第5話

 「……」

 昨日は余り眠れなかった。

亜里香をホテルへ送っていった後、直ぐに帰宅しベッドに入ったが、安らぎなど皆無。見た物事を忘れられる訳もなく、酷い顔色のまま今日もオフィスにてパソコンを開く。


「あ、おはよう御座います。」


「..あぁ、おはよう。」

寝不足に頭を押さえていると、亜里香がオフィスへと入ってきた。亜里香は軽く挨拶を済ませると、そわそわと落ち着かない様子で隣のデスクに座った。


「……あの、やっぱり眠れませんでした?」


「..君も?」「はい..。」

 化粧で余り目立たないが、どうやら彼女もこちらと同じ態勢のようだ。無理もない、昨日あの場所で見たものは何もかも未知なものばかりで整理すらつかないようなおかしな出来事が起こりすぎていた。かえって平然としていないだけ安心できるというもの。


「忘れようとしたけど無理だったよ。」


「ですよねぇ..。

私も、無理だったので逆に考えちゃいました」


「え?」 

「どうしてあの場所に連れていかれたのか。どうしてあんなものを見させられたのか..」

寝不足の理由はトラウマや恐怖による不安ではなく、長い時間思考した事で生じた単純な疲労によるものだった。


「..で、何かわかった?」


「うーん..これはあくまで憶測ですけど、あれは唯の幻想的な光景では無いと思うんです。」


「‥うん、ていうと?」


「大喜寺さんの、過去の記憶とか...。」


「..過去の、記憶...」

当然あんな風な奇怪な過去など持ち合わせてはいないつもりだが、それを聞いて改めてあの部屋で老人が放った最も記憶に残っている一言が頭に思い浮かんだ。


    〝思い出せ〟


「う〜ん..」「何か、心当たりあります?」

思い出すも何も、そんな過去が無い。凄まじく幼い頃の記憶か、だとすればどちらにせよ自力では思い出しようがない。


「あるとすれば、いや...」「なんです?」

思い出そうとしてやめた

関連性を見出せなかったからだ。


「……」「言わないとダメ?」

素早く首を縦に頷いた。

真剣な眼差しからは、逃れられそうもない。


「実は…」


「随分仲が良いな。」

背後から、嫌味っぽい声が会話に割って入り無理矢理に静止する。そっと肩に置かれた薄い掌で直ぐに誰だか判別出来た。


「課長っ..‼︎」


「それもお得意の〝人脈〟か?

出ていきたきゃあ直ぐにそうしろ、嫌なら早く仕事に取り掛かってくれ。」

皮肉な口調で嫌に諭して指摘する、冷めた態度と見たままの風貌から「鉄眼鏡」と呼ばれている。一方的に健太自身がただそう呼んでいるだけだが、確実に天敵といえる相手だ。


「あんの野郎っ...!!」


「..厳しい雰囲気の方ですね。

私が入ったときもそうでした、恐いですよね」


「入ったとき? 

それって昨日じゃないの?」

そういえば車で送っていたときも似たような事を言っていた、前にも会社から送られた。


「実は、その一日前から所属していたんです。

大喜寺さんが来てからもう一度挨拶してくれって頼まれて..課長さんから。」


「なるほどね」

舐め倒された屈辱の行使だ。

早い話が〝口で言ってもわからないだろうからもう一度始めてをやり直してやれ〟という事だろう。


「あんの野郎っ...‼︎」

正式に言えば、課内がドライなのでは無く単純に健太が課長に嫌われているから飲み会や他の集まりが開かれないのだ。亜里香はそれの恩恵を受けた、もとい巻き添えを食らった被害者なのである。


「仕事、済ませちゃいましょうか..?」


「..そうだね」

 いつか絶対に独立して見下してやる、常に強い意志でそう考えている。頼みの綱は権田だが、彼はあくまで余暇を楽しむ友達として誘ってくる事が多い。正直最近は、金目のチャンスは無いように思っている。スキルを磨こうと模索してはいるが何から手をつけていいかわからず、だからこそ人脈を求めて開拓しようと目論んでおるのだ。


「はぁ‥。

いつになったら出会える事やら..」


「良い人にですか?」


「まぁ、そういうトコかな。」


「いつか出会えますよ。」「だといいけど」

感情の無い事務的なキーボード音が質素に響いて画面に文字を次々と表示させていく。

文字には一切意味は無い。せめてそれが復活の呪文であったなら、何かをもう一度やり直すきっかけになれただろうか?

などと無駄な事を考えながら、生産性の無い下らない業務に貴重な時間を費やしていく。


「…〝思い出せ〟か...。」

過去に想いを馳せたなら、現在いまの何かが変わるだろうか?

これもまた、無駄な勘繰りなのだろう。

もしこの勘繰りに何か意味があったなら、古い記憶を無理矢理に掘り起こす事にも利点を見出す事が出来るかもしれない。


「昔の事、おばちゃん達に聞いてみよう。」

還る場所として通っていたが、情報源として自分の事を聞く場所としては尋ねた事が無い。


「私も行きますっ!」「‥え?」

独り言のつもりだったのだが、聞き耳を立てられていたようだ。結局のところお互いに仕事に気を回していなかったらしい。


「すみません、さっきの話の続き..どうしても気になっちゃって。聞かせて下さいっ!」


「....うん、まぁいいよ。

丁度〝その事〟も聞いておきたかったし」

 その日もまた勤務後、ラーメン屋へ向かった。何故か再び自販機で水を買っていたが、初回より気に留める事は無く静かに待機した。鍵を使えばまたもや異変が起きるのではと一時焦ったが問題は生じず、スムーズに車を運転する事が出来た。気まぐれなのか、とにかく溢れる周囲の〝普通〟に感謝しながら道を進む。ギリギリまで気を張り警戒し続けていたが、最後まで異変は起きずになんとか目的地に無事辿り着く事できた。


「おばちゃんただいま」

「おや、おかえり健太くん。」

引き扉をガラガラと音を立てて開け、挨拶するといつもの優しい笑顔で実の母親のように優しく穏やかに言葉を返してくれる。


「私も来ちゃいましたっ!」「あら!」

空いた入り口から、ひょいと顔だけを出して笑顔を向けると同じく相手も微笑み返す。


「二日も続けて来てくれるなんて、このまま常連さんになっちゃったりしてね!」


「ふふ、ココ美味しいから普通に有り得る事ですよ。私昨日と同じ、ラーメンと餃子で!」


「オレも同じ、いつものやつ貰える?」


「はい、かしこまり。

いつものやつと昨日のやつね〜!?」

厨房に呼びかけると、何も言わずに火をかける音が聞こえ始める。これだけのオーダーで何を作るべきか把握出来ているのだ。店を始めて随分経つが、店主がオーダーを間違えた事は過去に一度としてありはしない。


「何度もありがとうね、この時間いつもお客さん少ないからやる事なくて。健太くんはいつもの事だから慣れてるけどね」

お冷をテーブルに並べて笑顔で礼を言う。

亜里香は軽く頭を下げて、照れ臭そうに出されたグラスを口元へ傾け水を飲んだ。


(さっき買ってたのにそっち飲むんだ..)


「…っと、そうだおばちゃん。今日はご飯もそうだけど聞きたい事があって来たんだ。」


「聞きたい事? 

あら何急に改まって。」


「大喜寺さんの、過去についてですっ!」


「..え?」

健太を出し抜きそれを先に口にしたのは亜里香の方だった。朝に口走った健太の言葉が行動を早めたのだろう。


「健太くんの過去?

..確かにこの店には小さい頃から通ってくれてるけど、そんなに言うようなほど珍しい事が過去に起きてたっけねぇ...。」


「何でもいいんです、どんな過去の話でも!

幼少期や青年期、時期はいつでも構いません」


「あらまぁ...そんなに知りたいのかい?

ふふふ..待っててね、何か思い出してみるわ」


「……うん、確かに助かるけど..うーん..。」

亜里香が強く望んでいる事で意味合いが少しよじれて伝っている気がしてならない。

変な勘繰りはよせ、ただ情報として知りたいだけだ。唯本当にそれだけなのだ。


「とは言ってもねぇ..健太くん小さい頃からあんまり友達いなかったから、遊ぶ場所といったら専らこの店だったのよ。たまに公園には行っていたみたいだけどね」


「‥そう、その公園!

それが知りたかったんだけど、前に珍しく人と遊んでた事があったんだよ。一度くらいはこの店にも連れてきた事があったと思うんだけど、その子の事覚えてないかな!?」


「遊んでた子...あぁ、そういえばいたねぇ。

あの男の子、名前は確か...孝史くん!」


「孝史?

....そういえば居たなぁ、そんな奴。」

 思っていた人物とは違かったが過去の断片を余分に一つ思い出した。名字は忘れたが名前は孝史、同じ歳くらいの男の子で読み方が面倒な為よく周囲に「たかし」と間違えられていた。本来は「たかふみ」という名前だ。


「あの子、今どうしてるかねぇ..。」


「そのよく遊んでた公園って、この辺ですかね。何処にあるんでしょうか?」


「もう少し行った先に直ぐあるよ。普通の公園だから、何も面白く無いと思うけどね」

 幼い頃の健太は、毎日公園で遊び相手を探しては見つからず泣きながらラーメン屋へと訪ねていた。それが習慣付いたのか、未だに店に通っている。当時は頼めなかった憧れのチャーシュー麺を毎日注文しながら。


「孝史は覚えてるんだけどさ、もう一人いたよね。あの子の名前、覚えてないかな?」


「もう一人..はて、いたかねぇ?

他にはいなかったと思うけど。私が聞かされたのは孝史くんだけだよ、この店に連れてきた事があるのもあの子だけだよ。」


「…え、いや..そうだっけ?

話した事あった気がするけど。ていうか、多分絶対話したよ! 知ってる筈だって!」


「そうだったかねぇ..覚えてないよ。」

惚けている訳でもなさそうで、正式に頭の中の〝記憶に無い〟といったところだ。


「おばちゃんも覚えてないのか..」


「それでも、充分な事を教えてくれましたよ。

有難う御座います。これ、お題です。」

カウンター席のテーブルの上には二人分の料金を払う二千円に、更にもう二千円が置かれていた。


「ちょっと、少し多くない?」


「昨日の分です、どちらも私の奢りです。

さ、例の公園に行ってみましょう。何か他に分かる事があるかもしれません、場所は知っていますよね? それでは参りましょう!」


「あ、ちょっ..!」

〝釣りはいらない〟といった具合に勇ましく健太の腕を取り身体を引っ張りあげて店を出る。大人しく穏やかに見えたが意外にも大胆な側面を持ち合わせているようだ。


「ごちそうさまでしたっ〜‼︎」

出ていく二人に笑顔で手を振り見送った後、おばちゃんは再び業務へ戻る。


「帰ったのか?」


「…ええ、帰りましたよ。」

カウンターの内側で紙幣を確認しながら背中で静かに返事をかえす。


「教えてやったらどうだ、本当は全部..」


「本当に何も知らないのよっ!!

..私は知らない、何も無かったのよ。

全部終わった事なの。すべて〝あの日〟で、ぜんぶ終わった事なんだからっ....‼︎」


「……ああ、そうだな

何もかも全部..終わったことだ。」

脂と共に洗い流すべき過去の出来事、しかし一度付いた汚れは簡単には拭えない。



「終わりませんよ? 

わかっているとは思いますが」

それが〝シミ〟となりこびり付けば尚の事。


「誰ですか、あなた達は⁉︎」


「聞いているのはこちらの方です」

長いコートを着ている二人組、手元に握り行使しているのは権力を象徴する証明書。


「お話..聞かせてくれますね、夫婦様方?」


「……」

終わりを決める、自由すら無い。

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