第119話 投資は自己責任

 いくつかの銀行で金を下ろした後、俺は会社近くの雑居ビルに向かった。


 時刻は午後4時過ぎ。2階にあるオーセンティックバーが開店するには、まだ早すぎる時間だ。

 開店時間はたしか8時だったよな……。重厚なドアを前にして引き返そうと思ったが、その奥に人の気配があった。


 ドアをそっと押してみるとカギはかかっていない。そのままさらに力を入れると、店の全景が視界に入ってくる。その一番奥に栗栖さんはいた。


「牛上……」

 予期せぬ訪問者の登場に、左手にグラスを持ったまま栗栖さんは固まっていた。しかし、すぐに相好そうこうを崩して俺を迎え入れる。

「なんだ。牛上も飲みたい気分か? まあ、そうだよな。飲まなきゃやってられねえよな!」

 かなりやつれてる。三日前とは別人だ。


「マスター。営業時間外だけど、こいつもいいかな?」

「ええ。かまいませんよ。こちらにどうぞ」

「悪いね。こいつにも俺と同じの頼む」

 マスターに促され、俺は栗栖さんの隣に座った。


「私服ってことは会社サボったんだな。こんな近くで飲んでて、誰かに見つかったらヤバいだろ。って、それは俺も同じか!」

 無理におどけて笑っているけれど、目は死んでいる。


 この三日間、地獄を見たんだろう。俺もキツイ目にあったけど、栗栖さんの苦しみはもっと大きいはずだ。そしてそれは、まだ続いている……。

 涙がこぼれて止まらなくなった。


「おいおい、しっかりしろよ牛上。おまえは、まだまだやり直しがきくだろ!」

 栗栖さんは、もうやり直しがきかないってことだ。


「す、すみません。く、栗栖さん。お、俺、何度も栗栖さんを止めようと、思ってたんです――」

 嗚咽が混じってうまく言葉にできない。

「――なのに、止めるどころか、一緒に舞い上がっちゃって、最後は、自分のことしか考えられなくなって……」


「牛上のせいじゃねえよ。おまえに何を言われようと、俺は絶対にサクセスバイオのトレードをやめなかった」

 こちらに向き直って栗栖さんが頭を下げる。

「俺の方こそすまなかった。巻きこんじまって。おまけに心配までかけさせたな」


「そんな、頭を上げてください。サクセスバイオの売買は全部自分の判断です。栗栖さんのせいじゃないです。投資は自己責任じゃないですか」

「そうだな。じゃあ、俺が大損したのも全部俺の責任だ。牛上のせいじゃない。これでおあいこだな」

「そう、ですね……」

「しけた顔しないで、さあ、飲め飲め!」


 急かされるままウイスキーをのどに流し込む。グラス越しに見えた栗栖さんの目は、涙で潤んでいた。

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