第一部第一幕 仁義と金Ⅳ
久米義春は夜の繁華街を歩いていた。神原は家に帰らせ、久米は一人居酒屋を覗いて回っている。彼の目的は、飲むことではない。西谷である。
彼が五軒目に選んだのは、西谷組の縄張りの中にある、和食居酒屋であった。
――邪魔するよ。女将さん、西谷来てないかい。
――久米さんかい。ああ、来てるよ。二階、案内したろか。
――いや、いい、いい。
久米が狭い階段を上がると、西谷の笑い声が聞こえてきた。久米が当たりをつけ、引き戸を引くと、そこには西谷、松方、そして高良の三人がいた。机の上には、魚の造りと、いくつかの盃が転がっている。
――お、久米さんかい。座った座った。
西谷が笑みを浮かべながら手招きする。
――西谷、お前久米さん呼んだんか。
問うは松方。
――わしは呼ばれちゃおらんよ。どっこいしょ。
――おい、熱燗を頼むよ。
――なんだ、覚えてたのかい西谷。
――そりゃまあね、いつも世話になっとりますさかい。娘二人はどうでっか。そろそろ、受験やなかったですっけ。
――上が大学、下が高校受験やわ。
――そりゃ大変ですやないか。これ、どうぞ。
西谷は懐から封筒を取り出し、久米に手渡した。
――いつもすまんな。
――まあ気にせんで下さいよ。困った時はお互い様やけえ。
――それで、お前ら、作戦会議は終わったんか。
――まあまあまあまあ、そういう堅苦しい話は酒が来てからにしましょうや。
西谷の目が、久米を制した。
やがて、燗が来た。西谷が猪口に注ぐと、久米はそれをぐいと一息に飲み干した。久米の頬が、少しばかり紅潮する。
――……西谷よ。わしはお前が小さな時からお前の事を知っとる。孤児だったお前を先代の浩一がどこからどもなく拾ってきてから、ようここまで大きうなったな。お前はずっとやんちゃやったな。だから、今度の事も受け入れられんちゅうんは、わしもよう分かっとる。だがの、西谷。何の益も無く無駄に死ぬことはないんぞ。この三人でこれから何するかは知らんが、どうにか大人しゅうすることはできんか。
――久米さん、俺は野良犬よ。元より好きにする以外の生き方、できんで。本家が何企んどるかは知らんが、もう抜けたんやし好きにすんで。
――西谷、市民だけは傷付けるんやないぞ。
――久米さんは心配性やのう。まだ何も始まっとらんで。
久米は大きくため息を吐いた。
――まあ、なる様にしかならんか。
――そうや。人生そんなもんやろ。
――ふん、若造が。
――うはははは。
――ええか、西谷。もう警察は守れんぞ。覚えとけよ。もう、お前のようなヤクザもん守れるんは、もう金位しかないぞ。
――はん。堅気もヤクザも金金金。それで得するんは、結局金持っとる奴だけや。俺らみたいなヤクザもんがどないして金稼げ言うんじゃ。俺らなんぞ学もなんも無いからここに居るんや。なあ、久米さんよ。何の能力もない馬鹿が、この冷たい世界で生きるんには、結局暴力振るう位しかできひんのや。
そこで、松方が口を挟んだ。
――西谷、その先には何があるんだ。
――先やと。松方ちゃんよ。先なんぞあらへん。俺らにあるんは今だけや。今を生きて生きて、そいで死ぬしかあらへんのや。野垂れ死に結構、無駄死に結構。人間誰だって死ぬんやで。金持ちの言いなりんなって、みみっちく金を稼ぎたいんか。逆らって抗って、そいで楽しんで、そいで死のうやないか。俺ら社会のはみ出し者なんや。社会の潮流なんぞに乗る必要、どこにもないんやで。
――……。
久米は松方をじっと見つめながら、言った。
――松方よ。お前はよう悩め。悩んで決めるんがお前やろう。
西谷が薄っすら笑みを浮かべた。
松方に優柔不断の気色ありしは既に幹部と久米の知る所である。故に、評決の場における即断即決の指詰めと脱会は道理の外にあった。何者かが彼に知恵を入れたるは、明白とも言えた。
もうぬるくなった燗を飲み干すと、久米が立ち上がった。
――もう帰るんでっか。
――ああ、この時節に警官が長居する訳にもいかんわ。
――連れないなあ。
久米は先に西谷から受け取った封筒から一枚の万札を抜き取ると、机に置いた。
――場代や。じゃ、元気でな。
久米は去って行った。
――なあ松方ちゃんよ、お前はよう見とれ。俺がでかい花火上げたるからよ。
――あ、ああ。
松方は刹那、西谷の目を見た。その目は賭場における男達の、生き生きとした目であった。これから彼が挑むであろう戦いは必敗の戦い、どこに目を輝かせる要素があると言うのか。松方は気付けばこの男を見届けようとしていた。
高良はこの会話の間、腕を組み、じっと一点を見つめながら、煙草の煙をくゆらせていた。
第一幕 終幕。
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