2回目の初デート
第3話
———夏とは1週間前に別れました
そんな言葉を記憶を取り戻すのを手伝ってほしいと頼んできた夏の母親に言える勇気があるはずもなく、既に別れた恋人と俺はまた二人で思い出の場所を巡ることになった。
運が良ければ一日や二日で思い出すこともあるという話だったが、結局夏はあれから家に帰っても何も思い出せなかったらしく、約束通り今日は記憶を無くした夏と二人で出かける予定になっている。
言うまでもないが気は乗らない。
というか普通に考えて付き合っていた頃に行った思い出の場所が俺にとって楽しい場所であるはずがない。
それにもし思い出の場所を散策している途中で夏の記憶が戻ったら、別れた恋人と久しぶりの対面を果たすことになる。
その事実だけでも、今の状況がめんどくさい以外の何者でもないことがわかるだろう。
まあなんだかんだ言ってもあのとき恋人であることを否定しなかったのは俺の判断。
そしてそんな俺にできる精一杯の抵抗は持ちつ持たれつの関係を維持したまま夏が早めに記憶を取り戻すのを祈ることだけ。
その事実も同時に理解しているからこそ、俺は愚痴を言いながらもこうやってせっせと重たい足を動かしている。
「適当に終わらせるか……」
待ち合わせに指定していた駅に着くと、さっそく何かを探すように顔や目を忙しく動かしている彼女の姿を見つける。
いつも「祐樹!」と嬉しそうに手を振って俺を迎えてくれた夏が今はいないことに改めて気づかされたのはその時だった。
「夏」
声が届くぐらいの距離まで近づいても彼女が俺に気づく気配は全くなかったので、仕方なく名前を呼ぶ。
「あ、祐樹くん……ですよね?」
「うん、それで合ってるよ。おはよう」
「あ、おはようございます……。すみません、会ったらまずは挨拶ですよね……」
会話の節々から緊張しているのが伝わってくる。
だが俺はさっきも言ったように必要以上に気にかけるつもりはない。
「それぐらいは別に気にしなくていいから。それに俺も待たせてごめんね」
「いえ、今来たばかりですので大丈夫です」
「そっか。あー、それと違和感がすごいから話す時は敬語を出来るだけ使わないでくれるとありがたいんだけど」
「そ、そうですよね。わかりました。出来るだけ善処します」
「善処って……。まあ仕方ないか……」
一瞬、協力的ではない彼女に反論したい気持ちに駆られたが、すぐに口を閉ざす。
今の彼女にとって俺は初対面の人間と同じ。
そんな男にいきなりタメ口で話せと命令されて困惑する気持ちもわかると言えばわかる。
それに今気にかけないといけないのは夏がどうこうよりも次の電車の時間だ。
「今日は少し遠いけど隣の県まで行くから。まあでも乗り換えはしないしそんなに時間はかからないよ」
「あの……」
「ん? もしかして切符の買い方がわからないのか? それなら隣で教えるから安心してよ」
「いえ、それはわかるんですけど……」
券売機の前で急にオドオドし始めたので、てっきり切符の買い方を忘れたのかと思ったが、どうやら違う理由だった様子。
「じゃあどうしたんだよ。早く言ってくれないと電車の時間に間に合わないんだけど」
「そ、そうですよね……。本当に言いにくいんですがお財布を家に……」
「財布を家に? 意味がわからないからもっとはっきり言ってくれ」
「ですからお財布を家に……その、忘れてきてしまいました……」
「忘れてきたって……は?」
彼女の口から出た予想外の言葉に俺は思わず口をぽかんとする。
「ほんとにごめんなさい……」
「ごめんなさいじゃなくて、何でそんな大事なものを忘れるんだよ」
「私にもわかりません。鞄に入れたつもりだったんですけど……」
「いや、つもりって……」
この時間を頑張って乗り切ろうと心を奮い立たせていた矢先に起きた情けない出来事に、流石に文句が出そうになる。
だが直前で敬語の件を思い出したのと、彼女が何度も頭を下げて謝ってくることに毒気を抜かれたのとで、ここでも我慢した。
「……もうわかった。君の分も俺が買っとくから。それでいいか?」
「明日絶対に返します……」
「いや、別に明日じゃなくてもいいよ。それより邪魔だから君は端っこで待ってて」
俺の言葉に申し訳なさそうに頷いた彼女は顔を俯かせながら改札付近の人のいないスペースへと歩いて行った。
その後、無事に時間通りの電車に乗ることには成功したが、俺たちの周りには当然のように気まずい空気が出来上がっていた。
どれくらい気まずいかというと今俺が見ている携帯の画面から左に視線を傾けていけば、黙って窓の外を眺める彼女が見つけられるくらいに。
もちろんそれをどうにかしたいとは思わないし、逆に自分勝手に次の駅で降りようなどとも思わないが、この時間が最低でも一時間以上は続くと思うと控えめに言って憂鬱だ。
「あの……」
そんなことを頭の中で考えながら携帯と睨み合っていた時、さっきまで窓の景色を眺めていた彼女から不意にそんな声が聞こえてきた。
「あの……」
「……聞こえてるよ。どうした?」
「い、今から向かう場所ってどんなところなのか気になって……。いきなりごめんなさい……」
また厄介ごとでも運んできたのかと思っていた俺は、それを聞いて少し体の力を抜く。
「あー、そういえば言ってなかったっけ。水族館だよ。ただの水族館。周辺には何もないけどそのかわり結構大きめで生き物の種類も多いから全国的にも有名なところなんだ」
「水族館ですか……。へぇ、そうなんですね……。あの、どうしてそこを選んだのか聞いてもいいですか……?」
「覚えてないだろうけど君と初めてデートした場所がそこなんだ。んで思い出の場所って言ったらそこかなと思ったってだけ」
「初めてデートした場所……。そうだったんですね……」
思い出話を聞かせれば何か一つぐらいは思い出すかもしれないと思って彼女の質問に真面目に答えてみたのだが、彼女は何故か他人事のようにそう返すだけだった。
そんな彼女に対してしらけた視線を向けていると、聞きたいことが無くなったのか再び窓の方に視線を向けた。
「……何なんだよ、ほんと」
「え?」
「いや、なんでもない」
そんな相変わらず読めない彼女の行動に何度目かわからないため息をついてから、俺も一足遅れて携帯の画面に視線を戻した。
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