第一部第一幕 仁義と金Ⅱ

 松方真治は悩んでいた。東堂会長の言うこともよくわかる。松方組の主な上りは不動産収入と違法賭博によるもの。だが、飛ぶ鳥を落とす勢いで不動産経営が上手くいっているのに対し、賭博場は既に幾つも検挙され、必要な隠蔽工作のための費用も鰻登りとなってしまっている。

 暴力撤廃、それもまた時流か――。

 しかし、松方の脳裏に浮かぶのは、賭場における男達の生き生きとした目であった。賭場では皆にチャンスがある。勝つために必要なのは、ただ度胸と運の二つのみ。老いも若きも、学も縁故も関係ないシンプルで平等な世界。人というものは、そのようなチャンスのある場でしか目を輝かせることは出来ない。

 切った張ったを生業としてきた昔気質のヤクザである松方にとって、そのような場を否定することは己をも否定するに等しい。

 それに……。

 現在の東堂会の勢力は先代会長、東堂浩一の下確立されたものである。松方は彼の下で幾つもの死線を潜り抜け、三下から駆け上がり自分の組を持つまでに至ったのである。

 しかしその浩一も若くして命を落とした。彼が子無しであったためだけに会長となった弟の浩次に、松方は何の恩も受けていないのであった。

 大恩ある先代の覇業を、水泡に帰するとも言える今回の施策、松方の理性がこれを是認しようと、彼の感情はこれを認めえなかった。

 己の事務所の椅子に腰掛け、頭を抱える事丸三日。彼の様子を伺う組員達にも、その戸惑いは伝播していた。

 

 ――あの、親父、そろそろ決断は……。

 ――まだだ。

 ――組員も不安になっています。

 ――ああ、わかっている。決めんとな、決めんといかん。

 ――では、賛同されては。

 ――先代会長に顔向け出来ん。

 ――では、反対されては。

 ――それもな、お前達の事を考えると、どうにもな。ううむ。

 

 松方は元来口数が多い人間ではない。それが故に、彼が押し黙ってしまうと、組員達もまた彼の言葉を諦めざるを得ないのである。

 

 そこへ……。

 

 ――親父、表に大友の親分と、近藤の親分が来やした。

 ――何?早く通せ。おいお前、茶菓子はあるか。切らしてる? 直ぐ買ってきてくれ。


 慌てふためく事務所の中に、二人の大男が入って来た。

 

――お疲れ様です!

――ああ、いいいい、松方、そう気張らんでいい。急に来たのはこっちやから。

 

 大友が気楽に声を掛ける。

 三人は机を挟んで、着座した。

 

 ――それで、大幹部が二人揃ってどうなさったんで。

 ――松方、お前会長のあれ、どう思うとる。

 ――どうにもこうにも、まだ悩んでます。

 ――お前が考えとるんは、要は先代に顔向けできんとか、賭場を潰したないとか、そういうとこやろ。でも、かといってこのまま突っ張っていけるかというと、そうも思えとらん。違うか。

 ――はあ、仰る通りで。

 ――だが、残念やがあの施策は必ず通るんや。

 ――と、言いますと。

 ――よう考え、東堂会の幹部は全部で会長も含めて八人の幹部がおる。当然会長は賛成、俺もここにおる近藤も賛成や。それに、銭の事しか頭にない高麗は、もう不動産収入でナンボでも儲けとって別に違法なことする必要あらへん。反対する必要がない。むしろ警察の邪魔が無くなるから万々歳やろ。

 ――確かに。

 ――それに、あの唐沢の姉御も、あそこの組の根幹は風俗や。女の子たち守るんにも元暴力団の名前で十分やし、それにわざわざ女の子とっ捕まえて沈めるとか、もうそんなんせんでも体売る子はそこら中におる。この都会で遊ぶんには今偉い金使わんといけんからな。

 ――しかし、唐沢の姉御が賛成する必要もないのでは。

 ――固いな、お前は。実を言うとな、もう向こうから本家に来おって、賛成するから金寄越せ言うとんねん。幾らか掴ませて帰らせたから、もうあの女狐の一票も固い。まあ更に言えば高麗も来てんけど、お前は何が何でも賛成するやろ言うて帰らせたけどな。

 ――となると。

 ――そうや、もう過半数の五人に届く。西谷は突っ張って出ていきおったし、高良も多分反対やろうが、もう関係あらへん。松方、お前が幾ら考えようともう大勢は決まっとるんや。

 つうことでや、松方、お前反対に票入れい。

 ――は……?

 ――ええか、松方、お前西谷どないする思う?

 ――あいつの事ですから、今度は突っ張って東堂会抜けるんじゃあないですかい。

 ――そうや、だがそんだけやない。俺はあいつが本家に弓引くんやないか思っとるんや。

 ――そこまでしますか。

 ――分からん。だがこっちも違法行為は止める言うた手前、表立って反撃はできん。抗争なんぞに発展してみい、何やヤクザはヤクザのまんまや言われて仕舞や。そこに付け込んで、あいつも好き放題するかもしれん。

 そこでお前の出番っちゅうわけや。ええか、お前は反対に票入れて、あいつと一緒に組抜けい。それで、あいつが弾けそうになったら……。

 ――後ろから撃てと。

 ――その通りや。お前がこっちに戻って来たら、仰山金分けてやるさかい、頼んますわ。

 ――大友さん、そんな、俺に仁義に反することやれ言うんですかい。

 ――違うぞ松方。

 近藤が初めて口を開いた。

 ――これも本家の為、親父のためや。西谷なんぞ野良犬や。処分してまえ。

 ――……分かりました、引き受けましょう。俺は反対に票入れさせてもらいます。ただし、何時西谷を撃つかは俺に決めさせて貰います。

 ――ああ、分かった。じゃあ、これは軍資金や。

 

  大友はアタッシュケースを取り出し、松方に差し出した。

 

 ――こんな、貰えませんよ。

 ――ええからええから。それで銃なりなんなり用意しとけ。それじゃあな。


  大友、近藤の二人は事務所からそそくさと退出した。

  後に残った松方は、懐から煙草を取り出し、煙をくゆらせた。


         *


 大友、近藤の二人は車に乗り、本家に向かっていた。

 

 ――大友、お前、松方に金をやるのはどうなんだ?

 ――何故?

 ――あいつが俺らの味方になるとは思えん。

 ――近藤、種というものは撒かねば芽は出ません。あのような端金、失っても惜しくはない。

 ――しかし、敵に弾を渡す様な……。

 ――それこそ儲けもの。そもそも、ああいう昔気質のヤクザというのは、いずれ邪魔になる。こちらが渡した弾でこちらを撃てば、やつの仁義もお終い。西谷を処分するもよし、同時に松方も始末するもよし。そもそも、抗争になったところで地力が違いますから、本家に負けはありませんよ。

 ――そういうもんか……。


 (ま、邪魔なのはあなたもですがね、近藤さん。)

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