第18話「イサベル」

「失礼…イサベル殿とお見受けするが」


 その女はゆっくりとウィレムの方に目線を移した。寝ずにひたすら研究をしていたのか、目の下には大きな隈が出来ている。


「…美人だ」


…確かにすらりとした体躯に整った顔立ち。髪をボッサボサにさえしていなければ道行く人々を振り向かせるほどではなかろうか。ジョリオはそんなイサベルの容姿に見とれているようだった。


「ほう!私を知っているとは目の高い小僧だ!いかにも!私はイサベル・リーア=アルフォンソだっ!してこの私に何の用だね?サインか?」


 イサベルは勢いよく立ち上がり大声で叫んだ。その声は部屋全体に響き渡り、ウィレムが思わず耳をふさぐほどだった。一斉にウィレムたちの方へ他の利用客の嫌味のこもった目線が襲いかかる。


「…いや違います。図書館では静かにしましょうよ…!」


遠くからガタイの良い兵士が槍を乱暴に床に打ち付けながらこちらを睨みつけているのも見える。これはヤバいと感じたのか、ウィレムが小声でイサベルを諌めると、しぶしぶと声を小さくした。


「わかったわかった…で、この私に何の用だ?」

「あなたがとある研究をされていたと聞いております…それでいくつかお尋ねしたいことがあって参りました」


 ウィレムは港町の宿屋で手に入れた手記の一枚を先程預かったもう一枚と合わせてイサベルの手元に丁寧に置いた。


「おお、これは私の手記じゃないか!…失くしたかと思っていたがよくぞ見つけてくれたな」


イサベルはその二枚を見た途端、ぱっと明るい顔になり、今度こそ失くすまいと懐から大きな書類入れを取り出し、しっかりとしまい込んだ。


「『生まれ変わりの精霊』について、何かご教授を頂ければと思いまして」

「…へぇ、君はなぜあんなものに興味を?」

「どうしても確かめねばならぬ事があります」


「…丁度その研究をしていてね、今さっきいくつか新しいことがわかった所だ。外のほうが声を抑えないですむからテラスに行こうか」


 イサベルは大量に集めた本を片付けもせずに立ち上がり、屋上へ通じる階段の方を指差した。こうやって本を放置していくのは今に始まったことではないようで、職員の人間もそれに対して何か言うことは無かった。


・・・・・・・・・・・


外に出れば、すでに太陽がまばゆく頭上で輝き、降り注ぐ熱は遠くの景色を揺らめかせていた。人々は活気づき、下の方では露天商が大声で呼び込みをしているのが聞こえてくる。


「ほら少年!こっちだ!」


 イサベルはテラスに設けられた椅子にどかっと座り込み、ウィレムを隣に座らせた。


「で、何が知りたいんだ?」

「…まずは「精霊」なるものについてお伺いしたい。なんでもあまねく現象の原動力たる『マナ』の凝集したものだとか」


「う~~~~~~ん、第一にマナの理解が正しいとは言えないな。…何かと言うとだな、マナだけが世界そのものを動かしている訳ではないのだよ。マナは元来なにものでも無い存在だ。…そうだな、例えば火山があるだろう?火山と言えば何を思い浮かべる?」


「大地より湧き上がる力、炎の力の結集する場所…といったところでしょうか」

「その通り。火山地帯には『地』と『火』の性質を持ったマナが集まる傾向にある。…では元来透明、つまり元来何物でもないマナがどうして火山地帯という場所に集まり、その性質を異とさせるか、わかるかな?」


 そう問いかけられ、ウィレムは耳の上をぐっと押さえつけて考え込む。…当然「マナ」に関する知識などほとんど無いウィレムである。やがてわかりません…と悔しそうに呟いたのを聞き、イサベルは苦笑いしながら「素直でよろしい」と呟いて口をまた開いた。


「地形が火山や草原、砂漠といった環境に分化するのはマナの影響だ。一方でその環境の影響を受けてマナの性質が変化する。つまりだ、マナは世界の現象の動力であり、その一方でその動力によって動かされる対象でもある」


「…そして特定の場所に集まり、別の性質に変化したマナが集まって精霊が産まれると?」

「ま!そういうことだ。…で、ようやく「精霊」について話せるな。…精霊はその変化したマナが集まって産まれる、という解釈は半分正解だ。精霊は実体のある存在だが、マナそのものに質量は存在しない。…ではその質量はどこから来る?答えは一つだ。生き物の死骸や胎児といった魂を持たない生物的存在が入れ物になり、意思を持って動き出す…それが『精霊』だ」


「…ですがマナは元来意思を持たないのでしょう?では何がその意思の根源なのですか?」


「そう、これこそ私が現在研究している内容だ。『魂』、『自然の力』、『集積』、『憑依』…エントラーダに忘れていった本の中から唯一読み取れた語句だった…。で、あの本の内容を色々と調べた結果、ある仮説が産まれた…」


「仮説…?」


ゴオオオオオオオオオオン…


 その瞬間、大きな鐘の音が鳴り響いた。


「…ん!もうこんな時間になってしまったか。私はそろそろ食事に行く。次に鐘がなる頃には食事処はどこもいっぱいになるだろう。君もお友達と一緒に食べに行ったらどうだ?」


「イサベルさんは食後にまたここに来られますか?」


「いや、今日の研究はこれで切り上げるよ。飯を食ったら少し寝る…数日間全く寝て無くてね」


 そう言ってイサベルは美しい顔を崩すように大きな口をあけて大きくあくびをした。眼の下の隈を見るに相当眠気に苛まれているようで、見ているこちらにまで眠気が移りそうだ。


「明日は朝からここに来る予定だからまた来たまえよ。この街は美味いものがたくさんある、お友達と楽しんできな」


 イサベルはゆっくりと立ち上がり、ウィレムに何かを耳元でささやくと、さっさとその場を後にしてしまった。

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