好きになってしまった
第34話
駅から学校までの短い道のり。
久保田、夏、北見は並んで歩いているが、そこに入っていく勇気のない俺は後ろの方を三人に遅れない程度の速さで一人進んでいた。
「夏、この道に見覚えある?」
「どうだろう。懐かしい感じはするけど……」
「この道は私も健太ももちろん夏も通ってた道なんだけど、よくさっきいた駅で待ち合わせて一緒に学校まで行ってたんだよ」
付き添いで来た俺が前から聞こえてくる会話に静かに耳を傾けているのは、もちろんその会話に参加する機会を伺うためではない。
ただ話の流れぐらいは知っておかないと、話しかけられた時に上手く対応できなくなる可能性があるからだ。
「そうだったんだ。うーん……でもごめん。今のところ見覚えみたいなものは感じないかな」
「そっかぁ。まあこの辺の道って特徴とかあんまりないから仕方ないか」
「俺たちもこんなに意識して見たのは初めてだしな。何か中井でも気づくような目印みたいなのがあればいいんだけど」
「それに関してはちょっと待ってね。そろそろあれが……あ、きたきた! 夏、見てこのお店」
なにやら馴染みのあるものを見つけたのか、久保田が興奮気味に立ち止まる。
「このお店がどうしたの?」
「このお店の名前はスギサキベーカリー。見た通り普通のパン屋さんなんだけど空いた時間とか帰り道に二人でよくここに来たんだよ」
「へぇ、このお店が……」
「パンもたくさんの種類があるんだけど、その中でも夏はここのチーズパンっていうのがすっごく好きだったの」
「スギサキベーカリー、それとチーズパン……」
「どう? 何か思い出せそう?」
久保田の丁寧な説明を聞いた夏はすぐに真剣な表情でその店を見つめ始める。
もちろん近くにいた二人はそれを期待の篭った表情で見つめるが、俺の経験上すぐに何かしらの反応がなかった場合もハズレの時だ。
「……うんうん。ここもダメみたい。せっかく教えてくれたのにごめん……」
思った通りの結果に俺はあっけらかんとしつつ、記憶を無くした夏に慣れていない二人がこれにどんな反応を見せるかを横目で観察する。
「もう、そんな顔しないでよ。時間がかかったとしてもいつかは戻るんでしょ? 今は冬休み中だしそれが終わるまでにはきっと戻ってるよ」
「久保田の言う通りだ。時間がかかっても俺たちは最後まで付き合うからさ……まあでも本音を言うならクリスマスまでには戻ってて欲しいとは思ってるんだけどな?」
「ちょっと健太、プレッシャーになるようなこと言わないでよ。気持ちはわかるけど、今の夏は私たち三人が出会う前の夏だから冗談一つでも傷ついたりするんだよ」
「悪い悪い。ちょっと言ってみただけだよ。中井は冬休みが始まるのを楽しみにしてたからな」
久保田と北見は場を盛り上げるような会話を挟みつつ、積極的に夏を励ます言葉をかける。
二人の態度次第では夏をさらに落ち込ませる可能性があったので少し心配していたが、どうやら杞憂だったようだ。
「とりあえずここには帰りに時間があったら寄ろっか。大学もそんなに長い時間はいれないし。さ、気を取り直して行こう」
久保田の掛け声で再び歩き出す。
ここまでの一連の流れを含めて、この調子なら俺があれこれ口を挟まなくても夏のことは二人に任せて問題はないだろう。
それは俺だけでなく夏本人も思っているようで、さっきよりも落ち着いた態度を見せている。
もちろん一人だけ蚊帳の外のこの状況に思うことがないわけではないが、何事もなく平和に時間が過ぎていくならこちらとしても好都合だ。
「……ねぇ」
さっきまでは確かにそう考えていた。
だが平和な時間が終わりを告げたのは、そんなことを考えていた矢先のことだった。
わざわざ後ろにいた俺の隣に並んでまで話しかけてきた控えめな声の正体。
それは直前まで夏や北見と楽しそうに会話をしていた久保田だった。
「池野、だったっけ。あなたに言っておきたいことがあるの」
「……何だ?」
「夏との仲直りを手伝ってくれたことには感謝してる。でも悪いけど私、あなたのことは今でも嫌いだから」
久保田は前を歩く夏と北見にぎりぎり聞こえないぐらいの声でそう言い放つ。
それとほぼ同時に俺が呆れるのではなく気を引き締め直したのは、これが俺の危惧していた久保田からの接触だと確信したからだ。
「……ああ、知ってるよ。あれだけ態度に出されてたらな。それにそう思われても仕方ないことをしたとも思ってる」
「だから反省してるって言いたいの? 言っとくけどそんなのは当たり前だから」
「当たり前か。確かに。でもそれならお前は俺に何を求めてるんだよ。まさかそれを言うためだけにわざわざ話しかけてきたのか?」
「あっそ。じゃあ私も遠慮せずに言うけど、今日は来ないで欲しかったんだけど。ていうかこの状況でよく来れたね」
ここまでほぼ予想通りの展開。
だがこれから起こるであろう言い争いのことを思うと、平静を装い続けることはできなかった。
「……それは俺も同じ意見だよ。正直来たくなかったし。でもそれを言うなら相手は俺じゃなくて夏だろ。俺を連れてきたのはあいつだし」
「そんなの今の私が言えると思う?」
「まあ無理だろうな。でもそれなら俺がここにいる理由も少しは理解できるだろ」
「いいえ、出来ないわ」
「……出来ない?」
「だってあなたはもう夏のことを何とも思ってないんでしょ? さっきから夏を盾にしないでよ」
パッと思い浮かんで口にしたその場しのぎの言葉に、久保田が動揺を見せることはなかった。
むしろその勢いは徐々に強まってきていた。
「黙ってないで何とか言ったらどうなの」
「……断りたくなかったんだ」
「答えになってない。あなたにとって都合がいいのはどう考えても断った方でしょ?」
「夏と接している内に気が変わったんだよ。今の俺はお前らと同じぐらい夏を助けたいと思ってる。だから……」
「だから? また夏を傷つけてもいいって?」
久保田は俺の言葉をわざわざ遮ってそう訴えかけた後、道の真ん中で足を止める。
「……人のことは言えないかもしれないけど、余計なことをしてまた夏を泣かせるの?」
よく見ると遠くの空をぼんやりと眺めていた久保田の目はいつのまにか俺の方に向いていた。
同じように止まってやる義理のなかった俺が足を止め気になったのは、その光景を見た後だった。
「……俺だって悪いとは思ってる。夏が悩んでたなんて知らなかった。それにお前が心配してる記憶が戻った後のこともちゃんとわかってる」
「わかってるならどうして言うことを聞いてくれないの?」
「今の夏は俺を信用しきってる。夏のためにせめて今だけはそれを裏切りたくないんだ。記憶を無くしてからずっと立ち止まったままのあいつを見捨てることなんて俺にはできない」
「立ち止まったままの夏のため、ね……」
「……何かおかしいか?」
「おかしいよ。だってあなたに裏切られた記憶を失う前の夏はもうとっくに前に進もうとしてたんだから」
久保田の勢いに少しずつ押され始めていた俺は、その言葉で遂に声を詰まらせる。
「あなたが側にいることが夏にとってよくないことぐらいわかってるでしょ? まさか記憶が戻った時に気まずそうな夏を見ておもしろがろうとしてるんじゃないでしょうね?」
「そんなわけないだろ。俺はただ……」
「じゃあもう後は私たちに任せてあなたはこれ以上、夏に関わらないで。あの子を少しでも想う心があるなら出来るはずでしょ?」
「だ、だからこそだよ。今の夏には俺が……俺がいなかったらあいつが一人になる……」
このままではまずいと思って何とか絞り出したこの言葉は決して苦し紛れの言い訳ではない。
だがそれを聞いた久保田は鼻で笑った。
「一人? それ本気で言ってるの?」
「……は?」
「本当に気づいていないみたいだから教えてあげる。夏はもう……」
久保田が俺すら知らない夏の真実を打ち明けようとしたその時。
「何してるんだー、お前ら」
「二人ともー、早く来ないと置いてくよー」
遠くの方から語りかけてくるような声が不意に割って入ってくる。
恐る恐るその方に顔を向けると、そこには夏と北見がいた。
無断で立ち止まっていたせいで二人の姿は随分と遠くにある。
「あ、ごめんごめん! 今行くからー!」
さっきまで激昂寸前だった久保田は自分の名前が呼ばれたことに気づくと、すぐに顔色を変えて元気な声を返す。
そして彼女は俺を一瞥して少し迷う姿を見せつつも、最後は会話を中断して二人の後を追いかける方を選んだ。
久保田が去った後の空間に残ったのは自分と殺伐とした静けさのみ。
俺が状況を整理しようと思ったのはこの辺りからだったが、その情報だけでも今の状況を十分に理解するができた。
「……俺も行かなかきゃ」
さっきまでの張り詰めた空気がないということはつまり、久保田とのあの不毛な言い争いが一旦ではあるが終結したということ。
なら次に俺が行わなければならないのはこんなところで余韻に浸っていることではなく三人の後を急いで追いかけることだ。
もちろんそうなると久保田に逆らうことになるが、最初に言ったように俺は自分の意思が間違っているとは思っていない。
なぜなら今の夏には誰かの助けが必要だから。
久保田が知らないだけで俺は知っている。
夏がどんなに不安を抱えているのかも、俺たちが今までどれだけ助け合ってきたのかも。
だからこの場合、正しいのは久保田ではなく俺だ。
俺は呪文のようにそう呟いた後、遠くに見える三人の後を急いで追いかけた。
さっきよりも重たくなった足で。
「華奈、祐樹くんと何話してたの?」
「それは内緒。そんなことより夏、もうそろそろ大学の建物が見えて来るよ。ほら、あの赤いところ」
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