第13話
その後も帽子の一件で追い風を受けた彼女を先頭に、空が暗くなるまでとにかくショッピングモールの中を歩き回った。
記憶を探しやすい環境を作ってあげたからなのか、そこでの二人は水族館の時みたいに険悪な空気になることはなく、むしろ側から見たらただの仲のいい恋人にしか見えていなかったかもしれない。
まあそれだけ頑張っても帽子以外の手がかりを見つけることは最後までできなかったのだが、この関係を一刻も早く終わらせるためには必要なことだし、彼女の記憶が戻り始めているのも事実。
だから俺は彼女とそういう雰囲気になることに、今は不本意な気持ちではなく満足感を持っていた。
「祐樹くん、今日はありがとうございました」
ショッピングモールから駅までの短い道のり。
そこを並んで歩く二人の間はまるでかかっていた魔法が解けたかのように距離が空いている。
今日の目的に彼女のことを知るというものが含まれていたと思うが、今の二人を見ればその結果は一目瞭然だろう。
「当日に急に誘って申し訳なかったけど、今日は進展もあったし正解だったのかもな。それに恋人とのデートだから当たり前かもしれないけど楽しかったよ」
「楽しんでいたのは私もですよ。でも祐樹くんが楽しんでいたって聞いてちょっと安心しました。今日もまた祐樹くんに迷惑をかけてないか心配だったので」
「いや、迷惑って。俺はそんなこと思って……」
俺は気を使って「そんなこと思ってない」と否定しようとした。
でも水族館に行った日の自分の行動が頭を掠めた途端、その言葉は喉元で止まった。
「……まあ、確かにそう考えたら迷惑なのかもな。君とどう接していくのが正解なのか今もまだわかってないし、そもそも記憶喪失っていうのが何なのかもいまいち理解できてないし」
「そうですよね……。本当にその通りだと思います。私がもっと上手くやれれば……」
「でも君だったから」
「え?」
「君だったから俺は手助けしてもいいかなって思えたんだと思う。もし記憶を無くした君が嫌なやつだったら、俺は多分容赦なく突き放してた」
励ましているとも罵倒しているとも捉えられる言葉になるが、この暗い雰囲気をかき消すには本音をぶつけるしかない。
そんな覚悟で語りかけると、彼女は俯き気味だった顔をゆっくりと持ち上げて街の光景に目を向けた。
「やっぱり祐樹くんは優しい人ですね」
俺は肩を落とす。
彼女から返ってきたのは想定していたものとは全く別の言葉だった。
「いやいや、なんでそうなるんだよ。自分で言うのもあれだけど、今のはどう考えても嫌味みたいなのも入ってただろ。優しい人の基準、ちゃんと覚えてるか?」
「それは自信はないけど……でもこんな私にも気を使ってくれて、夏さんのために必死になって頑張ってくれる裕樹くんが優しい人じゃなかったら一体何なんですか」
「夏さんのためって……。だからそれは……」
前にも言ったように俺が今まで文句も言わずに彼女に協力してきたのはただ夏の母親の頼みを断れなかったから。
彼女に気を使ったり、時折積極的な姿勢を見せたりしていたのは一刻も早くこのくだらない関係を終わらせたかったから。
だから彼女は俺のことをわかった気になっているだけで実際は何もわかっていない。
夏のためではなく自分のため。
あの頃の夏を取り戻したいなんていう熱い想いも、恋人だった子のために頑張ろうなんていう優しい思いもない。
彼女が優しい人間だと思い込んでいるのは、本当はそんな最低なやつだ。
「……わかった」
理解したという意味で使った言葉ではない。
観念したという意味で使った言葉だ。
「何がわかったんですか?」
「本当は隠し通すつもりだったけど君が可哀想なくらい理解してないから、ここからは本音で話すよ。そしたら君もわかると思う。俺は嫌われても仕方ない人間なんだってことを」
「ゆ、祐樹くん……?」
何の前触れもなくその場に立ち止まった俺の視線と、立ち止まった俺を見て慌てて足を止めた彼女の視線が一直線に交差する。
思い返せば記憶を無くした彼女とこうやって正面から目を突き合わせて話すのはこれが初めてかもしれない。
「……めんどくさかった」
「え……?」
「最初、初めて君の母親に会って記憶を取り戻す手伝いをしてほしいって頼まれた時、俺はめんどくさいって思ってたんだ」
俺が口に出した言葉に思った通り戸惑うような表情を見せる彼女。
そんな彼女に俺はさらに語りかける。
「水族館の時もそうだ。早く帰りたくてずっとうずうずしてた。財布を忘れたって言われた時は特に。なんなら鬱陶しいとすら思ってたよ。記憶を無くした君の存在が」
「っ……」
「わかるか? 恋人だった子に対して俺はそんな気持ちを抱えながら今まで接してきたんだ。流石に最低だって思ったよな。そんなやつだったのかってびっくりしてるよな」
「わ、私は……」
「でもな、君が知らないだけで俺はこういう人間なんだよ」
ずっと隠していた本心を今になって打ち明けたのは、決してこの場の雰囲気に流されたわけでも彼女を困らせようと思ったわけでもない。
ただ彼女とこれからも関わっていく上で盲目に信頼され続けることはたとえ彼女のことを何とも思っていない俺でも心が痛かった。
そしてそうなるくらいならいっそ自分の醜さを知った彼女に嫌われて持ちつ持たれつの関係に戻る方が俺はよかった。
「これでもまだ俺のことが優しいって言える?」
俺も本音で話したから君も本音を話してくれ。
最後の言葉に俺はそんな気持ちを込めて彼女に問いかける。
そしてほんの数秒の間だけ沈黙が流れた後、彼女は決心したように顔を上げた。
「……ますよ」
「え?」
「言えますよ」
そのとき俺の耳に届いたのは苦し紛れに出すような怯んだ声ではない。
取り繕ったものではないことを証明するような、確固たる意志を感じさせる声だった。
「私だって最初は急に恋人がいるって言われてどうしたらいいんだろうって思ってました。それに祐樹くんが私に冷たいこともなんとなく気づいてましたよ」
「え?」
「そしてその原因が私にあることもわかってます。記憶喪失になった私が、別人みたいに変わってしまったせいですよね……?」
「いや、は? さっきから何を言って……」
「でも大丈夫です。私の記憶が戻れば前の夏さんも戻ってきます。今は私のせいで祐樹くんには辛い思いをさせてるかもしれないけど、いつかはちゃんと元の恋人関係に戻れますよ」
声を振るわせながらそう言った彼女が俺に真っ直ぐ向けたのは今にも崩れそうな笑顔だった。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。ほんとに俺はそんなつもりじゃ……」
「もちろんそのために私も頑張りますから……!」
周りの人間には推し量ることのできない悩みや葛藤。
それらが記憶を無くした彼女の中にあることは出会った最初の日にわかっていた。
でもわかった上で俺は彼女とちゃんと向き合おうとしなかった。
気まずくなるのが嫌だとか、困るのは彼女だけだとか、そういう身勝手な理由で。
「ちゃんと祐樹くんが大好きだった頃の夏さんに戻るために私、精一杯努力しますから……!」
その結果がこれだ。
彼女は自分が夏になりきれていないことが原因で俺の態度が冷たいのだと勘違いして無駄に傷ついて。
さらに人によって態度を変えるような最低な人間である俺を責めることはせずに、事故で記憶喪失になっただけの自分自身を責めて。
そして俺を安心させるために自分の感情、もっと言えば自分という存在を押し殺してまで取り繕った笑顔を浮かべて。
俺は彼女のことをずっと子供扱いしてきたが、彼女は純粋なだけで全く子供ではない。
ちゃんと物事を観察することができて、自分の立場を理解することができる一人の大人の女性だ。
むしろ子供なのは俺だった。
情けないほどに自分勝手で、恥ずかしいほどに無知なガキだった。
「……もういい」
「祐樹くん……?」
「俺が悪かった。謝るから……だから頼むからもうやめてくれ……」
気がつくと俺は彼女の肩を掴んでいた。
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