第18話 

 二回目のデートの終わり。

 さよならをするまでがデートだと言うのなら、冬の夜道を一人虚しく歩く今はちょうどその頃。


 予定では余韻に浸りながら来る時にも使った駅に向かっているはずだったが、現在の俺は時間が経っても一向に治る気配を見せない胸のざわつきに一人苦しんでいた。


 その原因は俺と夏、そして夏の知り合いである男女の計四人で繰り広げられたあの言い争い。

 もっと具体的に言えば夏の知り合いが俺たちが別れたことを知っていて、さらにそれを夏がいる前で暴露したこと。


 最後は恋人ではないことを否定した俺の方を信じてくれたが、その暴露のせいで夏に僅かでも不信感を持たれてしまった可能性がある。

 それこそ失った記憶を取り戻したんじゃないかと疑ってしまうくらいに、さっきまで隣を歩いていた夏は明らかにいつもと様子がおかしかった。


 また俺の嘘のせいでただの言い争いが取り返しのつかない喧嘩に発展してしまったこともそうだ。

 前にも言ったように一連の夏の言動や行動は夏本人の意思ではなく、記憶をなくしている夏の方の意思が働いている。


 つまりそれはどれだけ記憶喪失になる前の夏があの諍いに無関係だったとしても、友達を失った記憶を無かったことにはできないということ。

 だからもし記憶が戻って彼女が本当のことを知る日が来たとしたら、確実に俺は彼女を絶望させてしまうことになる。


 ここだけ見ても今の状況が厄介なものということはわかるだろう。

 だがそれに加えてどうしたらよかったのかとか、これからどうしていけばいいのかとか、そういう肝心なところの答えが見つかっていないのも俺の胸をざわつかせている原因の一つ。

 それはどうにかなる保証もなく、今なんてもう全てを投げ出したいくらいだ。


 もちろんそうしないのはどうにかしたいという気持ちが俺の中に少しでもあるからだが、そう考えると自分が胸のざわつきを感じてることがなんだか当たり前のように思えてきた。


「……あ」


 不意を突くようにさらなる災難が降りかかったのはそんな時だった。


 聞き覚えのある声がしてその方向に目を向けると、なんとそこには二人いた夏の知り合いのうちの健太と呼ばれていた男がいた。

 さらにその男は俺に気づいた瞬間、待ってましたと言わんばかりに早足で近づいてきた。


「ちょっと待て。中井のことで話がしたい」


 何故こんなところにいるのか不思議だったが、どうやら夏のことを聞くためだったらしい。

 もちろん不毛な争いが始まるのが目に見えていた俺はその提案を断って通り過ぎようとしたが、男は俺の腕を掴んでそれを許さない。


「ちょっと話すだけでいいんだ」

「……わかったから離せ。周りに勘違いされるだろ」

「逃げないか?」

「逃げないって……。でもその前にもう一人はどこに行った?」

「あー、久保田か。あいつならもう帰ったよ。取り返しつかないくらい怒ってただろ? ああなったら俺にもどうしようもないから」


 自分も迷惑しているとでも言いたげな態度で男はそう打ち明ける。


「そっか。まあどっちかというと久保田ってやつの方が正しい反応だと思うけどな」

「気にしてないのは確かだけど、俺も正直びっくりはしたよ。話し方とか態度とかもまるで別人みたいになってて。まあでも……」

「ん……?」

「中井の言う通りお前にはちょっと言い過ぎたわ。悪い、あの時は冷静じゃなかった」


 男の口から全く予期していなかった言葉が飛び出したせいで思わず目を見開く。

 だがそこで自分が少しムキになっていたことにも気づいて、そっと襟を正した。


「……まあ俺のせいなのは間違ってないし、それに嘘ついたのは事実だから」

「ふーん……やっぱり中井がおかしくなったのはお前が原因だったんだな」

「それは違うんだ、少し。最初に深い事情があるって言っただろ。それは本当なんだ。でもそれについては俺からは言えない」

「深い事情か……。さっきも言ったけどそれだけじゃ曖昧すぎて納得できないんだよ」


 男の言っていることは至極当然だ。

 だがそれを理由に夏の意向を無視することも違う気がする。


「……詳しいことは言えないけど夏は今病気っていうか症状っていうか。とにかくそのせいで学校に行くことができないんだ」

「病気? それはほんとか?」

「ああ。詳しい内容については言えないけどほんとだよ。まあお前が信じてくれたらの話だけど」


 できるだけ譲歩したとは言え、どうせこれも疑われて終わるだろう。

 俺はそう思ってダメ元のつもりで話してみたのだが、驚くことに男はそれを聞いた直後から悩むような仕草を取り始める。


「うーん、そうだな……。保留、って言いたいところだけど、中井と連絡取るのに頼りになるのはお前だけだし……。よし、わかった。お前を信じるよ」

「これで信じるのか?」

「ああ。学校に来れないのに理由があるのはなんとなくわかった。けどその代わり久保田と中井の仲直りにはお前も協力してくれよ?」


 俺は次の言葉に詰まりかける。

 もちろん俺のことをあっさりと信用した行動の裏に他の狙いがあったことを落胆したわけではない。

 というかむしろその逆。

 男の仲直りを手伝って欲しいというその狙いが、そして憂鬱だと思っていたこの出会いが、喧嘩の発端になってしまった俺にとっての一筋の光明だということに気づいたから。


「協力する。いや、させてくれ」

「お、おう……?」


 俺が快く承諾すると、男は戸惑ったような態度を見せる。


「何でちょっと引いてるんだよ」

「いや、協力してもらえるとは思ってなくて。最初会った時は本当に頭のおかしいやつだと思ってたからさ」

「頭のおかしいは言い過ぎだろ……」


 失礼な物言いだが、今までの俺がそう思われても仕方ない態度を取っていたことは事実なので、男の言葉に苦笑いで応えた。


「俺の要件はこれで終わりだけど、お前の方から他になんか聞きたいことがあるっていうなら答えるぞ」

「いや、今のところは特にないかな」

「そっか。じゃあ細かいことは携帯で連絡を取り合って……あ、そういえばお前が中井に別れたいって言ったのは本当なんだよな? 頼む、最後にそれだけ教えてくれ」

「いや、流石にそれは無理……って言いたいところだけど、夏に言いふらさないって約束するなら教える」

「約束する」


 そう即答されれば普通は疑ってしまうが、今回だけは俺は何も言えなかった。


「……別れたいって言ったのはほんとだよ。二週間ぐらい前に俺から言った」

「へぇ、そっか」


 男は気になっていたという割には俺が答えてもそれほど表情を変えない。


「今の言葉だけじゃ納得できないか?」

「いや、中井が嘘をつくはずがないって思ってたから納得したよ」

「そうだな。それは確かに」

「まあお前が中井といるのに理由があることはわかったよ。長くなったけどそれじゃあこの辺で。夜遅いのに呼び止めて悪かったな」


 重要なオチの部分で空回りしてしまったようなそんな歯がゆい気分を残しつつも、これでようやく話し合いが終わる。

 そして最後にお互いの連絡先を交換してからその場はとうとう幕引きとなった。


 思い返すと奇妙な組み合わせだったが、ここまで順調に仲直りの話が進んだのは俺たちが真剣に話し合ったおかげだ。

 これでいつでもさっきの男を通して仲直りの場を設けることができ、夏次第では危惧していた記憶が戻った後の三人の関係も大きく改善される。

 もちろん記憶を取り戻すという目的からは少し逸れてしまうが、夏と向き合うことを決めた以上これも俺の責任だろう。


 俺はそこでほっと一息つく。

 問題が解決したわけではないが、今はほんの少しでも胸のざわつきが和らいでいる気がする。

 まあさっきのように突然厄介事に巻き込まれる可能性はまだまだあるで、家に着くまでは油断せずに足を動かした。

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