記憶喪失になってしまった彼女
@Gonsi
知らない恋人
第1話
自宅から最寄り駅まで歩いて十分。
そこから電車を乗り継いで十数分。
さらにその降車駅から十分歩いた場所にある大きな病院。
率直に言うとそこが次の目的地なのだが、俺は別に健康状態が悪いわけではないし、見ての通り病気や怪我をしているわけでもない。
何なら変わり映えのない日々が続いていたせいで元気が有り余っている状態にある。
ではどうしてそんな元気な俺がこんなにも朝早くから病院に向かっているのか。
それはおよそ一時間前に俺の携帯に入った一本の電話が関係していた。
画面に表示されたその文字は付き合ってもうすぐで一年目を迎える恋人の名前。
そしてその名前以上に俺を驚かせたのは、電話に出た最初の声が夏のものではなく夏の母親のものだったこと。
もちろん恋人の母親なので面識はあるし、何度か家にお邪魔して夜ご飯をご馳走になったこともあるが、それでも夏の携帯から俺にわざわざ電話をかけてくるのは不自然。
そこで俺は緊張しながらも夏の母親に対して電話をかけてきた理由を聞いてみると、どうやら夏が事故にあったらしくそれを伝えるためにわざわざかけてきたらしい。
しかも夏の身に困ったことが起きているようで、俺に今すぐにでも来てほしいということもその電話で伝えられた。
夏の母親が電話をかけてきたことに納得できた一方で夏がどんな状態なのかとか、なぜ俺が必要なのかとか、疑問は増すばかり。
だが今の俺に出来るのは彼女の無事を祈って外出の準備をすることだけ。
その先の説明はもはや不要だろう。
そんなこんなで指定された病院の前に着いて時計を確認すると、駅を出た頃からちょうど12分が経過していた。
誤差はあったがほぼ情報通りの時間だ。
俺は胸のざわつきを感じながら案内された病室までやって来る。
そして一呼吸置いた後、遂に扉を開けた。
「
その声で気づいたのか、扉の音で気づいたのか、ベットの上に膝を抱えて座る夏とその母親の二人の視線が一気に俺に集まる。
「……あらあら、
「お久しぶりです、夏のお母さん。それで……」
「話をする前に疲れたでしょうからとりあえずそこの椅子に座ってちょうだい」
「え、あ、わかりました……」
落ち着いた雰囲気に少し肩を落としそうになりながらも、俺は夏の母親の言葉に従って空いている椅子に座る。
その時に事故にあったという夏を横目で覗いてみたが、これといって目立った外傷はないようなので少し安心した。
「……夏、どう?」
夏の母親が静かにそう問いかけると、夏は首を横に振って答える。
もちろんここに来たばかりの俺にはそれに何の意味があるのかわからなかったが、その反応を見た夏の母親は少し項垂れた後、何かを決心したように俺の方に視線を向けた。
「祐樹君、まずは来てくれてありがとう。そして今から私が言うことを落ち着いて聞いて欲しいの」
夏の身に起こったことをゆっくりと話し始めた夏の母親はさっきまでとは打って変わって深刻そうな表情を浮かべる。
夏の見た目には何の異常もないが、やはり目に見えないところで日常生活に支障をきたすような事態が起きているのだろう。
俺はもう一度気を引き締めてその話に耳を傾ける。
「夏が事故にあったって言ってたでしょ? 実はその時に頭を強く打ったみたいで……」
「頭を……」
「それでね、その後遺症で夏は……」
「……」
「夏は一時的な記憶喪失になってしまったらしいの」
何を言われても飲み込む覚悟をしていたつもりだったが、俺は一瞬、何を言われたのかわからずに言葉に詰まってしまう。
「えっと……きおくそうしつ、ですか?」
「ええ……。目が覚めた時はすごく怯えててね。自分が誰なのか、なんでここにいるのか何もわからないらしくて」
「た、確かにそれは俺の知る記憶喪失というやつですね……。ですけど……」
「急にこんなこと言われても信じられないわよね……。見ての通り体は日常に戻っても支障はないぐらい健康なんだけど記憶が戻るまでは学校も休んだ方がいいって言われたわ」
「学校も……。そうですか。それは大変ですね……」
夏が記憶喪失になった。
どうやら夏の母親は本気でそう言っているらしい。
ただ余所余所しい返事をしたところからもわかるように、俺はまだ記憶喪失のことを信じ切れていない。
もちろん夏の母親が嘘をつくとは微塵も思っていないが、知り合いが記憶喪失になったというのは非日常的な出来事でそう簡単に受け入れられるものではない。
夏の母親はそのことを察してくれたのか「自分の目で確かめてみて」と気を使って誘導してくれた。
「えっと……」
その声で俺の意図に気づいた夏は警戒した様子を見せながらもこちらに視線を向ける。
「俺だけど……」
「はい……」
「あ、そういえば名前も覚えてないんだっけ……。俺は
「よ、よろしくお願いします。私は夏です……」
俺は思わず目を丸くする。
夏と交わした言葉はまだ二、三個程度だが、それだけでも不自然さを感じ取れるほど夏の口から出てきた言葉は意外なものだった。
「あ、いや、ごめん。なんて言ったらいいんだろう……。とりあえずじゃあ俺のこと、覚えてない……?」
「はい……」
「あっ、そうなんだ……。じゃあ、1週間前のことも……?」
「1週間前のこと? よくわらないですがそれも多分覚えてません……」
「そ、そっか……。記憶喪失なんだからそうだよな……」
口調といい、表情といい、全くといっていいほどいつもの夏ではない。
もちろん短く切り揃えられた髪型やほっそりとした体型、顔つきといった容姿に関してのことは以前と変わらないが、明るさや元気さといった夏らしさというものがその人物からは全く感じ取れない。
もっと大袈裟に言うなら、
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