきなのだろう。「好きです」なんて全員が言うことだろう。それはなんか勿体ない気がする。確かに好きな事は好きなのだけれど、どうせなら記憶に残ってほしいと思う。こんなに努力したのだから10秒間の女になりたくない。この後のプレミアムで会った時に「あ! さっきの!」って言ってもらいたい。
「あの、もしかして……」
女性がもう一度私に声をかけてきた。
「もしかして、SNSされてます?」
「え、はい。してますよ!」
「え、じゃあもしかしてまりなさんですか?」
「え?! 知ってるんですか??」
衝撃だった。私のフォロワーなんて現状200人しかいないのに私を知ってくれている人に出会えるなんて。
「覚えてらっしゃるか分からないんですけど、確か2ヶ月ほど前くらいに投稿に返信したんですけど」
「2ヶ月くらい前はダイエット始めたすぐですね!」
「私が返信した投稿は確か、アイテープが上手くできないーみたいな投稿だったんですよ。それに輪郭スッキリしました? ってめちゃくちゃ関係ない返信したんですけど」
「え! あれそうだったんですか??! あの返信にめちゃくちゃ元気もらって! 今でも良くその返信見返してるんですよ」
「そうなんですか! めちゃくちゃ努力してる方だなって印象に残ってたんです! こんな所で会えるなんて」
本当にまさかこんな所で会えるとは思っていなかった。これは何かの運なのだろう。
「あの、もし良かったらこの後どこかで食事しませんか?」
「ぜひぜひ! あ、でも私プレミアムの方にも参加予定で、待たせてしまうかもしれないんですけど」
「そうなんですか! 実は私もプレミアム参加するんです!」
お互いプレミアムカードを見せ合い笑った。握手会ブースがすぐ近くまで迫っているのが見えた。
「まりなさんはみっくんとお話されるんですか?」
「はい! えーと」
「あ、ゆりなって言います!」
「ゆりなさんもみっくんですか?」
「お話したいのはききなんですよね。1番好きなのはききなんです。でもききって1番人気だから握手おざなりにされがちで」
「そうなんですか」
「でもみっくんの対応はめちゃくちゃ良いって聞いた事あるので今日はこっちに来てみたんですよね。なんかすみません」
「いえ! 今日こうやって会えたのもそのおかげってわけじゃないですけど、何かしらの運なので」
「ですね!」
「次の方どうぞー」
スタッフの方がゆりなさんを招く。もうすぐそこに河田光友が居る。少しだけ声が聞こえてきた。手が冷たくなってきた。必死で温める。
「次の方どうぞー」
固まる足を前に踏み出し歩く。1歩進んだだけでその姿が見えた。目が潤む。
華奢な印象の割りに身長は高く、緩くかけられたパーマがとてもふわふわして見える。トイプードルのようなその見た目でふんわりとこちらに笑みを浮かべる彼に涙が零れてしまいそうだった。
「はじめまして」
「は、はじめまして」
声が震える。
あ、ゆりなさんが言ってた事、本当だな。言いたい事があったけど全然言えない。
頭に手が乗る。顔を上げると河田光友が私の顔を覗き込み。
「来てくれてありがとう」
そのビジュアルの良さに圧倒されると同時に、自分の頭にずっとテレビで見ていた人の手が乗っかっているという現実が一気に私に襲いかかる。
顔が暑くなる。きっと真っ赤だ。恥ずかしい。
「お時間でーす」
時間がゆっくり進んでいるような感覚がする。ゆっくりと解かれる手と頭に乗っていた手が離れていく。嫌なのに、推しに迷惑をかけたくないから足が勝手に出口に向かう。見えなくなるまで頑張って手を振る。「またね」と小さく聞こえた。
涙が止まらない。出口を出るとゆりなさんが待ってくれていた。
「どうだった?」
「緊張しすぎて何も言えませんでしたー」
流れる涙が悔し涙から起こるものなのか、ついに推しに会えて嬉しいから起こる涙なのかはわからない。
「でも私たちにはプレミアムがあるじゃん!」
「そうだよね……」
気付けばお互いから敬語がなくなりタメで話をしていた。
「プレミアムはあと2時間後にスタートだからどうしよっか」
「私一応3形態全部買ったから握手券3枚あるんだよね。あと2枚だけど他の人回ってみようかな」
「いいかもね! 私もききのところ行ってみる! プレミアムが終わったらどこかで待ち合わせしよ!」
「そうだね! 連絡先交換しておく?」
「うん!」
連絡先を書いた紙を交換し私たちはバラバラに別れて列に並んだ。あと2人に選んだのは板倉みのると沢田辰月だ。まずは板倉みのるの列に並ぶ。
他の列を見て気付いたことがあった。メンバーによってファンの雰囲気が違うことに。ファンはタレントに似ると言ったものだ。板倉みのるのファンはおしとやかな子が多い気がする。河田光友は壁のない明るい雰囲気のファン。沢田辰月はお姉さん系の美人なファン。神崎龍輝は活気のあるファンといったところだ。
「次の方どうぞー」
さっきも同じ事を思ったが、テレビの中の人は何故か「本当は存在しないのではないか」と思ってしまう。だからこそ、目の前にいるのが不自然だと感じる。ただ河田光友の時と違って普通に握手できるのは、めちゃくちゃ推してるってわけじゃないからなのだろうか。板倉みのるの雰囲気は何だが落ち着く。お父さんと言いたくなってしまう。それほど年齢は違わないのだけれど。
次は沢田辰月の列に並んだ。後ろに並んだ子達が「うーくんにもいてほしかったなー」と言っているのが聞こえて可哀想だと思った。仮に宇野大晴のファンの子がプレミアムカードを当てていたとしても最推しには会えないのだから。私は幸せなのだろう。普通に喋ることは出来ないけれど。
「次の方どうぞー」
「はじめまして」
「はじめまして」
「応援してくれてありがとう」
定型文だ。
「応援させてくれてありがとうございます」
沢田辰月がパッと目を開く。「ははは」と笑った。やっぱりツンデレ系なのかもしれない。
「いえいえ、こちらこそ」
後ろの子達の声が聞こえた。
「え、沢田くん笑ってなかった?」
「絶対笑ってた」
「え、見れたの羨ましすぎるんだけど」
「お時間でーす」
手を解くと沢田辰月は笑顔いっぱいで私に手を振った。
「じゃあね」
『うわ、可愛い』
あれはずるいアイドルだなー。なんて思いつつ時計を見るとあと30分ほどでプレミアムの方が始まる時間となっていた。会場のファンは少しずつ減ってきており、残っているのはプレミアムカードをゲットした人だけとなっていた。だいたい100人くらいだろう。
会場の隅の方で時間が過ぎるのを待った。盗撮防止のためにスマホは使用禁止となっていた。
会場内に放送が流れる。
「RI-Tu_M握手会にご参加されているお客様にお知らせです。プレミアム握手会がこの後スタート致します。現場のスタッフが会場の準備を致しますのでしばらくお待ちください」
その放送が終わると同時に近くにいたスタッフたちがプレミアムカード確認ブースと、推しと会話をするブースを作り始めた。
こういう時ってファンを外に出さないのかな、と思っていると近くにいた人が「会場設営の様子見せてくれるのってRI-Tu_Mだけだと思うんだけどどうなんだろ」と会話しているのが聞こえた。意図的にそうしているのか。
設営の様子を見ているだけでどんどん時間は過ぎていき、ようやくプレミアム握手会がスタートした。
メンバー1人につき25人までとルールがあったため皆が推しの列に走った。運良く私は目の前が河田光友の列だったため、すぐに並ぶ事が出来た。
どんどんファンが分散されていき、25人ずつとなったところでプレミアムカードの確認が始まった。まれに偽造のものを出してくる人がいるらしい。確認を済ませた人から会話ブースの前に並んでいく。1番前の人はもう既に会話を始めていた。
今度はきちんと話すことができるだろうか。さっき抱いた願いは叶うだろうか。
着々と自分の番が迫ってくる。カバンに入れてあるスマホがブーと鳴った。誰から連絡が来たのだろう。メンバーはそこにいるから公式アカウントではないだろう。投稿もしてないから返信も来ないかな。そんな事を考えていないと時間の流れが遅く感じて仕方ない。
「次の方どうぞー」
ついに私の順番が回ってきた。
「あれっ! さっき泣いちゃった子じゃん!」
覚えて、くれてた?
「やっぱりそうだよね! 当たってたんだ! 僕のところに来てくれてありがとう。また会いたかったんだ」
こんなの勘違いしてしまう。
「さっきは、ごめんなさい」
「大丈夫だよ! むしろなんかフォロー出来なくてごめんね?」
人懐っこいタイプだ。可愛すぎる。
「初めてこういうイベントに参加して、本人目の前にしてびっくりしちゃいました」
「嬉しい! どういうきっかけで好きになってくれたの?」
「新曲を初披露してた歌番組で初めてお見かけして。笑った顔が凄く可愛かったんです。ずっと二次元にしか興味がなくて、二次元で好きなキャラがいるんですけど、そのキャラを三次元に移したような存在だったんです!」
今度はしっかりと目を見て伝える。
目を細めて笑顔を向ける河田光友は正しくアイドルだった。
「こんなに素直に言ってくれた子初めてかも。めっちゃ照れる。名前はなんて言うの?」
「まりなって言います」
「まりなちゃん! 覚えたよ!」
きっと3ヶ月後に会ったら忘れてるんだろうなって思いながらも嬉しくてたまらない。
「私、みっくんに出会って変わろうと思えたんです。ずっと部屋で閉じこもってるような性格だったんですけど、みっくんの為に可愛くなりたいとか痩せようって思えたのはみっくんのおかげです!」
「本当に?! 僕、人の人生変える事の出来る人間だったんだ! 努力したんだね。偉いね」
そう言ってまた頭の上にポンと手を乗せた。
他の人にもこんな事をしているのだろうか。もしかしたら自分だけなのだろうか。そういえば私の事、覚えてくれてたし。はじめましてで頭に手を乗せるって距離感凄いよね。気がある、ってわけじゃないよね?
「時間でーす」
「え! 早すぎ。もっとまりなちゃんとお喋りしたかったのに」
名残惜しそうに河田光友は私の手をギュッと握りしめた。
「でももう時間だって」
「そうだよね。またイベント来てね?」
「絶対来ます!」
「ありがとう。またね」
両手で手を振る姿はまさに犬。保護したくなるくらい可愛い子犬そのものだった。
『こんなの、好きになるなって言う方が難しいじゃん』
会場を出てスマホを確認した。メールの送り主はゆりなだった。
『私はもう会場出たよ! まりなはまだっぽいかな? 会場出てすぐの噴水前で待ってるね』
メールに返信してすぐに待ってくれているゆりなの元へ走った。風が身体を撫でる。その感触が凄く心地いい。自然と笑みが零れる。
「お待たせー!」
その声にゆりなは私の存在に気付き大きく手を振った。2人で近くのカフェに行き、たくさん話をした。推しの事、ダイエットで気を付けていた事、ゆりなが飼っているペットの事。その話の中で一番印象に残っていた事がある。ゆりながペットと散歩をしている時に偶然プライベートの河田光友に会ったという事だった。しかもプライベートでも壁のない河田光友はペットに気が付き「可愛いですねー!」などと声をかけてきたらしい。アイドルらしからぬ対応にゆりなは腰抜け、「一般人とそんな普通に喋ったら駄目ですよ!」と説教めいた事を言ってしまったらしい。
この話を聞いて私が感じたのは『プライベートの推しが存在しているのだ』という事だった。これまでテレビの中だけの人だと思っていたが、実際今日本人を目の前にして生きている事に感動した。そんな人間がテレビとは関係の無い場所で息をしているとなれば会ってみたい。
「ゆりなはこの近くに住んでるの?」
「うん。職場から近いし会場から近いしね。一石二鳥って感じ。この辺りもよく散歩してるんだー」
「そうなんだ!『……この辺りなんだ』」
「まりなは?」
「ちょっと遠いけど、バスで1時間もかからない場所!」
「じゃあ私たち、結構近い場所にいるんだね!」
「そうかも! めちゃくちゃ嬉しい」
その後、私たちは次に会う約束をして解散した。
帰り道、私はなるべく遠くのバス停を探して歩いた。この付近の不動産を探すために。
「見た目良くなっても、お金がないのかー。私」
ずっと親のクレジットカードを使ってきたが、そろそろ限界だ。なるべく時給の高いバイトも探さないと駄目だ。推しのために。
テレビの中の彼で変化に挑み、目の前の彼で自立を感じた。もう一度変わる時なのだと。
そして、変わった姿で彼に会いに行く。次のライブまで、私の存在を忘れてないといいな。
空を見上げると、黒い空が紫色に染った空を喰らい尽くそうとしていた。野心。今度はそれで自分を行動させる。
私は暗闇の中に吸い込まれるようにしてバス停を探した。
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