第30話

 次の日、予定通りの時間に俺は夏の友達が待ち合わせに指定した広場へと向かった。


「祐樹くん!」


 広場に着くと、さっそく夏の声が聞こえてくる。

 今日は夏を一人にさせないようにいつもより早く家を出たつもりだったが、今回も出迎えられる形になってしまった。


「祐樹くん、おはようございます」

「おはよう、夏」


 俺たちはいつものように挨拶を交わす。

 ただ夏の表情はいつもと違って浮かない。


「それとごめんなさい。せっかくの休日なのに私の我儘に付き合ってもらって」

「これぐらい別にいいよ。夏を一人にしたらまた暴走しそうだし」

「い、今は落ちついてるから大丈夫ですよ。こう見えて私もちゃんと反省してるんですから、何も考えず言い過ぎてしまったこと。でも実際どうなるんですかね」

「大丈夫。って言いたいところだけど、俺もまだわからない。記憶喪失のことを理解してもらうことができれば何とかなるって信じたいけど」


 そのとき俺が頭に思い浮かべていたのはもちろん夏の友達を名乗る女の存在だ。

 彼女の態度次第では最悪の場合、二度と二人は元の関係には戻れない可能性がある。

 不安を煽るだけなので言葉にはしなかったが、夏も当然そのことに気づいている。


「とりあえずやってみるしかない感じですね……」

「頑張れよ、夏。本当はどうにかしてやりたいんだけど、今の俺には応援ぐらいしかできない」

「いえ、それだけで十分です。なら頑張るから今日も私のこと、見守っていてくださいね」

「おう。それで夏の緊張が少しでも和らぐっていうんなら任せとけ」


 言葉の節々から緊張が伝わってくる。

 だが真剣な表情は崩さない。

 まるで昨日の覚悟が嘘ではないと主張するように。


 俺はそんな夏の姿を見て、意味もなく気を引き締め直した。


「……もうそろそろだな」


 夏と軽く話をしているうちに約束していた時刻である一時手前になる。

 あの二人もそろそろ姿を見せてもおかしくない時間だ。


「あ、あの人じゃないですか。ほら、入り口のところ」


 夏が指差した方向に目を向けると、そこには確かにショッピングモールの帰りに偶然出会った夏の友達と瓜二つの人物がいた。


「遠いのによく見つけたな。でも一人だけか」


 そこにいたのは男の方だけで、どこに目を向けてももう一人の女の姿は見当たらない。

 てっきり二人揃って来るのかと思っていたが、別々で来ているのだろうか。


「中井……!」


 そんなことを考えているうちに、男が俺たちのいる広場にやってくる。

 彼は夏の存在に気づいた瞬間、安心したような表情を浮かべたが、途中で俺の存在にも気づいてその安心をすぐにどこかへ飛ばした。


「……と、何でお前もいるんだ?」

「ただの付き添いだよ。いたらダメか?」

「友達だけで話したいこともあるだろ」

「気持ちはわかる。けど夏が俺がついてきてくれるなら行ってもいいって言うから仕方なかったんだ。邪魔する気はないから安心してくれ」

「そう言ってるけど、本当なのか?」


 男は俺の言葉では信用できなかったのか、ここまで沈黙を貫いていた夏に話を振った。


「……本当ですよ。私が祐樹くんを誘いました。祐樹くんがいたらダメなんですか?」

「ダメってわけじゃないよ。けど部外者がいると話し難いって言うか……」

「それなら大丈夫です。これは私の問題だから祐樹くんの手は借りません。後ろの方で終わるのを待ってもらいます」

「俺が言いたいのはそういうことじゃなくて……っていうか前もそうだったけど、何だよその他人行儀な喋り方は。ふざけてるなら今すぐやめてくれ」

「だからそれは……。いえ、そうですね。そのことを話すために今日は集まったんです」


 今までの流れを無視するように夏が切り込む。

 その瞬間、二人の間に一気に緊張が走ったのがわかった。


「……メッセージで言ってた記憶喪失のことか。俺はてっきりあいつがまた変なことを言い出したのかと思ってたんだけど」

「全部本当なんです。前の私を知る人からしたらおかしく見えるかもしれないけど、この喋り方も私にとっては自然なものなんです」

「それなら何でそのことを俺にすぐ教えてくれなかったんだよ。最後に話した時、嫌なことがあったらまた相談するねって俺に言ってたのに。なのに何で……」

「だって私はあなたのことを知らないから」


 その言葉が男の開きかけていた口を塞ぐ。

 忘れる辛さと忘れられる辛さ。

 悲しみに満ちた顔を見合わせた二人。


 夏は今日のことにずっと乗り気ではなかったが、これで気づいたはずだ。

 この友人関係も記憶喪失になった自分が向き合わなくてはならないものの内の一つだと。


「……わかった。中井、俺は今からおかしなことを聞くかも知れない。だからおかしかったら笑ってくれていい。変な奴だと思ったらそう言ってくれ。俺の名前、覚えてるか」

「わかりません」

「なら俺たちが出会った場所は。そこで俺たちが話した内容は」

「それもわかりません」

「ならあの日、俺と約束したことは」

「ごめんなさい。何もわかりません」


 何度確認しても夏の答えは変わらない。

 それを見て男は遂に口を噤む。

 俺が忘れられたことを知った時はそこまでダメージはなかったが、仲の良い知り合いだったならこの反応が正常だ。


「だから前に言ったことは謝ります。友達じゃないなんて言ってすみませんでした。でも悪いのは私で夏さんは何も悪くないので……だから友達を辞めないでください」

「……いや、俺も悪かった。何も知らないのに中井を責めるようなことして。あと俺は元から怒ってないし友達を辞めるつもりもないよ」

「ということは記憶喪失のこと、信じてくれるんですか?」

「まあそうだな。今ので確信したって言うか信じるしかなくなったって言うか……。上手く説明できないけどそういうことだから」

「そうですか。よくわからないけど、それなら良かったです」


 その言葉を聞いた夏は重圧から解放されたように一度大きく息を吐いた。

 それを見て俺もそっと胸を撫で下ろす。

 男の方は元々仲直りに協力的だったので最終的にはこうなるとわかっていたが、いつのまにか固唾を飲んで見守ってしまった。


「そういうことだから」


 話が一段落したところで俺はそう切り出した。


「……中井はちゃんと元に戻るんだよな」

「夏の母親は必ず戻るって言ってた。そしてその期間は長くても1ヶ月、早かったら明日戻っててもおかしくないとここまで見てきた俺は思ってる」

「前に言ってたのはそう言うことだったのか……。うん。中井に何が起こってるのかはわかった。大体はな。正直まだわからないこともある」

「まだ他に何かあるか」

「ああ。そもそもどうして中井は記憶を失うようなことになったんだ」

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