第一部第三幕 群狼の血Ⅰ

 巨大な港湾クレーンが、貨物船から陸揚げされたコンテナを移動させている。その様子を、短く刈り上げ金に染めた髪を潮風に当てながら、狐の如き鋭き目で見つめている男がいた。東堂会若頭補佐、田中始である。傍らには、東堂会若衆丸山翔太を連れていた。

 ――兄貴ぃ、こんなところに西谷がいるんですか。

 ――さあな。

 ――さあなって……。

 ――勘だ。それに根拠がないわけではない。

 ――根拠って?

 ――俺が追った男は車に乗って西に去った。それに西谷の事務所には釣具屋のレシート。奴はきっと海にいる。

 ――はあ。

 田中の前身はしがない盗っ人。しかし、その勘は異常に鋭く、警察の網にかかることは決してなかった。東堂会加入後も、その勘の鋭さは危機を察知し続け、警察、或いは敵対組織からの魔の手を鮮やかにかわし続けた。その鋭さを近藤に買われ、この地位まで登ってきた男なのである。その田中の勘が、西谷はここにいると告げている。

 ――行くぞ、まずは聞き込みだ。

 二人は埠頭に向かった。平日の昼間から釣りを行う親爺達で溢れていた。

 ――あんた、この男見てないか。

 田中が、目ぼしい男に声を掛け写真を見せる。

 ――いやあ見てないなあ。なんやえらい派手なスーツ着とるなあ。おおい、皆来てくれや。探し人やて。

 ――なんやなんや。

 ――どれ。知らんなあ。

 ――こんな男来とらんで。

 ――兄ちゃん、あんたはなにもんなんや。

 ――知らんか、そうか。

 そう言うと、田中は懐に写真を仕舞う。

 ――丸山、次や。

 ――はあ、いいんですか。

 田中は無言で立ち去る。丸山は慌てて後を追った。

 ――なんや不躾なやっちゃのう。

 ――ありゃあ筋もんやで。

 ――おっかない目えしとったもんな。

 ――関わらんに限るで。

 親爺達はぶつくさ言いながら釣り竿に戻って行った。

 田中と丸山は、その後港湾関係者の事務所、食堂、倉庫等に聞き込みを行ったが、目ぼしい情報は得られなかった。

 やがて日が傾き夕陽が差し込んできたころ。丸山は痺れを切らせて言った。

 ――兄貴。勘、間違えとるんとちゃいます?

 ――……いいや、見てみろ。

 田中が指差す方向に、黒い小さな点が三つ、そしてその点は段々と近付いてきていた。それは、三人の黒服の男であった。

 ――おう、お前らか。西谷ちゅう奴を探しとるんは。

 ――ああ、そうだが。

 ――ここが俺ら西濃組のシマやって分かっとるんやろな。

 ――ああ。

 ――だったら、先に俺らに話付けてから探すんが筋ちゃうんかい!?

 黒服の男達が拳を構える。

 ――ま、不味いですよ兄貴。

 ――なあに、ちょっとした喧嘩や。そうだろう!?

 ――ああ!?舐め腐るのも大概にせえ!!

 男の一人が、拳を振りかざし、田中に向かって走っていった。間合いに入り、振り下ろされる刹那。田中はその腕を左手で払い、右の拳を固め、正拳突き。男の腹部に、田中の右拳がめり込む。男は体をくの字に曲げ、よだれを垂らす。田中は即座に左フックを顎に入れた。グギッ、と嫌な音が鳴る。男はそのまま地面に沈み込んだ。

 残る二人が怯みを見せた。

 ――来いよ。

 田中は残りの二人に手招きする。

 すると、二人は気を取り直し、田中に向かって襲い掛かった。

 まず一人が、タックルを仕掛けた。田中はそれを軽く躱し、足を引っかけ、男を転ばせた。遅れてきた男はボクシングスタイルでワンツーを打ってくる。田中は一つ一つ掌でそれを受けた。

 ――オラァ!

 大振りのストレート。田中はそれを受け流し、懐に入ると、下からアッパーを入れた。ウグッ、と男は呻き、一旦よろけ、そのまま倒れた。

 転んでいた男が立ち上がると、再び構えた。

 ――まだやるのか。後ろを見な。二対一だ。

 男が後ろを見やると、丸山も構えている。男は戦意を喪失した。

 ――お、お前、こんなことしてただで済むと思ってるのか。

 ――先に殴り掛かって来たのはそっちだ。

 ――ふざけやがって、西濃組が……。

 ――俺達は東堂会のもんだ。お前の一存で抗争おっぱじめるつもりか?

 ――な……。

 ――おい、お前らの頭んとこ、連れてけや。話がしたい。

 ――なんやと。

 田中が無言で再び構えた。丸山も呼応する。

 ――チッ、分かったよ。降参だ。

 男が両手を上げた。


    *


 港湾倉庫の奥底、小さな事務所に二人は案内された。

 奥の机に、パンチパーマのサングラスの男が座っている。その頬には、大きな刀傷があった。

 ――どうも、西濃組若頭補佐、村上紘一と申します。

 ――東堂会若頭補佐、田中始と申します。

 ――と、東堂会若衆丸山翔太です。

 ――それで、人のシマでうちの若いもん二人のして、どう言ったご用件でしょうか。

 村上の声は、冷たい響きを伴っていた。

 ―その節は失礼を……。

 田中は懐から封筒を取り出し、村上に差し出す。村上が中を覗くと、札束である。百万程度の額であった。

 ――ふん。まあ、うちの若いもんも失礼した。それで、東堂会の幹部がたった二人で何をしに来た。

 ――ええ。単に人探しを。

 ――誰だそいつは。

 ――こいつになります。

 田中は写真を差し出す。村上は一瞥しただけで、

 ――知らんな。

 ――そうですか。

 田中は写真を引っ込める。

 ――西谷言うんですが、少し前に東堂会から抜けまして、挙句うちに嫌がらせをして来とるんですわ。

――港湾は人の迷宮、筋もんから、堅気とは名ばかりの荒くれ者の船乗り達。それが日本人だけならまだしも、数多の国から人が来る。それに紛れて、大陸のマフィアまでも入って来る。どいつもこいつも、どっから来たんか知れたもんじゃない。西濃組は伝統的にそいつらを抑えて平和を守って来た。噂じゃ、東堂会は極道の看板降ろすそうだな。

 ――ええ。

 ――陸のもんは気楽なものだ。自らが前線たることを知らない。同じ日本人同士で縄張りを争うだけ。いずれは足元を掬われるだろう。

 ――何が言いたいんです。

 ――何、極道の看板降ろしたもんには関係のない話だ。夜道には気を付けてお帰りを。

 二人は事務所を後にした。倉庫の外は、すっかり暗くなっている。

 ――……兄貴、無駄足でしたね。

 ――ああ……。

 田中は考えていた。幾ら揉め事を起こしたといえ、相手は三下。あそこまで邪見にされる云われは無いはずである。金子もまるで意には介さなかった。東堂会と西濃組にいざこざは何一つない筈であるが――

 ――丸山、お前は先に本家に帰って今までの経緯を説明してこい。

 ――はあ、兄貴は。

 ――少し、あの事務所を張る事にする。

 ――危険じゃあないですか。

 ――何、西濃組も俺の命までは取らんだろう。

 ――気をつけて下さいね。

 丸山は振り返り振り返り、去って行った。


     *


 田中は倉庫から少し離れた物陰から、倉庫の入り口を見張った。時折、倉庫の労働者が出入りしたが、不審な動きはない。思い過ごしか。そう思った矢先である。明らかに労働者ではない、スーツ姿の男が周りの様子を伺いながら、倉庫に入っていった。西濃組ならああもおどおどしたりしないだろう。もしや西谷組の人間か。田中の細い目が、更に細くなった。その男が倉庫から出てくる。両手で段ボールを抱えていた。田中はその男の後をつけることにした。

 男は山積みにされたコンテナの間を通り抜け、港湾の外れへと向かって行った。時折、辺りを伺う様子を見せる。田中は闇に紛れながら、後に続いた。しばらく歩いているうちに、田中の脳内に港湾の地図が浮かんだ。この先にあるのは、フェリー乗り場の筈だが……。


 そこで、田中の思考は一旦闇に落ちることになる。

   

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る