第一部第ニ幕 光と闇の行方Ⅳ

 繁華街の一角を占める小さなキャバクラ、club new worldの店主、日高しょう子は弱っていた。連日連夜、素性不明の輩に店を占拠され、常連達の客足が遠のいてしまったのである。男達の金払いは悪い訳ではない。しかし、素行が悪く、嬢達も恐れている状態であった。それに、彼らが何時までこうしてやって来るのかもわからない。彼らが去ってしまえば、常連達が戻るまで間が出来るだろう。その間、また一から店を立て直していかなければならない。しかし、一度立った噂というものは取れ難い。ヤクザ者達が占拠する店というものは中々堅気の者にとっては敬遠される元である。日高の脳裏には悪い予想がこびりついていた。

 それにしても――。

 東堂会に決して安くない額の上納金を納めていたのは一体なんだったのか。あいつらは結局守ってくれないじゃないか。

 日高の胸中には焦りと苛立ちが募って行った。

 自然、日高は交番へと足を向けた。彼女を応対したのは、まだうら若い警官であったが、日高の話をよく聞き、男達への怒りを滲ませていた。だが、結局男達も言ってしまえば客として来ているだけである。これでは手が出せないと、警官は悔しそうに言った。

 日高はその帰り道、溜息が止むことはなかった。この好景気、儲けは中々のものであったが、税金を毟られ、上納金を強請られ、嬢達にも高い給料を支払っている。日高の手元にはさしたる資産もない。この好景気も果たして何時まで続くのか。まさに暗澹とした思いである。

 店に帰ると、嬢達の不安気な眼差しが日高に向けられる。

 ――御免ね、警察は駄目だって。

 ――そんな、またあの人達の相手しなきゃなんですか。

 ――あの人達、平気でお尻触って来るから嫌なんです。でも、拒否したくても凄く顔が怖いし……。

 ――店長、東堂会も来てくれないんですか。いつもこういう時はあの人達が追っ払ってくれてたじゃないですか。

 ――それがね、東堂会はもうヤクザ止めるんだって。

 ――そんな、勝手な。

 ――いいんですか店長。前まで来てくれてた佐藤さんも、松原さんも、怖がって来てくれなくなったじゃないですか。

 ――そうは言ってもねえ……。

 嬢達からも溜息が出る。暗い顔で店の全員が立ち尽くしていた。

 そうこうしているうちに、店の扉が開いた。

 入って来たのは、白スーツに、柄シャツを着こみ、ボタンを第二ボタンまで空け、その逞しい胸筋を露わにしている男であった。日高は一目で極道であると直感した。

 ――ねえ、あの人、いつもの人達じゃないよね……。

 ――確かに、見ない顔ね。

 ――誰だろう。

 嬢達は声を潜め囁き合う。

 ――あ、いらっしゃいませ。お客さんですか。

 ――ああ、ちょっと違う。暗い顔のお嬢さん方にいい話を持って来たんだ。

 男は松方組若頭補佐、円城誠と名乗った。

 ――ええと、まずうちの組が東堂会抜けたちゅうんは知ってますかね。

 ――何となくは……。

 ――で、話ちゅうんは東堂会の代わりに、うちの組がお宅のケツ持ちやったろうちゅう話なんですわ。

 嬢の一人が、さっとお尻を手で隠す。

 ――そのお尻ちゃうであんた。

 ――え、そうなん。

 しかし、日高の顔は険しい。

 ――そらま、今まさに極道に裏切られたところですから、すぐに信用してくれちゅうんはそら無理でっしゃろ。そこでや。上納金は納めんでええ。

 にわかに日高の顔が緩む。

 ――ほんまですか。

 ――納めんでええというか。納めたくなったら納めて欲しい。ええか、まずうちの代紋な、店先に掲げてもろうてよか。そいで、例の男らが来たらうちの組に電話してくれや。当然、他の怪しい奴もとっちめたる。そんで、前みたいにお宅が安心して商売出来るようになったら、そん時に納めるようにして欲しいんや。こういう話でどないや。

 ――……その、納める額はどのくらいで。

 ――そうやなあ……。東堂会に納めてた額の半額でええで。

 ――ほんまですか。

 ――ああ、ほんまや。

 日高にとっては願ったり叶ったりの条件である。

 ――そんならもう今日からお願いして、構わへんのですか。

 ――構わん構わん。家の代紋はこれや。

 円城は懐から、小さな紙を取り出した。松を背景に、真という字が描かれている。

 ――これを店の扉なり、看板なり、目立たんところに貼っときな。

 ――ありがとうございます。

 ――それじゃあ、私はこれで。

 ――あ、あの一杯くらいお出ししますよ。

 ――いやいや、次も回らんといけませんから。あ、あとこれ名刺。電話はここね。

 名刺を置くと、円城はそそくさと店から出ていった。

 ――なんか、あんま怖くない人だったね。

 ――最初はそうやで。後で怖いのがヤクザよ。

 ――どうするんですか店長。

 ――……とりあえず貼ろか。あの人ら追っ払うんが先や。

 ――わっかりました! じゃあこれ、扉に貼っときますね。

 嬢の一人が扉に紙を貼り終えると、日高はそれを凝視しながら呟いた。

 ――ほんまにこれで大丈夫なんやろうか……。

 しかし、この日、例の男達は店の中に入ってこなかった。彼らは松方組の代紋を見つけると、直ぐに踵を返したのである。さらに翌日からは、彼らが店の前に来ることすらなくなったのであった。

 日高は彼らが来ないと分かると、嬢達に直ぐ電話を掛けさせ、常連達を呼び戻した。

 遠のいていた客足は、初めのうちは恐る恐るであったが、次第に戻り始め、一月もすれば元通りの状態となった。

 日高は円城を呼び、上納金の話を付け、club new worldは正式に松方組の庇護下に入ることとなった。


       *


 同様に、多数の店が東堂会に上納金を納めるのを止め、松方組の庇護下に入った。噂が噂を呼び、そも例の男達が来ていない店まで、松方組に移行する有様であった。

 すぐにこの噂は本家の耳に入った。

 ――あいつら、これが狙いか‼

 怒りを発するは近藤本部長。既に彼が座る机には、彼の拳により三つの窪みが出来ている。

 ――大友、お前らの大切な銭が失われとるんぞ。どないするんや。

 通りがかった大友に声を掛けたが、

 ――どないもこないも、元々ケツ持ちなんて古臭い真似、止めるつもりですよ。結構じゃないですか、勝手に用心棒やってくれるんですから。西谷見つけても手は出さんで下さいよ。

と言って、取り合わない。

 これが西谷と松方によるプロレスであることは明らかであったが、市井の人々が知る所ではない。彼らは守ってくれる方を向くだけである。

 そこへ唐沢がやって来た。

 ――近藤さん、もう本家が当てにならんのなら、うちはうちでやらして貰いますからね。一年程猶予があるちゅうから賛成したのに、直ぐにこうして手足もがれるんなら、従うんも阿保らしいわ。

 ――……分かった。おい、田中。まだ西谷の行方は分からんか。

 ――兄貴、まだはっきりしたことは……。

 ――くそう、なんてザマだ!

 ――兄貴、俺、一人二人連れて、独自に動かしてもらってええでしょうか。

 ――……心当たりでもあるんか。

 ――いえ。しかし、勘です。街離れて、港の方当たります。

 ――お前、港は東堂会の勢力外、西濃組のもんやぞ。分かってるな。

 田中の細い目が光る。田中は静かに頷いた。

 ――分かった。お前の指揮してたやつらは他のもんに任せたるから、行ってこい。

 ――ありがとうございます。

 田中は直ぐに走って出ていった。

 ――いいかお前ら、草の根分けてでも西谷見つけい。居場所さえわかりゃどうとでもなる。気張れや‼

 近藤の怒声が若衆達に向けられる。

 西谷の捜索網は、一つの街から、どんどん広がって行きつつあった。


 第二幕 終幕。

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