第一部第三幕 群狼の血Ⅱ
田中帰還せず。
そうして一週間が経過した。
近藤は怒り、丸山は指を詰め、大友も西谷捜索に本腰を入れざるを得なくなったのであった。
改めて幹部会が開かれた。
――大友、田中は一体どうなったと思う。
沈鬱な面持ちの近藤である。
――西谷か、或いは西濃組か。少なくとも生きてはいないでしょう。生かしておく意味がない。
――しかし、死体も上がっていない。これでは西濃組に手も出せん……。
西濃組のバックには剣菱会が付いている。東堂会に勝るとも劣らぬ勢力を持ち、この時代に正面切って抗争にする訳にもいかない。そのような事になれば、暴力撤廃の大義どころか、東堂会の勢力そのものが消え去ってもおかしくはない。角の立たぬよう人を送り込もうにも、この状態では田中の二の舞となりかねない。
――ひとまず、西谷捜索の網を広げましょう。奴とて、常に港に居られるとは考えられない。収入の目は、陸にしかないのですから。
――大友よ、田中の件、西谷だと確定するまで手を出してはならんぞ。
東堂が口を開いた。
――分かっています。いいですか、まずは奴の身柄を確保する。話はそれからです。それでええな、近藤。
――ああ……。
そこへ――。
若衆の一人が慌てた様子で駆け込んできた。
――どうした、会合中だぞ。
――それが……。西谷が見つかりました。
――何だと!? どこだ?
――北の住宅街で、今電話がありまして、遠目だから確かではないんですが、ただ見つけた奴が言うにはあの赤いスーツは西谷のもんやと、追跡を続けさせてます。
――ああ、分かった。すぐに応援を……。
そこへ、別の若衆が駆け込んできた。
――兄貴ぃ、西谷が見つかったって今……。
――何?
――東の工業団地で、工場の中にそれらしい人物が。あの真っ赤なスーツは間違いないって。
――おいおい、それはおかしいで。今こいつが……。
大友が口を挟もうとする。
しかし、また別の若衆達が、続々と駆けこんできた。
――西谷が……。
――赤いスーツの男が……。
――見つかったんです……。
皆、一様に西谷が見つかったという連絡があったと口々に述べた。しかし、場所はそれぞれ全く別である。住宅街、工業団地、繁華街、ホテル街、ビジネス街、或いは田園の中で、或いは山の中と言う者までいる。
――大友、これは……。
――ええ、間違いなく、西谷の攪乱でしょう。しかし、これは……。
――どうした?
――いえ、近藤さん。ひとまずその偽の西谷を捕まえましょう。嫌がらせに来ていた男達とは違う。奴らは明らかに西谷組の人間だと言っているようなもの。単なる赤いスーツの男ではない。皆が皆言うなら、本当に同じスーツなんでしょう。しかし……。
――手荒な真似はするな。殺しは絶対に無し、だな?
――ええ。
――ようし。すぐに連絡を入れろ。赤いスーツの男を片端から捕らえて連れてこいとな。必ず吐かせて、田中をどうしたのか問い質してやる。
*
しかし、組織の頭とは別の思惑で現場は運動を始める。近藤の指示は、それを伝える者の感情が乗り、歪められ、現場に立つ者に到達するころには別物となっていった。即ち、
――ええか、大友の兄貴は駄目や言うてるが……。
――近藤の兄貴は大友の兄貴の手前、ああ言うたんやろうが……。
――西谷は捕まえなあかんで。何としてでもな。
――これは田中の兄貴の弔い合戦や、絶対に捕まえるぞ!!
現場の若衆達は頭に血をたぎらせ、赤いスーツの男達に迫った。
ある若衆達は車の中にひきずり込み、拷問を加えた。それは西谷ではなかった。爪を剥ぎ、指を潰していこうとも、ニヤケ面で確かな事は言わなかった。
――誰だお前は!
――知らねえなあ。西濃組のもんちゃうか。
――ふざけるな。西谷組だろう。
――知らんでそんな組。もう消えたやろ?
――なにおう。
ハンマーが左手の中指に振り下ろされる。これで三本目の指だ。この不毛なやり取りは両手両足で十四本の指が潰れ、男が傷みで発狂するまで続いた。
またある若衆達は山の中を追い回し、双方ともに木々の枝葉により傷だらけとなって、闇の中でお互いを見失った。
またある若衆達は高架下で囲い込み、リンチを加えた。
またある若衆達は激しい抵抗に遭い、アスファルトの上に転がされることとなった。
何れにせよ、スーツを剥いで見ればそれは西谷ではなかった。捕らえて拷問にかけた者も口を割らない。
そして……。
東堂会若衆如月剛が雨の降る夜、一人で繁華街を出歩いていると、再び赤い、あのスーツの男を見つけた。如月は西谷の姿を遠目でしか見たことはない、しかし、そのスーツの色、形、そしてその着こなしまで、西谷の姿そのものであった。
見つけた、そう如月は確信した。今度こそ、俺があいつを捕まえる。そう肚に据え、近づいて行く。
如月は持っていた傘を捨て、懐に手をやった。そこには小さな、拳銃があった。抗争において鉄砲玉となって来た如月は、どこぞからかそれを手に入れ、携行していたのである。
――おい、お前、西谷だな。
スーツの男は、ゆっくりと如月の方に向き直る。男は、如月の様子を見て、ゆっくり、ニヤけ始めた。
――お前こそ、誰や。
――東堂会のもんだ!
如月は拳銃を取り出し、男に向けた。指先には、今までの苛立ちと怒りが込められている。
――東堂会を散々おちょくりやがって!答えやがれ!
――ほー、暴力撤廃するんやなかったんかい。
――答えろ、お前は西谷か!
――はん、アホちゃうかお前。
――何やと!
銃声。
如月が空に銃を向けている。
――次は当てるぞ。
銃口が、再度男に向けられる。
しかし、男のニヤケ面はそのままである。
――分かっとらんなあ。
――何がだ。
男は、如月の方に向かって歩き出した。ゆっくり、ゆっくりと。
――脅し方がなっとらんのや。そないにチャカ振り回して、自分を大きく見せても、騙されるんは小心者だけや。
一歩、また一歩と近付いてくる。
――それは人を殺すためのもんや。脳ミソぶちぬいて、内臓をぐちゃぐちゃにして、血を流させて、人を殺すためのもんや。分かるか。
――おい、動くな。
――弾はな、ちゃんと殺すべき相手にぶち込まな、意味がないんや。
――動くなって言ってるんだ!
――ええか、何の為に、お前はそれを持って……。
銃声。
男の、小さな呻き声。
如月は、全身をわなわなと震わせていた。手に持った拳銃の銃口からは、白い煙が昇っている。
崩れ落ちる男。
――う、うわあああああ。
再び銃声、銃声。連続して爆音が響く。
カチリッ、カチリと、弾が切れたことを銃が示す。如月は恐れをなし、銃を放り捨て、その場から走り去った。
*
雨の中、腹部と右腿から血が流れ続ける。西谷組若衆、遠藤透は呟いた。
――西谷さん、あとは、存分に暴れて下せえ。人が生きる意味、見せて下さいよ……。
五発、彼に向けられた弾丸の内、彼に命中したのは二発のみである。しかし右腿を貫通した弾丸は大動脈を損傷させていた。
西谷組若衆遠藤透 死亡――。
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