第4話

 「もうそろそろかな?」


 「はい、もう少し先です。」

 カーナビを入れてはあるが、ホテルの場所は独断で大体分かる。今の会社に入ってからはずっと同じこの街に住んでいる、迷うという事は余り無い。


「‥でもおかしいですね。」


「ん、どうかした?」


「いえ。以前にもこの辺の道を会社から送って頂いた事があるですが、こんなに時間がかからなかった気がするので..。」


「確かに。

ちょっと掛かり過ぎな気がするな」

ラーメン屋からホテルまでの道のりは、せいぜい長く掛かっても10分かかるかどうかくらいのものだ。道に迷っていない限りは、どう頑張っても20分は掛からない。


「カーナビも動いてるし、そもそも慣れてるこの辺の道を迷う筈もない。..おかしいな」

そういえばずっと違和感がある。

いつもの道と比べると、少し〝色〟が違う。


「太陽が落ちてるから?

いや違う、これはまるで街全体が...」


「大喜寺さんっ、景色がっ..‼︎」


「‥えっ!?」

車の窓から見える景色がカメラフィルムのようなネガ反射を起こして黒光りしている。


「なんですか、これ..?」


「…医務室で見たのと同じだ。

黒い世界、頭痛と一緒に流れた映像」

建物も床も何もかも黒く光り、刻を止めたかのように静寂が纏わりついている。


「..車を降りよう。」「え?」

プレーキを踏み、扉を開けて外へ出る。

一歩地に足を踏み出した瞬間、街並みすらをも変えてしまった。何も無い更地の盛り上がった坂道、それが長くただ続いている。


「..何処ですかね、ここ?」


「わからない、けど進むしかない

真っ直ぐにしか道が無いから。」

車は何処かに消え、前にのみ坂道が続いている。後ろには道が無く、途切れたように白い光の壁のようなものが張られている。


(足音もしない、風も吹かない。)


「ここで何をしろっていうんだ?」


「..さぁ、そもそも意味なんてあるのでしょうか。ここが何処かもわからないけど」

暫く道を歩いていくと、一つの小屋の前に差し掛かる。小屋に入り口と見られる扉が付いており、ノブを回すと鍵が掛けられていた。


「開かない、誰か住んでる?」


「どうにか開ける方法は無いのでしょうか」


「ちょっと待って..」

健太は手探りで持ち物を探る。乗ってきた車が無くなる世界だ、手元の物など期待をするべきではない。


「殆ど無い..」「私もサイフがありません」

案の定金は無い、スマホなどの通信機器も無くなっている。持ち物の殆どが失われているが、健太のポケットに唯一、しっかりと残っているものがあった。


「..これ、車の鍵か!」

車自体に差し込んだ筈の鍵がポケットに戻ってきていた。しかし家と車では種類が異なる事は明白だ、果たして役に立つだろうか?


「これしか無かった。」


「車の鍵、ですか?」

当然不安があるだろう、開かない家の扉を前にして車の鍵を取り出す奴がいれば信用出来ないのは通常の道理。しかし他に方法が無い


「オレ、やってみるよ..!」

恐る恐るダメ元で扉の鍵穴に差し込んでみる。


『……ガチャッ..!』


「嘘、入った!」 「え⁉︎」

穴にピッタリと鍵がはまった。

無理矢理にではなくすんなりと、そのままの勢いでシリンダを回転させロックを外す。


『カチリ..!』「開いたみたい。」

車の鍵で家のロックが外れた

セキュリティにしては出来が寛容過ぎる。


「…行こうか。」「..はい。」

鍵を外し、ノブを回して扉を開ける。

中に広がっていたのは床一面畳の小さな部屋


「…これは。」

またもや医務室で見えた景色の一つ、色は同じで赤黒く不気味な雰囲気。


「誰かいますよ、座ってる。」 

畳の四角い部屋の中心に、眼鏡を掛けた老人が正座している。顔に表情は無く、冷たい目をしてこちらを睨むように見ている。


「..誰だ?」


「……」

何も言わず、動きもしない。

性別は恐らく男だが、そんな事よりも人間味が凄まじく薄い。不気味を絵に描いたようだ


「過去に見たことはありませんか?」


「絶対にない、会ったこと無いよ。

..こんなに無表情な人」

じっと見つめる視線が冷たい。

温度があっても氷点下、かなり低い温度から鋭く強く睨みつけている。


『...嘘をつくな、忘れているだけか?』


「え、今何て?」

か細く小さな声で何か言ったように聞こえた。

その後に続く言葉は、耳を澄まさずともはっきりと明確に聞き取れた。


「あの頃はよく笑ってた」


四つん這いになり、眉間にしわを寄せる。


「は、あの頃は?

それは..一体どういう...」

問い直そうと思ったその時、目の前の老人が顎を上げ喉を鳴らし、野太い奇声を上げ始める。その声はまるで喚く蛙のようだった。


「なんだいきなりっ..!?」


「..この声、カエル?」

 やがて老人は奇声を上げ続けながら、四つん這いのまま部屋中を跳び跳ね始めた。可動域は床にだけでは留まらず、天井や壁にまで及び、その間も不気味な蛙の声は部屋中に響き渡っている。


『…グエッ‼︎』


「天井に張り付いているっ!」

背中を見せてこちらを煽るようにぐるりを首だけを捻り長い舌を垂らしている。最早人とも言い難いその姿に、驚嘆や衝撃などといったものを超えた感覚を覚える。


『グエェッ..‼︎』 「ひっ!」


「気持ち悪い..!!」

亜里香が老人の振る舞いに耐えかね、携えていた飲料水のペットボトルを投げる。天井へ投げられたペットボトルは見事老人に命中し、張り付いていた老人は水が溢れて濡れた床に音を立てて落下した。


「きゃあっ!

その...ごめんなさい、怪我ありませんか?」

仰向けに体制を整えた老人の身体は、粒子のような形状で散り散りに崩れかけていた。


「おじいちゃん、身体がっ..!

...どうなってんだよ? 何が起きてんだよ⁉︎」

目の前で起きている出来事の意味がまるでわからず叫びを上げるが、老人は相も変わらず冷たい目をして静かにこちらを見つめている。


「……思い出せ」 「は..?」

身体が完全に粒子状となり、消滅する寸前にまで至ったとき、老人は一瞬だけにやりと顔を歪ませて言った。


「...思い出せ?」

老人の姿が完全に失くなると、街の景色は元に戻り健太と亜里香は車の前に立っていた。


「元に戻った。」


「思い出せって、何をだよ..?」

景色や色が戻っても、記憶はネガの映像を深く刻んで痕跡を残した。そしてそれは、健太の過去にも繋がっているらしい。


掌には、車の鍵が握られている。



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