第一部第二幕 光と闇の行方Ⅲ

 翌日、東堂会若衆頭である田中始は近藤の命を受け、十数名の若衆を連れ、西谷の事務所を訪れた。雑居ビルの中にある西谷の小さな事務所の扉には鍵が掛けられ、幾ら叩いても誰も出てこなかった。

 鈴木が扉を蹴破り中に入ると、そこはやはりもぬけの空であった。書棚には書類一つなく、金庫は開け放たれ空になっていた。

 ――探せ。

 鈴木の一声で男達が事務所を荒らし始める。目に見える引き出しは片端からひっくり返され、机は倒され、床に家具の残骸が散乱していく。しかし、出てくるのはキャバ嬢の名刺やマッチ、空になった酒瓶、煙草の吸殻等、雑多なゴミばかりであった。

 田中も若衆の中に混じって部屋を荒らし始める。するとやがて彼は、部屋の隅に丸まった紙屑があるのを見つけた。ティッシュか何かと思い拾ってみると、それはレシートであった。開いてみる。それはその位置より遠く離れた釣り具屋のレシートであった――。


       *

 

 一方、近藤正二は多数の若衆を引き連れ松方組の事務所を訪れていた。松方組は小さなあばら家を改装して事務所として使っている。そのあばら家の一室で、近藤と松方は向かい合って座っていた。

二人の背後には、それぞれの手下が幾人も控えている。

 ――松方、お前、西谷隠しとらんやろな。

 ――知らないねえ近藤さん。

 ――隠し立てすればただじゃすまさんぞ。

 ――ほお、どないしてくれるんや。

 すると、いきり立った若衆の一人が、

 ――舐めとんちゃうぞ松方あ!てめえのこっぱな組なんぞ本家がその気になりゃあ吹き飛ぶんやぞ。

 これに対し松方組の若衆も応える。

 ――おおん?お前ら堅気んなったんちゃうんかい。手え出してみい。恥をかくんはお前らの親父やぞ!

 ――なんやと!

 ――やったろうやないか!

 ――静かにせんかお前ら‼喧嘩しにきとんちゃうんやぞ‼

 近藤の怒声。

 ぴたりと双方の声が止まる。

 ――松方、ほんまに知らんのか。

 ――ああ、知らん。こっちも知りたいくらいや。

 ――ほんまやろな。

 ――ああ。知らんちゅうとろうが。もうどっか遠く海にでも出とんちゃうか。

 ――……お前ら、帰るぞ。

 ――え、いいんですか兄貴。

 ――知らん言うとるもんに何の証拠もなく手え出すわけにはいかんわ。

 ――はあ。

 ――行くぞ。

 ぞろぞろと、近藤らは退出していく。最後の一人が事務所から出ていくと、松方組若頭補佐、円城誠は松方に耳打ちした。

 ――チャンスだったんじゃ……。

 ――この阿呆、あいつら全員チャカ持ってやがった。今は弾けんよ。しかも、近藤に至ってはチョッキまで着て来やがって。

 ――そこまで……。

 さて一方の近藤が外に出ると、二人の若衆に松方の事務所の前で張り込むよう命じた。

 近藤の隣にいた若衆の一人、西田智明はつぶやいた。

 ――西谷、来ますかねえ。

 答えるは近藤。

 ――いや、来んだろう。

 ――兄貴、じゃあ何で見張りを。

 ――ありゃ松方の見張りよ。奴が下手を打たんようにな。

 ――ははあ。


    *

 

 唐沢真弓もまた、若衆を引き連れ街を歩いていた。彼女らは西谷組と取引があると見られるあらゆる商店、居酒屋、営業所等を虱潰しにしていた。

彼らは西谷から過酷な取立を受けている筈であり、怨みも積もっている。唐沢は直ぐに西谷を売るだろうと見込んでいた。

 しかし――。

――西谷さん? 最近はとんと見ないですねえ。

――西谷はここらじゃもう一か月近く見てないわ。前見た時はあそこの酒屋の店主を脅してたけどね。それも二、三週間前の話ですね

 ――おかしいんですよ。こっちは金用意してまってるんですが、支払いの期限からもう一週間になる。今までこんなことなかったのになあ。

 ――うちやわあ。やっと耳揃えて全額返すだけの金が出来たのに、こっちから払いに行きたいくらいやねんけど。見つかったら教えてーな。

 ――ええ、私も金を返そうとしとるんですが。あ、西谷さんじゃあないんですが、この前見覚えのある男を見つけたんですよ。確か西谷さんの部下の一人で。だから私捕まえて言ったんですよ。西谷は何処だって。でも人違いだから、時間がないからとはぐらかされてしまいました。そういうや、何かその男ひどくそわそわして、髪もパリパリしてたな。ヤクでもやってんのかな……。

 どうやら、西谷は街から姿を消している。それは確からしい。

 ――姉御、どうしやしょうか。

 ――しょうがない、次の手を考えるよ。


     *


 近藤と唐沢二人の会合が設けられた後。近藤の手下と唐沢組の若衆達が夜の街の至る所に配置された。しかし、今日の彼らは代紋を外し、一見堅気と見紛う姿をしている。目的は西谷及びその手下と思しき男達の行方である。

 夜の街はネオンの灯りで今日も煌びやかである。その灯りの下に、今日も何処からともなく無頼の徒が現れた。男達は肩で風を切り、誰が来ようと道を譲らない。あいつらだ、そう思った唐沢若衆東田亮太は直ぐに公衆電話に駆け込み事務所へ電話する。

 電話を受けしは、唐沢組幹部鈴木一平。彼はすぐさま本家へと電話し、事を伝える。

 こうして、本家で待機する近藤の下に、次々と街に現れる男達の情報が集まっていった。

 男達は常と変わらず、東堂会本家や唐沢組傘下の商店に現れ、その商いを妨害し、やがて日が明ける頃には引き上げていった。そして、彼らに対する追跡が始まった。

 寝ぼけ眼を擦りながら、数人の男の跡を付けしは唐沢組若衆金田五平太。酒気を帯びた男達は一人、また一人と散会していく。五平太はそのうちの深く酔った男に狙いをつけ、気付かれぬよう後に続いた。繁華街を抜け、工業地帯を通り、住宅街に入る。やがて男は長屋の前に立ち止まり、勝手知ったる素振りで鍵を開け、中に吸い込まれていった。五平太はその裏に回り、窓から中を伺ったが、どうやら先の男一人である。ここはその男の住まいらしかった。

 一方、東堂会若衆頭田中始もまた、男達を補足し、その後を追った。相手は一人、田中の鋭い眼光がその背を刺す。男が歩調を緩めれば、田中もまた歩調を緩める。男はどうやら追跡を警戒しているらしい。後ろを振り返ることが幾度もあった。対する田中はその度鮮やかに闇に紛れ、姿を隠した。しかし、やがて繁華街の外れまでやって来たところで、男の隣にバンが停まった。男が手早くバンに乗り込むと、バンは直ぐに走り去ってしまった。追跡虚しく、田中は朝焼けの中に置き去りにされてしまったのである。田中はバンの走っていった方角を見つめていた。その背に、朝日を浴びながら……。

 また一方、東堂会若衆、西田智明は走っていた。彼が追っていた男が、河川敷まで来たところで突如走り出したのである。追跡に気付かれたのか。西田の脳裏には嫌な想像が浮かんだが、問題は目の前の男である。河川敷から離れ、住宅街に分け入って行くと、幾つもの曲がり角が現れる。男の曲がり方は右右右とUターンしたり、右左左右とまた元の道に戻ったりと、出鱈目な走り方をしている。バレている、かくなる上は捕まえてやる、そう西田が思った矢先。男は公園に停めてあった自転車の鍵を壊して乗り込み、シャーッと走り去ってしまった。

 結局、その日敷かれた西谷包囲網に西谷がかかることはなく、また発見された無頼漢達もまた自分の家に戻るだけか、あるいは車やバイクで逃走し、その消息を絶ってしまったのであった。西谷の行方は陽として知れることはなかった。

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