第31話
記憶喪失と聞いたら誰もが気になる疑問。
だが俺はそれに答えられないので、夏の方に視線を向ける。
「それは私が答えますね。っていっても私もよく覚えてないんですが、お母さんが言うには記憶が無くなる直前に階段の前で意識を失って倒れていたそうです。だから記憶を無くしたのは階段から落ちて、その時に頭を強く打ったのが原因じゃないかって」
「……なるほど。そこまで細かく話されたら尚さら信じないわけにはいかないよな。でもさ、それならどうしてそいつのことは覚えてるんだ?」
「えっと、何か勘違いしてるみたいですけど私、祐樹くんのことも覚えていませんよ。あとそいつじゃありません。池野祐樹くんです」
夏が細かいところを指摘すると、男は一瞬だけ驚いた様子を見せたが、すぐにさっきまでの真剣な態度に戻した。
「……そうだな。悪い、池野。池野も俺のことは北見って呼んでくれ。中井は俺のことを健太ってそのまま呼んでたから今の中井もそう呼んでくれたら嬉しい」
「わかりました。健太くん、でいいですか?」
「うん、違うけど……。まあ今は呼び方なんて何でもいいな。それよりもさっきの質問の答えだけど、マジで言ってるのか? じゃあ何でそんなに仲良さそうにして……」
「祐樹くんのことはお母さんに教えてもらったんです。私には祐樹って名前の恋人がいるって。だから私からお願いして記憶を取り戻すのを手伝ってもらってるんです」
男は夏の答えを聞いた直後に何かを察したような顔で俺の方を見る。
「それってつまり……」
「……多分、北見が考えてる通りだよ。俺もさすがに夏の母親に直接頼まれたら断れないからな」
「それであのことを隠してるってわけか。でもそうなるとますますわからなくなるな」
「殆ど説明したつもりだったんだけどな」
「肝心なところがまだだろ。なんでお前は中井にそこまで協力的なんだ? 普通に考えておかしいだろ。だってお前らはもう……」
俺は夏との関係がバラされると思って身構える。
たが俺の予想とは裏腹に北見は途中で話を止めた。
「……いや、今はやめとくか。何を企んでるのかはわからないけど、約束したからな」
それを聞いて俺は再び元の姿勢に戻す。
話す直前で連絡先を交換した日のことを思い出してくれたのだろうか。
何にせよまだ序盤ともいえるこの場所で無用な混乱を生まずに済んだのはよかった。
「……そうしてくれると助かる。まあ今はそんなことよりも女の方はどうなってるんだ。約束した時間はとっくに過ぎてるんだけどな」
「あー、久保田のことか」
女の方がなかなか姿を現さないのでそう聞くと、北見は急に歯切れの悪そうな顔になる。
「……もしかして何かあったのか」
「多分あいつは今日は来ないよ」
「来ないって、は? どういうことだよ。今日はそのために集まったようなもんなのに……。まさか記憶喪失のことを伝えなかったのか?」
「それはちゃんと伝えたって。もちろん集合時間と集合場所も。だからこの時間になっても来ないってことは向こうはまだ仲直りする気はないってことだろうな」
北見は他人事のように話しているが、夏の状況を知っている俺からしたらそれは簡単に受け入れられるものではない。
というかこれは重大な問題が発生したといってもいいだろう。
もちろん俺だってある程度悪い方向に進んでいくことは想定していたが、どう考えても今の状況はそのどれにも当てはまらない。
夏のことを信じる信じない以前の問題だ。
「嘘だろ、まさか来てもくれないなんて……」
「……私のせいですね。友達であることを忘れていたとは言え、あれだけ酷いことを言ってしまいましたから」
「俺も頑張って説得はしたけど、まだ中井のことを話に出せる雰囲気ですらないんだよな。久保田との仲直りはもう少し時間が経ってからってことじゃダメなのか?」
「それじゃダメだ。もういつ記憶が戻ってもおかしくない状況だから、出来れば今日中に仲直りしておきたかった」
この中で夏が怒らせてしまったもう一人の友達と連絡を取れるのは北見だけ。
だからこそ貴重なこの機会を逃して取り返しのつかないことになるのだけは避けたかった。
そんな俺の小さくない焦りが伝わったのか、北見は途端に焦った表情を浮かべ出す。
「それはわかったけど俺にこれ以上どうしろって……いや、一つだけ方法はあるのか」
「……何か思いついたのか?」
「一か八かだけど中井とはもう解散したって嘘をついて呼び出すんだ。俺しかいないってわかったら来てくれるかもしれない」
「確かにそれなら無理矢理でも二人を引き合わせられるけど、今すぐだぞ? 夏のことを話に出せる雰囲気じゃないって言ってたのにできるのか?」
「ああ。さすがに久保田も電話したら出てくれるだろうし、この時間ならまだ来てくれる可能性は高い。まあ怒りをぶつけられるのは覚悟しないといけないけどな」
北見の言った通りこのやり方は確実に久保田の機嫌を損ねるものだし、何ならさらに溝を深めてしまいかねないものでもある。
でもそうすることで二人を確実に引き合わせることができるのも事実。
リスクを取って今すぐ会うか、リスクを取らないで向こうの気が収まるのを待つか。
色々と思考を巡らせたが、最後に決めるのはもちろん夏だ。
「ほんとに一か八かだな。でももうそれしかないか……。夏はどうだ? 勝手に二人で進めてるけど、それでも大丈夫か?」
「大丈夫です。どんなやり方でも仲直りの機会が作れるならやってみます」
三人の意見が一致する。
来ないと伝えられて最初は取り乱してしまったが、これで首の皮一枚繋がった。
あとは夏がこのチャンスを活かせるか。
そしてもう一人の友達に夏への関心が少しでも残っているか。
その二つにかかっている。
「決まりだな。じゃあ今から電話するけど一緒にいるってバレないようにしたいから呼び出すところは俺たちで決める。だから場合によってはここから移動することになるけどいいよな?」
「うん。それは全然構わないんだけど……」
俺はゆっくりと夏の方に顔を向ける。
「はい、もちろん祐樹くんも来てください」
「だよな……」
「はぁ……。まあいいけど」
北見は相変わらず俺を頼る夏を見て呆れた声を出しながらも、ポケットから取り出した携帯を耳に当てて会話を始める。
それを俺と夏が黙って見守ること数分。
「どうだった?」
「成功だ」
ということで俺たちは諦めかけていた久保田を指定の場所に呼び出すという目標を無事に成功させた。
さらに彼女が今すぐにでも来てくれるということなので、俺たちは集合場所へと向かうべく急いで電車に乗り込んだ。
車内では北見の質問とそれに親身になって答える夏の会話に挟まれたせいでなんとも言えない気持ちになっていたが、それも乗り越えてなんとか目的の駅までやって来る。
北見が集合場所に指定したのは広場近くの駅から二駅越えたとこにある駅前の大通り。
つまり目と鼻の先にはすでに夏が怒らせてしまったもう一人の友達、久保田が待っている。
「……覚悟はできたか?」
北見の問いに夏がゆっくりと頷く。
それを合図に俺たちは改札を通って駅を出た。
見えてきた道は思っていたよりも人通りが少ないので、誰かが待っていればすぐにわかる。
「久保田!」
北見が大声で名前を呼んだ。
それに反応して振り返ったのは、携帯を触りながら静かに佇んでいた女。
そしてその女はショッピングモールの帰りに偶然会った夏の友達と全くの同一人物だ。
「健太。急に呼び出してどうしたの。せっかく用事で大学に行ってたのに……って」
そこでようやく後ろからトボトボと歩いてきた夏と久保田の目が合う。
「夏……?」
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