第一部第二幕 光と闇の行方Ⅰ

 唐沢組若衆金田五平太にとりて、今回の東堂会の決定は僥倖というべきものであった。

 貧しい家の五男に生れた五平太は、ろくな食料を親から与えられず、にも関わらずその体躯は人一倍大きく育ち、為に殊更彼は肩身の狭い思いをした。父はろくでなしというよりなく、酒に溺れ博打に興じ、家族の生活費は母と、一足先に成人した長男次男の稼ぎに頼る有様であった。母はその父を責むる強さを持たず、子らに対する愛情はその悔恨の念が相まり一際であったが、現状を変える術を持ちえなかった。五平太は母の優しさを如実に受け継ぎ、その体躯にも関わらず同窓に対して暴力を振るうことは決してなかった。五平太が中学を出る頃には既にその体は大人のそれと謙遜がなく、故に年齢を偽り都会に働きに出たのであった。母は特に反対したが、その時男が六人、女が二人の計八人もの大家族となっていた金田家にとって、働ける者を家に置いておく道理も余裕もなかったのである。五平太は家を出る時、母に誓った。大人物となって金を山ほど稼ぎ、家族を楽にしてやると。

 五平太はその強靭な体を生かし、あらゆる肉体労働をこなした。真面目な性格は同僚の好感を呼んだが、その頭の足らぬところが災いし、ひょんなところから年を偽っていることがばれてしまい職を転々とした。終いには顔が割れ、どこもかしこも雇ってはくれなくなった。行き倒れるか否やという所で、五平太が縋る思いで辿り着いたのは、唐沢組の使い走りとでもいうべき風俗店の警備の仕事であった。そうして、世を知らぬ五平太は気付けばヤクザの組員の一人となっていたのである。

 さて或る日の夜、五平太がいつも通り店の裏に控えていると、唐沢組本部事務所への招集がかかった。店を閉め、幾人かの同僚達と共に事務所に向かう。唐沢組の本部は歓楽街のど真ん中にある雑居ビルの中にある。既にそのビルの前には組員の群衆がいた。これから何が起こるのかと五平太が見知った顔に問うと、どうやらこれから姐さんが組員一人一人に面接をするとのことである。列が整理され、序列順に並ばされると、五平太は後ろから三番目、五平太はぼんやりと待ち続けた。

 やがて五平太が夢うつつで歩き始めた頃、やっとこさ彼の番が巡って来た。

 唐沢組の幹部にいざなわれるまま扉を開けると、小さな事務所の中に、組長代行唐沢真弓が一人椅子に腰掛けていた。

 ――待たせたね。まあ掛けな。

 ――へい。

 ――五平太、早速だがね、今回の東堂会の決定は知っているかい。

 ――おいらは馬鹿ですから、よく分かってないんですが、何だか悪い事は止めるって話ですよね。

 ――そうだ五平太。いいかい、暴力は止めにするんだ。

 ――はあ、それはおいらには有難いことで。人が泣いているとこは見たくありませんから。お袋が泣いているのを、思い出しちまうんです。

 ――いい子だねえあんたは。確かあんたは中学しか出てないんだよね。

 ――へえ。それも家の手伝いや弟や妹の世話なんかで、まともに勉強なんかできませんでした。

 ――それでお前に相談なんだが、お前、勉強したくないかい。

 ――姐さん、そりゃどういうことですかい。

 ――いいかい、うちはもう極道止めるんだ。極道にゃ学なんぞ大していらないが、これからは真っ当なことをしないといけない。すると、中卒ばかりじゃ恰好がつかないだろう。

 ――おいらは役立たずになっちまうってことですかい。

 ――違うよ。人間誰しも環境がなければ学問なんぞ出来やしない。今回のことで本家はたんまり金を出してくれるっていうのさ。あたしゃお前みたいな可哀そうな人間を見ていると我慢ならないのさ。店の女の子たちもそうさ。だからあたしゃこうして場を作ってやってるのさ。行き場のない子達にね。

 ――それで、おいらはどうすりゃいいんで。

 ――いいかい五平太、金は出してやるから、通信制の高校に行かせてやるよ。成績が良けりゃそのまま大学にも行かせてやる。その代わり、その時間以外はこれまで通りちゃんと働いてもらうよ。

 ――そんな、おいらには勿体ないですよ。

 ――馬鹿言うんじゃないよ。人間誰だってね、勉強して幾らでも偉くなろうとしていいんだよ。お前が今馬鹿なのは、ちゃんと勉強するチャンスがなかったからさ。そんな不平等な話があっていいもんかね。いいかい五平太、偉くなって田舎のお袋に楽させてやりたいんじゃないのかい。あたしゃお前にそのチャンスをやろうって言うんだよ。

 ――姐さん……。

 五平太は泣いた。吹きすさぶ都会の冷たい風の中、遂にその風が止む場所を見つけた心持であった。ああ、ここがおいらの居場所なんだ、五平太は強くそう思った。

 ――五平太、泣くのはまだ早いよ。勉強しながら働くっていうのは、そんなに簡単なことじゃないよ。いいかい、頑張るんだよ。

 ――うん、うん……。

 ――……。

 やがて五平太が泣き止み、平静を取り戻すと、唐沢は幹部の鈴木を呼び、今後の手続きと五平太のサポートを彼に命じ、二人を下がらせた。

 唐沢は残る二人に同様に面接を行い、組員全員との面談を終えると、ほっと胸を撫で下ろした。

 (あんた、見ていてくれるかい。あたしはどうあってもあんたが残した家族を守るよ。極道止めようがどうしようが、全員で生き残ってやる。手段は選ばないよ。)

 唐沢真弓の夫である唐沢組組長唐沢栄一は既に故人である。彼の死因はつまらぬ交通事故であった……。

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