第21話
◆
「
夏の暑い日差しが降り注ぐ下で俺は彼女に向かって必死に頭を下げていた。
「悪い……」
「説明してよ。今日は絶対に遅れてこないでって言ってたよね?」
「寝坊しちゃったんだ。起きたら約束の時間を過ぎてて……。本当にごめん」
心待ちにしていたデートの雲行きが怪しくなりつつある原因は俺の遅刻。
時計を見ると予定していた時間から三十分は余裕で超えていた。
「昨日あんなに言ってたのに……。もうほんと最悪。待ってる間に汗かいちゃったし」
「だから悪かったって。今日はごはん奢るから許してくれよ」
「そう言うことじゃないでしょ。私、本気で怒ってるんだよ?」
何度か謝罪の気持ちを伝えてはみたものの、夏の怒りは収まる気配を見せない。
それどころか俺の反省する姿勢を見てさらに悪化していく。
「なあ、どうしたら許してくれる?」
「そんなことくらい自分で考えてよ」
「それがわからないから聞いてるんだけどな……」
「それならもういい」
ことごとく地雷を踏んでいく俺に夏はとうとうそっぽを向いてしまう。
こうなったらもはや時間をかけて許してもらうぐらいしか方法は思いつかないが、残念なことに次に来る電車は俺たちが仲直りするのを待ってはくれない。
だから今の俺に取れる選択肢はため息をつきたくなるのをグッと堪えて、再び夏に誠意を込めた説得をし続けることだけだった。
根気強く説得を続けた結果、目当ての電車に乗り込むことが出来た。
だが当たり前のように彼女の不機嫌な態度は変わる様子がないみたいなので、俺は気分転換を兼ねて窓の外を眺めることにした。
暫くは代わり映えのない街並みが続いているだけだったが、俺たちを乗せている電車がちょうど鉄橋に差し掛かったところであるものを発見する。
「……海だ」
見えてきたのは終わりが見えないほどの大きな海だった。
もちろんそこだけを切り取ったらありふれた光景になるが、実は今日の最終目的地も海。
そこは今見えてるような堤防に囲まれた海ではなく砂浜のある海で、しかも水が綺麗で訪れる人が少ないから落ち着いて過ごせるという、いわゆる穴場スポットだ。
その海の存在を教えてくれた夏の友達によると、駅から歩いて時間はかかるが見に行って損はないらしい。
「夏、窓から海が見えるぞ。ほら、あそこ」
この海を見て今日の目的を思い出してくれたら、もしかしたら機嫌が直るかもしれない。
俺はそう思って海の存在を夏に教えてみたのだが、彼女は「そうなんだ」と適当に返事をするだけでいくら待っても窓の外に目を向ける素振りを見せない。
「いいのか、もうすぐ見えなくなるけど」
「……うん。大丈夫」
「そっか。それは勿体無いな。ここから見える海もそこそこ綺麗なのに」
「いいの……」
「そっか……」
そんなアピールも虚しく、彼女が海を見るよりも先に俺たちを運ぶ電車が次の街へと渡ってしまった。
向こうに着いたら浮き足立って自然と機嫌も直るだろう楽観的な考えを持っていた俺だが、そこでようやく小さな焦りが生まれた。
その後、到着した最寄りの駅から目的の海までの道を徒歩で暫く進んできたが、夏の態度に変化が現れることはなかった。
「……何回も言うけど、今日は楽しみだな」
一度か二度はもうすでに言った気がする言葉を俺はもう一度夏にかける。
この頃になると半分はもう諦め状態だった。
「あ、そうだ。濡れてもいいように着替えの服とかタオルはちゃんと持ってきたか? 夏、昨日の電話で水の掛け合いしたいって言ってたもんな」
「……そうだったね」
「もうすぐ夏も終わりだって言うのに暑いのは全然変わらないな。しかもここからまだ十分以上は歩かないといけないらしいぞ」
「……知ってる」
夏からはまたしても適当な返事が返ってきたが、俺も発言が徐々にまとまらなくなってきた。
「じゃあ途中で休憩しなくても大丈夫か? 夏は俺より疲れてると思うし」
「……別にいいよ」
「誕生日……。そうだ、もうすぐ夏の誕生日だから何が欲しいか聞こうと思ってたんだ。夏、何か欲しいものはあるか?」
「……わからない」
夏が俺を待っている間に辛い思いをしたのはもちろんわかっているし、俺が全面的に悪いということもちゃんとわかっている。
しかし何度目かの適当な返事が聞こえてきた時に、募っていた焦りが小さな苛立ちへと変わっていくのがわかった。
「なあ、そろそろ機嫌直してくれって」
俺は夏の行手を阻むように立ち止まってから、少し強い口調で話しかける。
「俺が悪かったけどせっかく電車を使って遠くまで来たんだからもっと楽しい雰囲気で行こう。な?」
「……」
「ごめんな、今日は。本当に反省してるんだ。だから許してくれないか?」
無理やり本音を出させるような形にはなったのは悪いが、夏に仲直りする気があるならこれで少しは歩み寄りを見せてくれるはず。
そんな気持ちで夏からの返事を待っていると、夏は躊躇うような仕草を見せながらもようやくこちらに目を向けた。
「……さい」
「え? 今なんて……」
「うるさい」
俺の耳に飛び込んできたのは尚も俺を突き放そうとする言葉。
そしてその言葉で俺もとうとう我慢の限界が来てしまった。
「……あのなぁ、そんなに俺が許せないんだったらさ、もうそれなら帰ろうぜ」
「帰る? どうして?」
「どうしてって、楽しくないならここにいても意味ないだろうが」
「それは祐樹だけでしょ」
「俺だけ? どういう意味だよ、それ」
急に口数が多くなったかと思えば聞こえてくるのは耳を疑うような言葉だった。
「それにどうして祐樹が怒ってるの? 祐樹が遅刻したのが悪いのに」
「怒ってるわけじゃない。俺はお前のために言ってるんだ」
「私のためじゃなくて自分のためでしょ。そんなこと言うんだったら祐樹だけ帰ればいいじゃん」
「は? それじゃあ海には一人で行くってことかよ?」
「そうだよ? 見に行くだけなら別に一人でもできるし。何か文句ある?」
「いや、文句って……」
そこで俺は危うく言ってはいけない言葉を口にしてしまいそうになったが、何とか理性を働かせて寸前で止める。
「……あっそ。じゃあもういい。夏の考えはよくわかった。そこまで言うんだったらいいよ。勝手に一人で行けばいい。本当に俺は帰るからな」
「いいよ、帰れば。私は行くから」
「わかった。じゃあな」
俺はそれだけ言い残すと、宣言通り元来た道に向かって歩き出す。
もちろん本当は帰る気など無かったが、こうやって行動で示せば夏も焦って態度を改めるだろうと、そう考えてのこと。
そしてそろそろ不安になるだろうという時に、俺はもう一度夏の方に振り返って様子を確認してみた。
「ほんとに帰るぞ……って、え?」
俺が思わず情けない声を漏らしてしまった理由。
それは振り返った先に躊躇なく海岸に向けて歩き出す夏の後ろ姿があったから。
もちろんそれを見た俺は現実が受け入れられずに放心状態になりかけたが、そこから来た道を戻る決断をするのに時間はかからなかった。
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