第124話 恐ろしいなにか

 気がつくと、背後で聞こえていたざわめきが、さっきよりも大きくなっていた。


 もう一度振り返ると、片足を引きずりながら、白スーツの男がこちらに近づいてきている。

 危険だ。投資の失敗を逆恨みして、黒月さんに襲いかかるなんてことも……。


「黒月さん。危ないから、少しここを離れよう」

「大丈夫ですよ。熊尾井さんはもう、わたしのことが見えてませんから」


 見えていない?


 そう言われても意味がわからなかったが、実際に熊尾井という男は、黒月さんにわずかな視線も送ることなく通り過ぎていく。


 虚ろな瞳はすでに光を失っているのか、それとも壊れた脳が彼女を認識できていないのか。理由はわからなかったが、ボロボロにやつれた彼の背中は、そのまま歌舞斗町の雑踏のなかに消えていった。


 あれ? 前にも似たような光景を見たことがなかったか?


 そうだ! 二人組の警察官だ!


 初めて黒月さんを見た時もこんな感じだった。彼らは、違法な露店を開く占い師の少女の前を、一瞥もくれずに通り過ぎていったんだ。


 じゃあ、他の人たちも……。すぐさま周囲を確認する。


 やっぱりそうだ。誰も見ていない。俺意外、誰も彼女を見ていない。


 どう考えてもおかしい。みんなさっきまで、ボロボロの白スーツを着た不審者には警戒していたじゃないか。

 なのになんで、黒ずくめの衣装を身にまとった美少女占い師に気づかないんだ。黒月さんだって、十分すぎるくらい目立つ存在なのに。


 それに、どうして……。


 どうして俺は、この違和感をずっと忘れていたんだ。頭の中で警報が鳴り響いたのに。どう考えてもおかしいと思っていたのに。


 そういえばあの日の夜、恐ろしい夢を見たよな。落ちてる一万円札を拾い続けた俺は、欲にかられて罠にハマったんだ。鉄格子の外では、黒月さんが歪んだ笑みをうかべていた……。 


「牛上さん。さっきから黙りこんでますけど、どうかなさいましたか?」

 視線を戻すと、黒月さんが優しく微笑んでいた。美しい表情だと思う。でも今は、その美しさがむしろ恐怖を増大させる。


 俺はお化けとか幽霊とか、その手のオカルトは一切信じていなかった。けれど、それは間違いだった。

 目の前に座る少女は、人智を超えた恐ろしいなにかだ。理屈じゃない。本能がそう教えてくれている。さっきから心も体も震えが止まらない。


「く、黒月さん。君はいったい何者なんだ……」

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