第15話 

 ショッピングモールからの帰り道。

 今はもう既に帰りに使った電車からは降りて薄暗い住宅街の路地を歩いている最中だったが、隣にはまだ夏がいた。


「すみません、わざわざ家まで送ってもらって。祐樹くんと違って私は学校に行ってないからそこまで忙しいわけじゃないのに」

「これぐらい別にいいって。俺だって今はそこまで忙しくないし、それに今日はちょっと寄りたいところもあるから」

「寄りたいところですか? それならいいんですが……」


 俺がわざわざ彼女を家まで送り届けることにしたのは、帰り際のあの一件で予定よりも帰る時間が遅くなってしまったから。

 当然それを伝えた時に夏は遠慮していたのだが、その度に遅れたのは俺のせいだとか、前に来た時も一緒に帰ったとか、色々理由をつけて無理やり納得させた。


「でも学校に行けてないってことはずっと家に篭りっぱなしってことだよな。夏は俺と出かけない日は何をしてるんだ?」

「基本は勉強をしてる時間が多いですね。あとは家の物を見回ったり家の近くを散歩してみたり時々病院に行ったり……」

「病院……?」

「あ、病院って言っても記憶に関することで色々質問されるだけですよ。どのくらい思い出してきたとか、体調の変化とか。あとはここ数日に起こったことも聞かれました」


 いわゆる経過観察というやつなのだろう。

 彼女は何でもないような感じで話しているが、俺はそこで彼女が重い病気を患っていることを再認識する。


「そういえば俺以外の記憶のことについてはあんまり話したことなかったな。どうなんだよ、今のところ他の記憶は」

「それもまださっぱりです。もちろん何となく覚えてるものもあったんですけど、祐樹くんのことだったり友達のことは……」

「そっか、友達のこともあるのか」

「毎日携帯にメッセージが届くんですけど、まだ一つも返せてなくて……」


 失った記憶には俺だけでなく友達のことも含まれている。

 確かにそうだ。

 ただメッセージを一つも返せていないという言葉には少し違和感があった。


「その友達に記憶喪失のことは話さなかったのか? 俺みたいに理解してくれる人がいるかもしれないのに」

「我儘かもしれないけど、あまり記憶に関してのことは話して回りたくないんですよね。名前だけじゃ信用できる人なのかわからないので」


 その名前が誰を指すのか、その人と記憶を無くす以前はどんな関係だったのか、そしてその人は本当に信頼できる人なのか。

 そんな簡単なことでさえも忘れてしまった今の夏ならそれは当然ある悩みだった。


「頼れるのは家族かその家族が紹介してくれた俺だけだったってことか……」

「そうなりますね。はぁ……。よく考えたら私って色んな人に迷惑をかけてますね……」

「もちろん俺もどうにかしてあげたい気持ちはあるけど、流石に夏の交友関係のことまでは知らないからな」

「やっぱりそうですよね……」

「まあだけど大丈夫だと思う」


 俺が唐突に口に出したそんな能天気な言葉。

 それにポカンとしている夏の目の奥には、淡々と事実だけを述べながらどこか遠いところを見つめているかつての自分の姿はもうない。


「だって記憶を取り戻すことができれば夏が悩んでることは殆ど解決するだろ? その手助けなら俺にもできるから」

「祐樹くん……」

「だから、これからも辛いことがあるかもしれないけど二人で頑張っていこう」


 俺の励ましの言葉を聞いた夏は一瞬不意をつかれたような表情を見せたが、その後は想像していた通り明るい表情を取り戻していった。


「そうですよね……。こんなところで挫けてる場合じゃないですよね……。ごめんなさい、私また弱気になってました」

「それは仕方ないよ。そういう時のために俺がいるんだから」

「そうですね。よし、それなら祐樹くん、よかったら今度の土曜日またお出かけしてくれませんか?」


 夏が自信を取り戻してくれたことに一安心していたのも束の間、俺は聞こえてきたその言葉に思わず目を丸くする。


「も、もしかしてだめでしたか?」

「あ、いや、そんなことないよ。ただどこに行くのかなって思って。それとも次回の行き先も俺が決めていいのか?」

「それはちょっと待ってほしいです。聞きたいことがあるんですけど祐樹くんと私の二人で砂浜のある海に行ったことってありますか?」

「砂浜のある海?」


 夏にそう尋ねられた俺は急いでぼやけた記憶を漁ってみる。

 だが残念なことに当てはまるものもそれっぽいものも一つもない。


「いや、確か夏とは砂浜のある海には行ったことはなかったと思う。堤防のある海には何回か行った記憶があるけど……もしかして何か思い出したことでもあるのか?」

「はい。説明が難しいですけどそこに行ったことがあるっていう記憶ではなくて、そこに行きたいっていう強い想いみたいなのがあって」

「強い想いか。確かにそれは気になるな」


 それは失った記憶に引っ張られた結果なのか、それとも別の何かなのか。

 どちらにしろこれは失った記憶を取り戻すための大きな出かかりとなるだろう。


「でも砂浜のある海には心当たりが無かったんですよね? 気のせいかもしれないのであまり深くは考えないでください」

「俺以外との思い出って可能性もあるからな。うーん、でもなんか俺も忘れてることがあるような気が……って、ん?」


 砂浜の海という言葉に何かがふと頭の中をよぎったのを感じた気がしたその時。

 前から歩いてきた二つの怪しい影が突然俺たちの進路を塞ぐように立ち止まった。


「夏!?」

「中井!?」


 直後に聞こえてきたのは驚いたように夏の名前を呼ぶ二つの声。

 街灯によって影の正体が明るみになると、そこには見覚えのない二人の男女の姿があった。

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