第3話

 「えー本日付けで配属になりました。

薄井 亜香里さんです」


 「薄井亜香里です、宜しくお願いします!」


 「……」

 クルーザーの上で見た派手な顔が、今朝からオフィスの中に居る。まだ眠っているのだろうか、悪い夢でも見ているのだろうか。


「机は奥のが開いてるから、そこを使ってくれ。健太くん、色々教えてやってくれ」


「‥え? あ、はいっ!」

苦しくも机は隣同士、更には指導係にまで任命された。やはり悪い夢が続いているようだ


『ちょっと! 何でここにいんの!?』


「すみません、丁度新しい職を探してて。

あれは卒業旅行だったんです。」


「だからって何でこの会社に⁉︎」


「それはその、権田さんが..。」


「権田さん? 

それってもしかして...」

疑問に思っていた点が明確な答えを表した。


「サプライズってこの事かよっ...!!」


「..サプライズ、ですか?」


「はっ! じゃあこの車の鍵も⁉︎」

更に過去の点と繋がり、線となり結ばれる。


「誘えって事かよ、あの野郎っ..!!」

 どこまでも得たい物を間違えて把握している男に怒りが込み上げるも目の前の彼女に一切罪は無い。金目の人脈を得るために参加したハワイ旅行で出会った異性が帰国後に意図せず己の後輩になっているのだ、その上車に乗せてデートに誘えと言われれば勝手が過ぎると腹が立つのが損得主義者の沸点である。


「車売ってもあぶく銭だしなぁ、いっそディーラーにでもなってみるか?

..って、だからそういう事する為に参加したんだよあのド派手なバカパーティによぉっ!」

というよりは、大喜寺健太の沸点だ。


「..と、言ってもだ。

彼女にはしっかりと義理がある、その上での恩返しはきちんとするべきだからな。」

一応礼節は弁えている、文句を言いつつもしっかりと亜里香に、もちろん権田にも感謝はしている。彼を信頼していたからこそ共に連いていったハワイ旅行だ。


「薄井さん、家はこの近く?」


「..いえ。実は引き払ったばかりで、今は新居を探しているんです。」


「そこまでしたのかあの人..」


「権田さんが、良さそうな家を探してくれたので。..後は審査やその他諸々決まるだけなんですが、今はホテル暮らしです...。」

慣れない街に女を一人、家を当てがい猶予を適当なホテルに住まわせる。富裕層の嗜みとしては少し雑味が目立つ、これも敢えてか?


「‥いや、あり得るけどそんな訳無い。

元々女性の扱いは丁寧じゃなかった、あの人にとってはトロフィーに過ぎないから」

彼の大きな欠点だ、己を際立たせる分かりやすい〝持ち物〟としての扱いをしてしまう。


「帰り道、ホテルまで送ってくよ。

..あと前のお礼もしたいから、晩ご飯をご馳走したい。変な意味じゃなくて恩返しで!」


「恩返しで..?」「そうそう、恩返し‼︎」


(いやらしい意味で無い事は分かってくれればいいんだが、人の捉え方はわからん。)


モラルという壁をやんわり撫でながらいい塩梅の距離感を探る。一歩でも越えれば礼のチャンスは二度と無い、慎重に行かねば。


「ね、どうかな! ねっ!?」


「……恩返しは..しなくてもいいですけど、街の案内は確かにしてほしい。迷惑でないのなら、ご一緒してもいいですか?」

優しい微笑みで逆に問いかける。勿論答えはイエスである、イエスに決まっている。


「本当!? 良かったぁ〜!!」

思わずガッツポーズをして歓喜してしまった。単純な思惑の成立による振る舞いなのだが、周囲から見ればそれは別の察し。


「健太が女を口説いてる..!」

  「あの金と権力にしか興味ない健太が!」


「うるせぇ! 聞こえてるぞお前らっ‼︎」

大して仲良くもない同僚の嫌味を軽くいなしつつ約束を完了させる。当然異性を誘った事など初めてだ、何故なら彼は金と権力にしか興味のない男。女より己の利益だ。


「それじゃあ何時頃がいいかな..業務が5時に終わるから色々準備して...」

顎に手を当て時計を見ながら考えていると、亜里香はこちらをじっと真剣な眼差しで見つめながら笑みを浮かべる。


「ん、どうした?」


「本当に..私の事、真剣に考えてくれているんですね。少しだけ看病しただけですよ?」


「……や、そ..えっと....。」

医務室で見たのと同じ綺麗な顔がまた現れた

反応は以前と同じ、頬を赤らめ目を逸らす。


「‥ふふ、まずはお仕事済ませましょうか」


「そう..だね。」

慌てた心情を落ち着かせ、席についてパソコンを開く。ここで漸く普段の自分に還った気がした、余りにもサプライズが長過ぎた。


『ねぇ、さっきの何?』『相思相愛?』


「うるせぇって言ってんださっきっから!!」

同僚の小言は昼下がりまで流れ続けた。

 嫌々ながらもBGMとして聴き流し、業務の終わる5時過ぎまでは出来るだけ静かに目立たないように過ごした。しかしよくよく考えてみれば、なんという関係性でもないのだ。旅行先で出会い偶々同じ部署で働く事になった、ただそれだけの関係なのだ。かしこまる必要性など何処にもなかったと、時間が随分経ってから漸く気が付いた。



「..じゃあ、行こうか。」 「……はい。」

業務が終わり帰り支度をする。

その頃にはギャラリーは消え、二人の関係性に周囲は興味を無くしていた。


「取り敢えず、外出ようか?」


「..はい。ですがその前に、自販機に寄ってもいいですか?」


「自販機? いいけど..。」


「ありがとうございます」

オフィスを出て直ぐの廊下に置かれた自販機にそそくさと近寄り水を一本購入した。


「すみません、それでは参りましょう。」


「…うん。」

(これから飯食いに行くのに水買うのか..)

出されるお冷では駄目なのだろうか?

細やかな事だが少し気になった。


「お腹空きましたね、何を食べましょう?」


「‥うん、どうしよう。」

(言ったはいいが良い店知らないんだよな)

恩返しといったはいいがプランなど無く言葉程の振る舞いを見せる事が出来ない。いつも金持ちに連いていく事が多い為知っていたとしても常人が手を出せる店では無い。いつも一人で行っている飯屋といえば...


「近くのラーメン屋...」


「え!?」「いや、ウソウソウソウソっ!!」

衝撃を受ける程目を見開いた唖然顔、冗談でも口走ってはいけない事実だった。それもその筈だ、考えてみれば相手は卒業祝いでハワイに出掛ける女だ。並大抵のクオリティで満足するような代物では無いだろう。


「私、ラーメン大好きです..。」


「‥え?」

(もしかして、気を遣っているのか?)

急にあり得ない事を口走った。彼女が街の安いラーメンを好んで食べる筈がない、確実に普段は値段の割に極端に少ない量を誇るアクアパッツァ的なオシャレ料理を口にしているに決まっている。絶対そうに決まっている。


「...私、大勢の集まる場所とか豪華な物が並ぶパーティみたいな所って凄く苦手で。ハワイ旅行だって初めは国内の温泉とかでいいって言ってたのに、〝お金持ちが集まるから〟って友達が一方的に決めちゃって。」


「そうだったんだ..。」(オレと同じ目的だ)


「だから本当はそういう普通のお店で美味しいものを静かに食べていたいんです。今日も歓迎会とか無くて安心してたんですよ?」


「‥うん、まぁウチは結構ドライだからね。

あんまり人に深い興味持つ人がいないんだ」

(やはり気を遣っている)

そう思いたい。もし本気で今の事柄を言っているのだとすれば、彼女は本当の親切心で健太を看病し、等身大で控えめ且つ穏やかな優しい女性だという事になる。だとすれば...


『オレちゃんと好きになっちゃうだろっ..‼︎』


「え?」


「いやいやっ!! なんでもない...。」

こうなれば迷いは無い、確認の為にも近くのラーメン屋にいくべきだ。彼女の言っている事が本当ならば、店並み見ても嫌な顔はしない筈。健太は心の中で祈っていた、彼女が店に呆れ溜息を吐いてくれる事を。


「ここ、オレのよく行くラーメン屋。」

店先に着きご紹介する。外観は普通どころか古さすら帯びる小さなラーメン屋。中に入ればそれは更に顕著となり、狭いカウンター席の丸椅子に腰掛け老夫婦による接客が始まる。


「素敵..こういう店大好きですっ..!!」


「‥マジで?」

歓喜しておられる。

街の質素なラーメン屋を見てアクアパッツァ顔の派手な美女が目を煌めかせている。


「中、早く入りましょ! ねっ?」


「う、うん..」

自ら進んでガラガラと鳴る古い引き扉を開け中へ入っていく、これは確実に嘘じゃない。


「本当にいい子かよ..!」

その後、亜香里は老夫婦と軽快かつ楽しげな会話を何度か繰り返した後店内で一番安いしょうゆラーメンを頼んでワクワクとしながら出来上がりを待っていた。


『オレちゃんと好きになりそうだっ..!!』


「え?」 「いやいや、何でもない。」


「はい、これサービスだよ〜。」


「え!? 嬉しいっ! いいんですかっ!?」 両掌を広げ、バンザイしながら満面の笑みで餃子を出されて喜んでいる。一体何故ハワイのパーティに参加などしていたのだろうか、彼女には近くの街が似合い過ぎている。


『健太くん、凄く良い子を連れて来たね。』


「そういうんじゃないんだっておばちゃん..」

 やはり勘違いをされている、ここまで完璧に街のラーメン屋を使いこなされては無理もない。既にこの街は彼女のものだ。


『リリリリ..』「ん、なんだ?」

突如スマホが鳴り出した。

画面をみると〝権田さん〟の文字が。健太は周囲の様子を確認し、老夫婦と亜香里に一言断りを入れてから静かに一旦外へ出てスマホを耳へと傾ける。


『もっしも〜し、元気か健太?』


「…ったく〝元気か〜〟じゃありませんよ。

色々と大胆な事してくれましたね!」


『そんなに喜ぶなって、今ラーメン屋か?』


「なんで知ってるんですか」


『分かるってそのくらい、何年一緒にいると思ってんだよ。それより〝そろそろ来る〟から、しっかりと送り届けてやれよ?』


「そろそろ来る? 何がですか?」


『直ぐにわかるよ、じゃなっ!』


「あ、ちょっと!

...んだよ、勝手に切るなっての。」

一方的な会話は、結局のところ何を伝えたかったのか分からなかった。しかしその応えは直ぐに目の前に現れ形を示した。


『ブロロロ..キキッ..!』「え?」

目の前に止まる一台の輝く白き車。ボンネットの先端に突き刺さるエンブレムは、CMや雑誌の裏でも見た事のある有名な高級車の証。


「失礼します。」『バタンッ!』


「あ、ちょっと!」

紳士な男性が車の中から飛び出し扉を閉め、去っていく。


「……もしかして、これか..?」

意味のわからないプレゼント、そういえば思い出した。以前から権田に小さく己が言い続けていた言葉〝免許は有るけど本体が無い〟


「どこまでも大胆な事をっ....‼︎」

プレゼントにしても停める場所が悪い。


「ふぅ。」


「..どうか、しました?」

店内へ戻ってきた健太の様子を箸に絡めた麺をすすりながら亜香里が伺う。


「うん、まぁ大丈夫。」

確実に疲労しているが、それを伝える事すらも面倒なので適当に誤魔化した。


「そうですか..。」


「取り敢えず腹満たしたら?

はい、いつもの!」

おばちゃんが厨房の奥からチャーシュー麺をカウンターのテーブルに置く。健太のメニューは決まってこれ、ブレない美味さを誇る。


「ありがとうおばちゃん、なんか安心するわ」

箸を割り、夢中で流し込んだ。

ハワイでのランチなど比では無いくらい、心地よく胃袋に優しい旨味が刺さった。


「ごちそうさまっ!」


「…ふふ、私が奢りますね。」


「え?」

「凄く美味しそうに食べてたから。」

啜るのに夢中で見られている事に気付いていなかった。大人の本気のわんぱくを目の前で見られてしまった事に後から気づき激しい恥じらいが込み上げてくる。


「今日はお代いいよ。」


『「えっ!?」』

声を合わせて驚嘆した。

流石に無料飯ただめしという訳には行かない。


「いやいや払うっておばちゃん!」


「いいんだよ、こんな美人さん連れて来て。

お金取るなんて逆に失礼だ」


「美人なんて、そんな..。」

手のひらで顔を覆いながら頬を赤らめる。


「いいよね、お父さん?」

厨房の奥にて作業をする寡黙な店主にカウンターから声を上げ問い掛けると、小さな声で返答が聞こえた。


「......いいんじゃないか?」


「‥嘘だろ⁉︎

おじちゃんツケは絶対しないって..。」


「あら、知らないの?

あの人健太くんには甘いのよ」


「おじちゃん...有難う御座いますっ!!」

深々と厨房に向かってお辞儀をし、亜里香を連れて店を出ていく。不思議と金を払わない事の罪悪感は無かった。


「また来てね〜!」

おばちゃんが入り口まで送ると、厨房の奥から店主も顔を出し背中を目で追った。


「...大きくなったな。久し振りに見た。」


「久しぶりって、何言ってんだい?

毎日のように来てるじゃないか、あんたいつも奥に引っ込んでるからわからないんだね。」


「…?.....いや..まぁいい、仕込みを続ける」

納得がいかない様子で首を傾げると、再び厨房の奥へ戻り作業を再開した。


「はぁ、あの人大丈夫かねぇ?

.この時間お客さん少ないから..人の顔見ない間に忘れてしまったら大変だわ。」

店主もそう若くない、長い歴史は知識を付けて役には立つが未来を想像するには新たなものより時間が掛かる。無知でも、豊富でもだ



「何ですかこの車っ..!?」


「ホテルまで送っていくよ、乗って。」

やはりプレゼントにしてはやり過ぎだ、お相手すらも口を開けて呆然としている。


「もしかして、あの車の鍵って」


「そうだよ。

ごめんね、あの人加減を知らないんだよ..」


「はは、大変そうですね。」

様々な事を一遍に察してくれたのか、文句を言わずにするりと助手席に乗ってくれた。彼女の快い配慮に深く感謝しつつ車に乗り込み扉を閉めて渡された鍵の本領を漸く発揮する


「それじゃ、行こうか。」

鍵先を車の穴に差し込んだ瞬間、忘れかけていたあの鋭い感覚が頭部に奔る。


「うっ..!」


「どうしました?」「‥いや、何でもない。」

根本まで鍵を差し込み、エンジンを掛けて強くアクセルを踏みハンドルを握る。


(まさかな、今更そんな訳..)

感覚が過敏になっているだけだ、強くそう信じて車をただ真っ直ぐに走らせた。


(彼女を送り届けて終わり、それだけだ)

〝これ以上の得は己に無い〟そう判断した。










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