観覧車

第42話

 遊園地に足を踏み入れた瞬間、普段は見れないような幻想的な世界が飛び出してきて俺たちを迎えてくれた。

 異国風の建物、空を自由に走り回るジェットコースター、奥には今日の目玉である観覧車がある。

 そして俺たちの心を踊らせてくれるのはもちろん景色だけではない。

 人の話し声や歩く音、アトラクションの音、スピーカーから流れる音楽、それらが合わさった喧騒も心地よく包んでくれる。


「この雰囲気懐かしいな」

「遊びに来たって感じがするよね。でも中も人は多いみたいだから早く並ばないと時間がなくなっちゃうかも。ねっ、祐樹くん」

「わかってるよ。早く行きたいんだろ? 

でもここで焦ったら夏が迷子になるかもしれないから一旦落ち着こう」

「私が迷子か。そうなった時はもちろん祐樹くんが助けてくれるんだよね?」

「え、いや、冗談で言ったつもりだったんだけど……。まあでもそうなった時は安心してよ。絶対に見つけ出すから」


 冗談で言った言葉が真に受けられてしまった。

 まあ夏も冗談で言っただけかもしれないが、とりあえず大学生で迷子になった話は聞いたことがないのでそうならないことを願いたい。


「それじゃあ最初はどうする。どのアトラクションもそれなりの時間は待たないといけないから正直何でもいけるんだけど……」

「それなら私、ジェットコースターに乗りたい」

「お、ジェットコースターか。定番と言ったら定番だな。でも大丈夫か。絶叫マシーンって耐性ないときついだろ」

「うんうん。私は大丈夫だよ」


 何を根拠に言っているのかはわからないが、確かに記憶喪失になる前の夏はジェットコースターへの耐性がある人間だった。

 俺も同じタイプなので遊園地では気が合ったのをよく覚えている。


「うーん、それでも心配だけど……とりあえずいけるかどうか試してみるのはありか。途中で無理そうなら引き返すって感じで」

「もう。大丈夫だって言ってるのに」

「そんなこと言って後で泣いても知らないからな? じゃあまずはここから近いところにある易しめのやつから行ってみるか」

「わかった!」


 そんな感じで最初のアトラクションがジェットコースターに決まった。

 俺たちはそこから最短距離で移動してアトラクションがある場所へとやってくる。

 そして体験待ちの列に並ぶこと数十分。

 俺たちの番が回ってくる。


「祐樹くん、次は私たちのだよ。ドキドキしてきたね」

「俺は夏とは違う意味でドキドキしてるよ。最後に聞くけどほんとに大丈夫か。リタイアするならもう今しかないぞ」

「だから大丈夫だってさっきも言ったじゃん。ほら、私たちの番が来たよ。行こう」

「お、おう……」


 夏の謎の自信は全く信用できないが、流石に順番には逆らうことができないので、俺は不安を残しつつも車体に乗り込んだ。

 こうなってしまえば俺の心も絶叫マシーン特有のドキドキが襲ってきて夏の心配どころではなくなる。

 久しぶりのジェットコースター。

 なんだかんだ言って俺もすごく楽しみだ。


 安全装置を下ろし、呼吸を整える。

 そしてスタッフの合図が聞こえた次の瞬間、俺たちを乗せたジェットコースターは勢いよく空に向かって飛び出した。


「きゃー!」


 日常では感じることのできない浮遊感が襲ってくる。

 その度に前からは冷たくて気持ちいい風が、そして横からは夏の悲鳴が突き抜ける。


「夏、いけるか?」

「うん!」


 恐る恐る横を向くと、そこにな楽しそうに叫ぶ夏の姿があった。

 どうやら聞こえてきたのは悲鳴ではなく歓声だったようだ。

 ということはこれで俺の心配が余計であることがわかった。

 それなら後は俺も夏のようにこの時間を楽しむことに集中するだけだ。


 どこにでもいる二人の恋人を乗せたジェットコースターは期待に応えるように登って落ちてまた登ってを繰り返す。

 その度に感じるのは心地いい浮遊感と、止めどなく入れ替わる綺麗な風景、そして気がついたら握っていた夏の手の暖かさ。


 俺はこの瞬間だけは迫り来るタイムリミットのこともその後のことも忘れて空に叫んでいた。


「楽しかった……」

「私も楽しかった。でも祐樹くん、乗ってるとき変な声出てたよ」

「それは言うな」


 車体から降りた俺たちはそんなくだらない会話を数回だけ交わすと、すぐに次のアトラクションを体験しに行った。

 夏が絶叫系のアトラクションに乗っても問題ないことがわかったので、次は難易度の高いジェットコースターに乗った。

 調子に乗って乗り込んだ難易度の高いジェットコースターに最初は正直緊張したが、風を感じた数秒後には興奮に変わっていた。


 それは夏も同じだったようで空にいる時に何度も俺の名前を呼びかけてきた。

 ジェットコースターに対する謎の自信に最初は不安を感じていたが、夏はちゃんと俺との遊園地を満喫してくれているようだった。


「遊園地、楽しいね」


 その後も合間に休憩を挟みつつ、色んなアトラクションを体験した。

 その中で人気のアトラクションの長い待ち時間も経験したが、その退屈な時間でさえも夏がいるだけで楽しかった。


 もちろん夏が行きたがっていたお化け屋敷にも行った。

 最初は意気揚々と先頭を歩いていた彼女だったが、最終的には俺の一歩後ろを歩いていた。

 そのことを揶揄うと拗ねたように顔を膨らませていたのがまた面白かった。


 食べ歩きもしたし、買わなかったけどお土産が買える売店にも入ったし、よくわからない謎の施設に入ったりもした。

 途中でうっかり道に迷うこともあったが、俺たちはこれも遊園地デートの一部だと一ミリも気にすることはなかった。

 まるで夢のように全てが楽しかった。

 声が枯れるまで叫び、今までの中途半端な時間を取り戻すように笑い合った。


「遊園地、楽しいな」


 最初は遊園地を満喫している夏の姿を見られるだけで嬉しかった。

 でも今はそれだけじゃない。

 俺自身もこの遊園地を心の底から楽しんでいた。


「……そろそろ暗くなってきたな」


 気づけばデートの終盤。

 ライトアップされた夜の遊園地は日が射していた昼の時間からガラッと雰囲気を変えて人々を飽きさせない。


「夢中になってたらあっという間だったね」

「そうだな。ほんとあっという間だった」


 俺がそう言うと夏は静か微笑んだ。


「最後はやっぱりあれ?」

「うん。観覧車に乗ろう」

「もちろんいいよ」


 この時間でもまだ並んでいる人は多かったが、俺たちは気にせずゴンドラが回ってくるのをゆっくりと待った。

 程なくして俺たちの順番が回ってくる。

 俺は夏が転ばないように優しく手を取ってから自分の隣に誘導した。


 1つの席を2人で分け合って座り込んだ俺たちは肩を並べて同じ景色を眺めている。

 当然そこはもう数十分は誰にも邪魔されない2人だけの空間だ。


「綺麗だな」

「うん。とっても綺麗」


 上に上がるにつれてどんどん小さくなっていく遊園地。

 この映像だけでももちろん綺麗だが、次第に周辺にある建物も巻き込んでさらにその壮観さを増す。


「なあ、夏」

「ん?」

「また来たいな」


 綺麗な景色に感化された俺は思い切って夏にそう言ってみた。


「へぇ、そんなに楽しかったんだ」

「多分、夏が思ってる以上にな。だから海に行ってもまだ記憶喪失のままだったら遊園地にも行こうよ。もちろんここじゃなくて他の遊園地でもいいし」

「祐樹くんの気持ちはわかるよ。でも私は無理だと思うな」

「普通に考えたらそうなんだけどさ。気持ち的にはっていうか、そう思ってた方がいいっていうか……。いや、でも実際そうだよな。うん。全くその通りだよ。ごめん、変なこと言って」


 突き放されたことに動揺しながらも、夏の言う通りなので否定できなかった。

 実際、俺も心の中では明日のクリスマスが最後になると考えている。


「それより見て。遊園地がもうどこかわからなくなってきたよ」


 夏にそう教えられてぼんやりと見ていた景色に再び集中すると、いつのまにか遊園地が半分くらいの大きさになっていた。

 少し上から見下ろす町も立体的で綺麗だったが、街全体を見下ろすこの光景もすごく綺麗だ。


「私、この景色を忘れないようにするね」

「そう言ってくれたら嬉しいよ。もちろん俺も絶対に忘れないけどな」


 その言葉が嘘ではないと証明するように、俺は目の前の景色を目に焼き付けた。

 ここからの景色をもう一度見ることはできない。

 他の誰かと見に来ることは出来るが、夏と2人でと言う意味ではこれが最後だ。


「そう言えば写真撮らなくてよかったのか」

「写真?」

「ほら、昨日夏が撮ろうって言ってたじゃん。今日はまだ一枚も撮ってなかったよな?」

「あー、そう言えばそうだったね。うっかり忘れてたよ」

「そっか。なら今撮るか?」


 俺がそう提案すると、夏は急に無口になる。


「夏?」

「……」

「あ、悪い。集中したかったよな……」


 写真よりも見ることを優先したかったのかと思い急いで謝罪すると、夏は徐にその場から立ち上がり、そのまま向かいの席に移動した。


「ど、どうした?」

「気づいてない?」

「何が?」

「気づかなかったんだ……」


 呆然とする俺に夏は意味深な発言を繰り返す。

 だが俺は未だに夏が言っているのが何のことなのかさっぱりわからない。


「だから何がだよ。もっと詳しく言ってくれないとわからないよ」

「祐樹」

「え?」

「こう言ったらわかるかな」


 出されたヒントは名前だけ。

 だがわかるわからないで言えばわかる。

 だってその答えは一つだけしかない。


「もしかして記憶が……」

「……」

「記憶が戻ったのか」


 俺が恐る恐る答えを出すと、夏は一言こう返してきた。


「……うん」

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