第10話



 朝、アルフレッドは体感的に魔力量が十分な回復をしたと思いながら、うつらうつらと目を覚ます。

 「…… ミーナおはよう」

 「おはよう、アル」

 「離してくれない?」

 「………… や」


 いつから起きていたのだろう、ミーナがアルフレッドをギュッと布団の中で抱きしめていた。

 彼女は自分の為にこんな不安になってくれているんだろうと思うとアルフレッドは嬉しくなる。


 「心配してくれてありがとう、でも起きないとね?」

 「…… ん」

 一度、強く抱きしめるとミーナは目を擦りながら体を離した。

 村で心配されて抱きしめられたのは母親が最後でアルフレッドは、それからこんな温かな気持ちになれた事は無かった。


 孤児院の広間兼、狭い食堂にはマザーと聖職者がまるで亡霊のように佇んでアルフレッドの目覚めを待っていた。いや、聖職者はアルフレッドの逃亡を阻止しようとしたのかもしれない。


 胡乱(うろん)な表情の聖職者はマザーと目配せすると一歩、後ろに下がり、変わるようにマザーがアルフレッドに近づき目線を合わせるように膝を曲げる。

 「アルフレッド、あなたに神の御加護がありますように」


 「ヒュッ」とミーナが息を呑む音がやけに大きく聞こえる。

 この祝詞事(のりとごと)は死者へ向けられる事が多いからだ。

 「アル…… 」

 「…… ミーナ、きっと大丈夫…… 大丈夫」


 アルフレッドはミーナの憂患(ゆうかん)をおさめて安心させるように、また、自分にも言い聞かせるように何度も「大丈夫」と呟(つぶや)いた。


*****


 朝食も摂らずに、アルフレッドは教会に連行された。


 このダウゼンの町の教会は、やはり『町』程度なので然程に大きくはない。

 聖堂と幾つかの部屋と、異教徒尋問をする他と隔てられた特別拝聴室のみ。


 その特拝聴別室でアルフレッドは椅子に座らせられる。


 部屋は異教徒が暴れても大丈夫なように、椅子と書記の机しかなく殺風景な様。また窓は無いが、隣室から閲覧出来るよう厚ガラスと声を通す伝声管(でんせいかん)が備わっていた。


 「さて、アルフレッドくん君の仕事は単純で、本を朗読してもらう事にある」

 隔てられた安全な隣室から司教の声がアルフレッドに伝わる。


 椅子に座るアルフレッドに特別拝聴室に待機していた聖職者が本を渡す。

 その本は質素だが質の良い装丁で背や扉などはピシリと揃っていて、あまりの手触りの良さにアルフレッドは表紙を無意識に何度かさすりながら言葉を待った。


 聖職者の咳払いで、アルフレッドは手を止め司教へと目を向ける。

 「その魔法の本は、私が教会本部より発掘(・・)した聖者の本である。君にはその魔法を習得してもらいたい」

 「…… 僕では、地位的に恐れ多い事だと思うのですが…… ?」

 「ふむ、言葉遣いはまぁ…… よし。その魔法の書は読む言語が分からぬのだよ。君にはその実験に付き合ってもらう」


 読む言葉が分からない?とアルフレッドは首を傾げ言葉を待つが、司教の話は一旦ここで終わるようだ。


 皆がは知らないのは当然で古代魔法の言葉は現在の公用語とは全く文法自体も違う。

 翻刻(ほんこく)はされるが理解やニュアンスに不備がある可能性があるのだ。


 …… そして魔法の書に込められた魔法習得の難易度は、高位の魔法になるほどリスクが高く詠み間違えた場合にそれは呪いにさえなり得る。



[補足]

 呪文について、子供の膝の擦り傷から国を滅ぼすものまで存在する。

 地球でも呪文の文化は存在していて、ジプシーや魔女等々により伝承された。呪文の言葉もゾロアスター教のものであるガーサーやサンスクリット語(デーヴァナーガリー)、日本の陰陽師など言語は様々である。

 言い回し違いで酷い目に遭うという昔話も地球には存在する。(ブードゥー教の未熟なゾンビなど)




 「本に魔力を込めて復唱しなさい、あなたには音読翻訳されたAの言葉とBの言葉を選ぶ権利があります、どちらにしますか?」

 アルフレッドに声をかける聖職者の言葉は丁寧だが、声や目線は冷たい

 

 このA・Bでアルフレッドはどうなるか、それを話す事すらしないようで、アルフレッドは急な選択にあたふたとしながら「Aでお願いします」と言葉にする。


 「Aか…… 」

 「研究者が唱えよと報告にあった方ですな」

 「うむ、楽しみだ」

 隣室の司教とそのお付きがポツポツと会話をしているのを意識の端におきながら、アルフレッドは目の前の聖職者が、聖者の本の現代語で発音できる写しであるパピルスを読む言葉をそのまま復唱する。


 古代語であろう言葉はアルフレッドには理解が出来ないが、音声の復唱は間違いなく手にする魔法の本は反応しているようで(意外と安全に解放されるのかも)と心の中でアルフレッドは楽観視をしはじめていた。


 しかし、復唱を促す聖職者の目線がパピルスの後半に差し掛かった時にアルフレッドに異変が訪れた。


 初めは雨漏りかな?というような湿ったものが背中に。

 次は溢れ出る赤い涙。それを手に受けた時にアルフレッドは自分が穴という穴から血が流れている事に気付いた。


 痛みのない出血は、アルフレッドの喉の奥にまで広がり復唱どころか言葉も出ない。

 「…… 皆、退避。聖者の本は被験者から回収した、早く出るぞ」

 その聖職者の言葉で皆が部屋から出て行く。

 隣室の司教は気持ち悪い物を見たという風に顔を顰めて、口にハンカチをやりながら逃げて行った。


 (待って…… 助けて…… )アルフレッドはそう言葉にしようとしたが、溢れ出る血に溺れ、次に魔力が暴走を始める。

 その暴走はアルフレッドの子供の体積を遥かに超えて、まるで風船のようにアルフレッドの体は膨らみ、パンッという音と共に、彼は弾けて死んだ。


 静かになった部屋に聖職者が様子見に顔を出し呟(つぶや)く。

 「A案の呪文は失敗であったか、やはり命軽い孤児に試させて正解であったな」

 と神に仕える者とは思えない言葉を残して、掃除をするように部下に指示を出し、赤く濡れた部屋を後にした。


 司教がわざわざ、このような田舎の町を選んだのは、このような死の可能性があったからだ。

 王都や人口多い場所であれば話が漏れる可能性があった、また、聖者の本は教会の権力争いの材料として

司教が勝手に持ち出した物で教会本部の力が強い場所での実験は問題があった。



 「─────────っ…… くっ」

 「どうした?早く来なさい」

 アルフレッドは教会に入る前に【未来視】を発動させていたのだ。

 死して戻ったアルフレッドは、汗をかきながら引き摺(ず)られて特別拝聴室へと。

 その途中で【未来視】を再発動させる。

 意識が戻ってスグに発動させれば逃げようがあったかもしれないという後悔が脳の中で溢れる。


 そしてアルフレッドはまた特別拝聴室の、あの椅子に座り「本に魔力を込めて復唱しなさい、あなたにはAとBを選ぶ権利があります、どちらにしますか?」という言葉を再度聞く事になる。


 アルフレッドは、これはいけないと思うが部屋をぐるりと見ると、1度目は気付かなかったが聖職者の後ろの書記の机に座る男がいて彼はアルフレッドの言葉次第では…… という顔と腰の剣をいつでも抜けるようにアルフレッドに向けていた。


 アルフレッドはすでに選択するしか無い状況にあると理解すると震えながら「Bで…… お願いします…… 」と小声で呟いた。


 聖職者の音声を真似て、アルフレッドは復唱する。


 喉は乾くが、額と背中の汗は流れ続ける。掠れた声で復唱を続け…… アルフレッドは自分の持つ聖者の魔法の本が光り輝くのに気付く。

 聖職者は目を丸くし、パピルスを落とす。


 どうやら今回のB案は正解だったようだ。


 魔法の本の光はアルフレッドの中に吸い込まれ、この魔法の凄さを彼が少しの間を置いて認識すると、ガチャリと首輪がアルフレッドの子供の首にかかる。


 「司教様、隷属化に成功してございます」

 「うむ、これで私の派閥は聖者の力も得た。次の教皇は私であろう」

 「は、その通りにございます」


 アルフレッドは闇魔法が付与された奴隷の首輪をかけられていた。意識は彼の中にあるが、体や言葉は自分のものではなくなる感覚に吐きそうになる。

 しかし、体はその嘔吐感さえも示してくれない。


 司教がアルフレッドを選んだ理由は魔力のある子供であり、孤児であり、また田舎町で魔物の死肉と共にある生活から救い上げたという善意を示せるからであった。


 アルフレッドは、宴会が始まる前のような和やかな雰囲気の中での気分の悪い違和感を感じながら【未来視】を解除した。



[補足]

 宗教と奴隷貿易は地球でも過去に関係のある物だった。

 日本でもイエズス会のガスパール・コエリョが日本人奴隷貿易に関して豊臣秀吉との口論になったという歴史もある。(歴史家の意見によって違う)

 バテレン追放令で帰国が出来なかった天正少年使節の記録にも日本人奴隷のそれは残っている。


 この異世界では奴隷は産業であり、教会の管轄内であれば奴隷は生死に関わらず使役される職業(・・)なのだ。

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