仲直り

第29話

 砂浜沿いの道を往復して最初の位置まで戻ってきた俺と夏はそのまま帰路に着き、くたくたになりながらも無事に駅に到着して帰りの電車に乗り込んだ。


「やっぱり絶景だったな」

「はい。想像していた何倍も綺麗な海でした」


 乗客が殆ど見当たらない車内にポツリと響いた俺の声に夏は元気よく頷く。

 さらに彼女は長時間の移動で疲れているにも関わらず、そこで海に来る前よりも晴れ晴れとした顔を見せてくれた。


「最初見た時は俺もびっくりしたよ。奥にあんな景色が待ってたなんて」

「歩いて時間はかかったけどあの景色を見たら疲れも何もかも吹き飛びました。それにその後砂浜の上で祐樹くんとはしゃぎ回ったのもすごく楽しかったです」

「ああ。俺も久しぶりにあんなに笑った気がするよ。少しだけど記憶に変化もあったし」

「そうですね。これで思い残すことはもう何も……あ、そういえば海の写真……!」


 今日のことを振り返っていた時、突然夏が慌てたように声を上げる。


「どうした、そんなに慌てて。写真?」

「実は海で写真を撮ろうと思ってたんです。私と祐樹くんを入れた記念の写真を」

「へぇ、それはいい試みだな。けど流石に言い出すのが遅くないか」

「行きの電車まではちゃんと覚えてたんです。なのに向こうに着いてからはすっかり忘れてて……」


 終始和やかなムードで進んでいた帰り道に突如として暗雲が漂い始める。


「ここまで来たらもう引き返せないし、次に行く思い出の場所で撮るってことじゃダメなのか?」

「海で撮った写真がいいんです。あの海は夏さんにとっても、私にとっても特別なものなんです」

「もちろんそれは俺も同じだよ。けど景色はちゃんと見れたんだから別にそこまで写真に拘らなくたって……」

「拘るに決まってるじゃないですか。今日の気持ちも思い出も忘れたくないし。何より私は祐樹くんに忘れてほしくないんですよ」


 夏が静かに声を荒らげながら語った思い出を写真に残すことに拘る理由。

 それを聞いてしまった俺はこれ以上、夏を諦めさせる言葉が見つからなかった。

 

「……それじゃあまた来るか?」

「え?」


 俺が何気なく口にした言葉に、夏は驚いたような表情を見せる。


「だからまたあの海に二人で行こうかって言ってるんだよ」

「それはすっごく行きたいですけど……。ほんとに連れていってくれるんですか……?」

「ほんとだって。てかそれしか写真を撮りに行く方法ってないだろ」

「ほ、ほんとにほんとですか……? 約束してくれますか……?」

「ああ、約束するよ。まあその頃には夏の記憶が戻ってるかもしれないけどな」


 もちろん明日や明後日にすぐ行くということは出来ないが、一週間後辺りで且つ記憶を失ったままの状態なら海に行く時間ぐらいは取れるだろう。

 それにこれは記憶を無くした彼女の初めての我儘なので、応えなかったら恋人として失格だ。


「その言葉、絶対に忘れないですからね? もう取り消すことも出来ないですからね?」

「俺も忘れないよ。だからいつになるかはわからないけど絶対行こうな。またあの海に」


 まだ不安を拭いきれていない夏に対して俺は再び約束を守ることと、それが自分の意思でもあることを伝えると、そこまで聞いてようやく俺の言葉を信じる気になったのか、夏は安心したように一度大きく息を吐いた。


「祐樹くん、本当にありがとうございます。そしてごめんなさい。急に我儘なこと言って」

「いや、むしろこれからも言いたいがことがあったらその場で遠慮なく言ってくれ。前にも言ったけど俺たちは恋人なんだから」

「そうですね。じゃあこれからはそうさせてもらいます。あ、だったら祐樹くんに話そうか迷ってたことが一つあるんです」

「さっそくか。いいよ。何でも言ってくれ」

「実は昨日、携帯の中に保存されてる写真を見てたんです。そしたら祐樹くんとの写真の他にあの二人との写真を見つけてしまって……」


 あの二人という言葉で何となく察しはつく。

 でも一応夏が見せてきた携帯の画面を覗くと、そこには思った通り夏の友人を名乗っていた男女と夏の三人が入った写真が映し出されていた。


「これってあの時の二人だよな。この写真があるってことは……」

「あの二人は私の友達だった、っていうことなんですかね」

「多分、っていうか絶対にそうだろうな。写真があるんだったら友達じゃないって方がおかしい」

「どうしよう……。それなら私、あの二人に取り返しのつかないことを言ってしまいました……」

「なるほど。それが夏の話しておきたいことってわけか」


 夏が動揺しながら話したこの話題は夏の友達との約束で後々触れるつもりだったもの。

 だから俺にとってこれはチャンスだ。


「俺も夏の友達のことについてはよく知らないからなんとも言えないけど、もし本当の友達だったとしたら夏はどうしたい?」

「私はできるなら仲直りしておきたいです。もちろんあの二人は祐樹くんのことを悪く言ってたので後悔はしてません。でも私はあの人たちともちゃんと向き合う義務があると思うんです」

「そうかもな。けど仲直りしたいたら記憶喪失のことはちゃんと打ち明けないといけない。それはわかってるのか?」

「はい。写真を見た時から覚悟はできてました。謝罪もするつもりです。もちろんそれで許してもらえるかは分かりませんが……」

「ならやってみるだけやってみようか。仲直りとまではいかなくても、無くなった夏への関心は戻ってくるはずだ」


 夏が思っていたよりも乗り気だったことで仲直りの絶対条件である謝罪をする、さらには記憶喪失であることを打ち明けるという方向へとスムーズに誘導することができた。

 これであとは友達の二人に信じてもらうことさえできれば、懸念していた夏の記憶が戻った後の関係も心配する必要はなくなる。


「連絡は俺に任せてくれ。まずは夏に仲直りする気があること、それから記憶喪失のこと、最後にできるなら電話もしたい、と。うん。こんな感じでいいだろ。あとは向こうの返事を待つだけだ」

「ありがとうございます。でもいつのまに連絡先を?」

「夏を家まで送った後にたまたま会ってさ。男の方しかいなかったけど、そこでもしもの時のために連絡先を交換してたんだ」

「なるほど……。さすが祐樹くん」


 そんな会話をしている内に早くも向こうからメッセージが返ってくる。


「……まあそうなるよな」

「どうでしたか?」

「多分、記憶喪失のことは信じてもらえてないな」


 直接会って話がしたいという趣旨の言葉だけで、記憶喪失に関してのことは一切書かれていない画面を夏に見せる。


「どうする。向こうはそう言ってるけど」

「直接、ですか……」

「嫌だよな。夏の気持ちはわかる。でも俺から見てもあの二人は本当に夏の友達なんだと思う。話してみて信用できるやつだって思ったし。だからちゃんと真実を伝えればわかってくれるよ」

「そうですよね……」

「それに卑怯なことを言うかもしれないけど、記憶が戻った時に友達が減ってたら悲しむ奴がいるだろ?」


 記憶喪失になる前の夏を引き合いに出すと、夏はすぐに表情を変える。


「……わかりました。祐樹くんがそこまで言うなら直接謝ってきます。記憶喪失のこともちゃんと目を見て伝えます」

「ほんとか?」

「はい。でもその代わりに条件っていうか、お願いっていうか……そこに祐樹くんもついてきてくれませんか?」


 俺はそんな突拍子もない提案を聞いてもほとんど表情を変えることはない。

 この展開は自分の頭の中で何となく予想していたものだったから。


「嫌な予感しかしないけど……わかった。それで安心できるって言うなら俺も行くよ」

「ほんとですか……?」

「喧嘩になったのは俺が原因でもあるし、何より夏の頼みだからな」


 三人の中に知り合いでもない俺が入っていくのはどう考えても場違いだし、最悪の場合俺と夏の友人の間でまた諍いが起きる。

 だから行きたくないというのが正直な気持ちだったが、俺から仲直りすることを勧めた以上責任は俺にもある。

 それに考え方によっては俺のいないところで厄介な話が展開されるより、ついていって夏を監視できる方が都合がいいとも捉えられる。


 何はともあれこれで悩みの種が一つ解決した。


「それで日時と会う場所のことだけど、明日の昼に夏の家から一番近い駅の横にある広場に集合だって。夏もそれで大丈夫か?」

「場所はどこでもいいですけど、明日の昼ですか……」

「もしかして都合の悪い時間だったか?」

「いえ、そういうわけじゃないんです。ただ明日は休日だから他の思い出の場所に出かけられたのになって思って」


 さっきまで緊張感に包まれていた俺も、それを聞いて思わず頬を緩める。


「そうだな。でも早めに仲直りができたらその後でも時間は取れるし、遊べないこともないと思うぞ」

「あ、確かにそうですね。じゃあ明日は頑張って仲直りして、そこからは祐樹くんと思い出の場所に行く。そういう予定にしましょう!」

「そうだな。うん。そうしようか」

「これも約束です!」


 ゆっくりと体を休めるはずが、思っていたよりも忙しいものになった帰りの電車。

 ただその一時は最後に夏がこうやって希望に満ち溢れたような綺麗な笑顔を見せてくれたことで優しい雰囲気に包まれる。

 そんな状況で俺の頭の中をふとよぎったのは、この時間がこのままずっと続けばいいのにというなんとも子供っぽい願い。


 だが当然のことながらこの時間が永遠に続くことは決してない。

 日が落ちかける街を通り抜ける電車は、俺たちをあっという間に目的の場所へと連れて行く。

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