第121話 握手

「つまりこの60万円は、俺がこれから成功すれば何百倍にもなり、失敗すれば返ってこない。そういうリスクを牛上は取るんだな?」

「はい。お金を貸すんじゃなくて投資するんです。リスクを取るんです」

「わかった。なら、この60万円は、ありがたく使わせてもらうよ」

 涙の跡は残っていたけれど、栗栖さんの目は今までになく力強かった。


 それからは、二人で酒を飲みながら馬鹿話に花を咲かせた。

 そのほとんどがサクセスバイオの失敗話だ。悔しくて怖い思いもしたけれど、酒のさかなとしてこれ以上のネタはなかった。


 気づけば午後8時前。バーの開店時刻が近づいていた。


「牛上、そろそろお開きにしよう。開店早々、酔っ払いが大声で騒いでたら、マスターにも他の客にも迷惑だからな」

「わかりました」

「栗栖さん。会計は次に来た時で結構ですよ」

 声をかけてきたのはマスターだった。


「いや、マスターそれは悪いよ。ただでさえ開店前に飲ませてもらったのに……」

「いいんですよ。その代わり、新しいビジネスが軌道に乗ったら、また必ず飲みに来てください」

 栗栖さんが、また涙ぐんでる。

「ありがとう。必ず来るよ」


 二人でビルの階段を下りていると、栗栖さんが先に立って俺を制止した。

「待て、ここは会社の近くだ。牛上が誰かに見つかるのはマズい!」

「栗栖さんだって同じじゃないですか」

「いや、俺は平気だ。もう退職するしな」


 一足先に通りに出た栗栖さんが、周囲を確認して俺を手招きする。

「牛上、来い! 今なら大丈夫だ!」

 通りに出て俺も周囲を確認する。たしかに今は人通りが少ない。


「牛上は念のため裏通りを歩いて、別な駅から帰った方がいいだろうな」

「栗栖さんはどうするんですか?」

「俺は普通に帰るよ。見つかっても平気だからな」

 まったくこの人は……。呆れている俺に右手が力強く差しだされた。


「牛上、本当にありがとう。おまえの期待に応えるには少し時間がかかると思う。でも俺は、必ずここから這い上がる。だから、待っててくれ!」

「わかりました。時間がかかるのは百も承知です。今回は長期投資のスタンスですから、気長に待ってますよ!」

 俺も力強く、栗栖さんの手を握り返す。


 固い握手を交わした俺と栗栖さんは、それぞれ反対方向に歩き出した。

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