第16話 

「夏、だよね? 聞いてる?」


 状況の整理に時間を割いていた中、続けて夏に話しかけたのは二人いるうちの女の方。

 見た目は夏と同じぐらいの年齢のどこにでもいる普通の女の子だが、その表情にはどこか険しさのようなものを感じる。


「……夏って私?」

「夏って言ったらあなたしかいないでしょ。ねぇ、どうしてこんなところにいるの?」

「ど、どうしてって言われても……」

「答えられないことなの? 私、夏が学校に来ないからずっと心配してたんだよ?」


 夏の名前を知っていたこと、夏に対してやけに馴れ馴れしい態度だったこと、最後に途中で出た学校というワード。

 夏の名前を呼んだ時から何となくは察していたが、俺はそれらのヒントから今の状況を完全に理解した。

 道端で遭遇した二人は夏の大学の知り合いだ。


「……夏」

「あ、えっと……ご、ごめんね二人とも。最近は忙しくて中々連絡ができなかったの。でも安心して。明日からはちゃんと返すから」


 俺はこの状況を理解できているかを聞くために耳打ちしたのだが、夏はそれを急かされたと勘違いしたのか慌てた様子でそう語りだした。


 ということは夏は記憶喪失であることを打ち明けることはせずに、頑張って話を合わせてこの事態をやり過ごそうと考えているのだろうか。

 彼女の事情を知らない人間になら疑われることはないと思うが、前の夏と比べて若干不自然な話し方であるところは少し不安だ。


「それならどうしてそのことを伝えてくれなかったの? 忙しいなら忙しいって、一言だけでも私たちには言っておいてほしかった」

「それはそうなんだけど……」

「そしたら少しでも安心できたのに。それとも相談も出来ないくらい忙しかったってこと? その学校よりも優先しないといけない用事は」

「ううっ……」


 適当な答えを見つけられなかったのか、夏は早くも言葉に詰まり始める。

 そしてそんな夏に追い討ちをかけるようにもう一人の男も口を開いた。


「中井、久保田くぼたはほんとに毎日心配してたんだぞ。もちろん俺も。だから今日は2人で話し合って中井の家まで行くことにしたんだ」

「わ、私の家?」

「……そう。でも家には夏のお母さんしか居なかった。しかも夏のことを聞いたら今は外に遊びに行ってるって言われて……」

「えっと……。私は、その……」

「もちろんその時は嘘だと思ってけど、今の夏を見たら……。もう何がなんだかわからないよ。夏は今、何をしているの……?」


 知り合いがなかなか学校に来ず、携帯で連絡しても全く反応がない。

 心配して家を訪ねたら知らない男と仲睦まじく歩く本人を偶然発見する。


 それが彼女らから見た視点。

 想像したら最初に険しい表情を見せた理由や、夏の安心してという言葉に引き下がろうとしない理由も理解できた。

 記憶を無くしたことを無闇に言いふらしたくないという夏の意思が変わらなけらば、三人の会話はこのまま平行線を辿ることになるだろう。


 それだけならまだマシだが、何より厄介なのはその会話が白熱した末に言い争いに発展してしまうこと。

 そうなると夏の記憶が戻った後も三人の間に遺恨が残り続けてしまうので、それだけは何としてでも阻止しなければならない。


「……もしかして、隣の人が関係してるの?」

「え……?」

「脅されてるとか、まさか犯罪に巻き込まれてるとか……」

「そ、それはないよ! 絶対にない。この人は信用できる人だから!」


 夏はそれなりに上手く話を合わせていたが、やはり思惑とは裏腹に話はどんどん違う方向に拗れていく。

 ただこのタイミングで俺の話題が出てきたのは運が良かった。


「……ちょっといいか?」


 その声で一斉に俺に注目が集まる。


「横からで悪いけど彼女には深い事情があって大学には行けないんだ」

「深い事情? っていうかその前に誰なんだよお前。この状況じゃあ流石に受け入れられてないって理解できてるだろ」

「そうよ。結局あなたは何者なの。私たちより夏のことを知ってるみたいだけど」


 思った通り警戒されている。

 だが夏のためにもここで引き下がるわけにはいかない。


「夏とは親しい仲だよ。だから夏は君たちが心配するようなことにはなってないから安心してほしい。それにその事情も近いうちに知れるはずだ」

「事情があるのは中井を見てたら何となくわかるよ。明らかに避けてるし。でも悪いけどお前の話は一つも信用できない」

「私も。ここで夏の口から夏の言葉でその事情のことを聞くまでは納得しないから」

「もちろん二人の言いたいことはわかる。俺も夏が大切な存在だからな。けど今はそれで納得してもらうしかないんだ」

「仮にもしその言葉が本当だったとしても夏が学校に来れなかったのがあなたのせいだったら私、絶対に許さないから……って、ん?」


 真剣な話をしていた最中になぜが女の方が無言で俺を凝視し始める。


「な、なんだよ急に」

「うーん、気のせいかなぁ」


 そう呟いた後も依然として疑うような視線を向けられている。

 もちろんその女のことを全く知らない俺には心当たりがない。


「どうした、久保田」

「なんだかあの人、どこかで見たことがあるような気がしてさ……」


 話を聞くに、どうやら夏やその女は俺の顔に見覚えがある様子。

 だが俺の記憶が正しければ俺と彼女が顔を合わせたのは今日が初めてだ。


 だからその謎の既視感の正体は彼女がただ単に勘違いをしているだけか、もしくは俺が忘れているだけで本当に過去に面識があったか。

 あとは彼女が俺のことを一方的に知っていたという場合だけだ。

 もちろんその可能性は限りなく低いが、全くないというわけでもない。


 例えばそう、共通の友達から聞いたとか。


「あ……」


 思わずそんな声が俺の口から漏れたのは足りなかった最後のピースを埋めることができたような、そんな感覚に陥ったから。

 しかしその瞬間に俺が感じたのは残念ながら爽快感などの気持ちのいいものではない。


 夏、そして夏の知り合い。


 そこに見出される一つの可能性。


「ちょ、ちょっと待ってくれ、それは……」

「あ、思い出した! あなた夏の元カレじゃない!」

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