第12話 

 クレープを食べても当然記憶に影響を及ぼすことはなく、そんな俺たちの話題は既に次の行き先についてのことになっていた。


「次は服を見に行こうと思ってる」


 そう提案すると、彼女は眉をひそめながら「服かぁ」と呟く。


「どうした?」

「私が今日着てる服、祐樹くんはどう思いますか?」

「どう思うか? あー、えーっと……うん。ちゃんと似合ってると思うよ」

「ほんとですか? よかったぁ……」


 彼女は安心したように胸に手を当てる。

 その時の感情がどういうものなのかはだいたい想像がつくが、俺は一応「どうして今それを?」とさらに問いかける。


「服にあまり自信が持てないからちゃんとデートっぽくできるか心配で。実はこの服を選ぶのにもすっごく時間がかかったんです」

「やっぱりそうか。まあでも別に買い物をする必要はないし、何ならなんとなく店の外を眺めるだけでもいい。それならいいか?」

「それぐらいでいいなら、わかりました。出来る限り頑張ってみます。でも祐樹くん、もし私にセンスがなかったとしても笑わないでくださいね?」

「あまりにも変じゃなかったらな」

「そこは嘘でも笑わないって言ってくださいよ……」


 そこで少し口論になりつつも、彼女の承諾を得ることに成功する。

 ただ今日は集合時間が遅くなった都合で服屋が最後に回れる思い出の場所になる可能性があるので、さっきのような失敗は二度としないように注意をしなければならない。


「それで今から行くのはあの店だけど……もう準備はできたし行ってもいいよな?」

「……はい。もう我儘は言いません。でもその代わりにまた手を繋いでくれませんか?」


 また思いがけない提案。

 だが三度目となるともう慣れてきた。


「……手か。それも我儘な気がするけど」

「あ、そっか。じゃあやっぱり……」

「冗談だよ。それぐらいなら別に。けどこういう恋人っぽいことには妙に積極的になるよな」


 俺は慣れた手つきで彼女の手を握りながら、恋人っぽいことに積極的になる理由を何気なく聞き出してみる。


「それはなんていうか……えーっと……」

「なんだよ。言い難いことなのか?」

「言い難いってわけじゃないんですけど……」

「じゃあ何で言わないんだよ。別に内緒にしたいならしたいで、あれこれ言うつもりはないぞ」

「そ、そうですか……。じゃあできるなら内緒にしておきたいです……」

「あ、そう。わかった」


 距離を縮めてこようとしたり、逆に壁を作ったりと、未だに彼女が何を考えているのかが全く読めてこない。

 いや、今のでますます謎が深まったと言った方が正しいか。

 とにかくアイスクリームの件を含めて何か今日はいつもとは違う風が吹いている気がする。

 良い風か悪い風か今のところは判断がつかないが、確実にまた何かが起こりそうな風が。


 店の中を探索し始めた俺はその後、いつもと違うその風が良い風になるように出来る限り気を配る努力をしていた。

 例えば自分から積極的に彼女に合う服を選んであげたり、感想を伝える時はポジティブなことを言うように心がけたり。


 小さなことだが、そのおかげで最初は遠慮気味だった彼女も徐々に心を開いてくれるようになり、数分も経てばあの日の俺たちのように服選びを楽しむ姿が見られるようになった。

 これなら最悪、良い風が吹かなかったとしても悪い風は避けられるだろう。

 もしかしたらもう既に風向きが変わっていて俺たちを良い方向に連れて行ってくれている可能性だってある。


 そんな不安と期待が入り混じった空気が二人の空間に漂い始めた時、それに呼応するかのように彼女の口から気になる言葉が発せられる。


「あ、この黒い帽子。なんだか見覚えがある気がします」


 そんな期待を孕んだ声が向けられた先にあったのは特徴的なマークが入った黒色の帽子だ。

 そして俺はその黒色の帽子のことを彼女よりもよく知っている。


「それ、俺が夏の誕生日にプレゼントした帽子だ」

「え、誕生日プレゼントだったんですか……! やっぱり私は同じものを持ってたんですね」

「そ、それは思い出したってことでいいのか? 元々覚えてたとか、記憶喪失になった後に家で見かけたとかじゃないよな?」

「はい。上手く説明出来ないけど、最近じゃなくて昔の思い出っていうか面影っていうか。何だかこの帽子からはそういう懐かしさみたいなものを感じるんです」


 もしその言葉が本当だとしたら彼女の謎の既視感の正体は奥底に埋まっている記憶から引っ張り出されたものということになる。

 つまりここにきてようやく夏の記憶に変化が現れた可能性が出てきた。


「ほんとに気のせいじゃないんだよな?」

「根拠はないけど、私は一部の記憶が戻ったんじゃないかと思ってます」

「そっか。それはいいこと……だよな。そうだよな。もしかしたら記憶が戻りつつあるのかもしれないし。うん、ほんとによかったよ」

「とりあえず今日は少しでも成果があって安心しました。この調子でどんどん思い出せればいいんですけどね」


 キーホルダーの件も含めて思い出し始めている兆しのようなものは今までに何度かあったが、それはどれも本人の自覚がなかった。

 だから今回のようなケースは初めてのことで、まだいまいち波に乗れている自信がなかった俺にとっては朗報以外の何者でもなかった。


 俺は心の中で歓喜する。

 もちろん彼女が言ったようにこれはまだ始まりに過ぎないが、始まりは始まり。

 これを順調に続けていけば記憶喪失の彼女から解放される日は近いかもしれない。


「……祐樹くん、聞こえてますか?」


 その時、不意に夏が俺の名前を呼ぶ。


「ごめん、何か言ってた? ぼーっとしてて聞いてなかった。なんだっけ」

「ほら、この帽子着けてみたんです。どうですか、私に似合ってますか?」


 そう言った彼女の頭には例の黒色の帽子がかぶさっていた。


「あー、帽子のことか。それは似合うよ。てか夏と同じ顔なんだから似合うに決まってるじゃん」

「そ、そうですよね。似合うと思ったからからプレゼントしたんですもんね……。変なこと聞いてごめんなさい」


 俺の答えを聞いてすぐに彼女は黒色の帽子を棚に戻す。

 俺も浮かれていたが、どうやら彼女はそれ以上だったらしい。

 それが逆に俺の冷静さを取り戻させた。


「よし、感傷に浸るのはこれくらいにしようか」

「そうですね。でもその上で言わせてください。祐樹くん、記憶が戻っても私のことをお願いしますね」

「……ああ。もちろんその時は任せてくれ」


 いつかバレる嘘をまた一つ重ねた後、俺は彼女の案内を再開した。

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