第117話 マイナス9200万円

 栗栖さんはたしか、サクセスバイオを4200円で40000株買ってたんだよな。それを1900円で売ったら――。

 表計算ソフトが表示した損失額に、俺は驚愕した。


――マイナス9200万円。


 投資資金は6500万ぐらいだったはずだから、借金は2700万……。

 つい三日前は利益が1億円もあったのに、今は口座が崩壊している。水曜日に会社を無断欠勤したのも、こうなることを悟ったからだろう。


 反射的にスマホを手に取って、栗栖さんに電話をかけていた。こんな状態でできることなんてないけれど、とにかく話がしたかった。

「おかけになった電話番号は、電源が入っていないか電波の届かない……」


 クソッ! 通じない!

 通話を切った俺は、すぐに着替えて家を飛び出した。



 インターホンを押してもドアを叩いても、栗栖さんの部屋から応答はなかった。静かにドアノブを回して引いてみたが、カギがかかっている。

 いったいどこにいるんだ。それとももう……。


 最悪のイメージが頭をよぎる。と同時に、強烈な後悔が押し寄せてきた。


 栗栖さんがハイリスクな取引をやっていると知った時点で、どんな手を使ってでも止めるべきだったんだ。

 家族を見返したい。という深い理由はあったにしろ、こんな結末を迎えるぐらいなら無視するべきだった。


 俺は、なんて馬鹿で薄情なんだ。


 止めるどころか一緒に舞い上がって。おまけにサクセスバイオが売れるまでは、自分のことしか考えてなかった。

 栗栖さんはクセのある人だけど、悪い人ではなかった。いろいろ奢ってもらった恩もある。なのに俺は、彼を見殺しにした。


 今どこにいるんだ。なにか手がかりはないのか。真っ先に思い浮かんだのが、なじみの居酒屋やキャバクラ、会社近くのバーだった。

 でも、まだ営業してる時間じゃない。


 それにこんな状況で、外に出て飲み歩こうなんて思えるはずがない。

 俺も昨日はヤケ酒したけど、あくまで家の中でだ。気持ちが極端に内向きになっていて、賑やかな夜の街に出ようなんて気はまったく起こらなかった。

 栗栖さんだってきっと同じはず。いや、俺よりもずっとキツイ状況にあるんだから、心はもっと暗いはずだ。


 でも、家にはいなかった。じゃあ、いったいどこへ……。いや、やっぱり栗栖さんはもう……。

 重苦しくドス黒いなにかが、心を満たしていく。


 その時ふと浮かんだのは、歌舞斗町の一角で静かにたたずむ黒月さんの姿だった。

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