第15話「不穏の黒い影」
「ありがとう助かったわ…私一人だったらその子を運べなかった」
ベッドに腰を下ろしたエルフの娘は、無心に干し肉にかじりついているジーナにそう言葉をかける。獣人はようやく意識を取り戻したものの、ぼんやりとした様子で虚空を見つめている。
「…そいつ、いつからおまえ達ト一緒なんダ?」
ジーナは肉を一飲みにしてぺろりと口をなめると、やおらベッドから立ち上がり、そばの椅子に座り込み、挿してあった羽ペンを手に取りながらそう尋ねる。
「エントラーダに来る前に来た街でね、その子は奴隷として売られてたのさ」
「…へェ…?」
ジーナは薄汚れた紙にさらさらと文字をしたためていた手を止め、丸い目を一層丸くしてそう漏らした。
「…デ、おまえの仲間はこいつを買ったのカ?」
カリスタは黙ってうなずいた。
「なるほど?奴隷売りに金を払っテ、その金デまた新たに奴隷が売られるのを無視しテ、こいつを買ったのカ。上っ面ノ正義感で良いことをした気ニなってるだけだナ」
「…確かにあいつの、ジョリオのしたことが正しいのかどうか、私にも分からない。あんたの言う通り奴隷を助けるために買ったところでその金でまた奴隷が商人に買われるだけ…それでも他の悪い奴らにひどい扱いを受けるくらいなら…と思っての事だと思う」
二人の視線はいまだ虚ろな目で虚空を見つめている獣人に向かう。女の奴隷がどれほどの苦しみや恥辱を受けてきたか、容易に想像がつく。ジーナもカリスタも、その顔を苦々しく歪ませるばかりだった。
「…一度奴隷になってしまえばお先真っ暗だ。たとえ誰かが所有権を放棄する…つまり「開放する」と宣言しても、そいつが奴隷であることは永久に変わらない。いや、むしろ最悪かもしれない…誰のものでもなくなるってのは…」
「…?どういうことダ?開放されれバあとは自由の身じゃないのカ?」
カリスタはベッドから立ち上がり、獣人の腕を押し上げ、胸元に刻まれた紋章をジーナに見せた。
「呪いの印だ。…これが消えない限り、本質的には奴隷のまま…むしろ誰の物でもなくなることは、最低限誰かに目をかけられることすら無くなる。…これが罠だ。「ようやく自由の身になれる」って喜んでた奴らを何人も見てきた。…だが…」
「…もういいっテ」
カリスタの言葉に終わりが近付くにつれて声が震えてきたのに耐えかね、ジーナは言葉を制止した。
「まっ、ジョリオってやつハ、少なくともこいつは助けたからナ。『しない善よりやる偽善』…そんな言葉を思い出しタ。…それよりモ、それ、すごい嫌な感じだナ」
ジーナも獣人の目の前に歩み寄り、胸に刻まれた呪印をにらみつけるように見つめる。…五芒星を元にした紋章に、六芒星を上乗せしたような独特なものだ。紋章から魂を逆なでするようなおぞましい気配が伝わってくる。
「…嫌な感じ?そりゃあそうでしょう…人を奴隷に…
「違ウ!わからないカ!? これハ本気でヤバい!」
何かにジーナは気付いたのか、軽い身のこなしで飛び退き、置いてあった鎌を体の前に構える。強い恐怖と焦りからか、額から大粒の汗がこぼれ落ちる。
「おい!そいつをなんとか立たせロ!五秒もあれバ十分ダ!」
「ええっ!?どういう…
「説明は後ダ!一刻も速ク!」
カリスタが獣人の娘をなんとか立ち上がらせようと踏ん張り始めたのを見るやいなや、ジーナも両手で握った鎌を顔の前で構え、目を閉じて精神を集中させはじめた。
「よシ…!」
鎌が輝き、部屋の中を藤色に照らし上げる。準備が整ったのか、獣人に向け鎌を今一度突き出した。
「ほらっ!!立たせたよ! 」
「はっ!!!!」
瞬間、鎌から鋭い針のような閃光が放たれ、獣人の胸に刻まれている呪印を射抜いた。
「…がうっ!」
ズボオオオオオオオオオォォォッ…
獣人がびくりと身を震わせると、呪印からどすぐろい霧のような「なにか」が吹き出し、光を帯びたジーナの右手のひらに集まっていく。
「な…なに…これ」
「こいつハヒトの悪い気持ちノ塊…『怨念』ダ!」
ジーナは左手から鎌を放り捨てるように落とすと、両手で『怨念』と呼ばれた「何か」を包み込む。また手のひらから藤色の閃光が放たれると、その塊は透明な煙のようになって空気に溶けた。
「…よし、これデダイジョブ…!」
「ちょっと!一体なんなのよ!」
精根尽き果てた、という様子で尻からくずおれたジーナに、カリスタは当然の疑問を投げかける。
「…どうやラ…そいつが持ってタのは「奴隷」の呪印だけじゃなイ。『怨念』まデ仕込まれてタ…」
「意味が分からない!悪い気持ちの塊って…どういうことなの!?」
「悪イ…その説明ハ明日、ウィレムとすル…力を使い果たしテ…」
乱れた呼吸が全く整わないのを見て察したのか、カリスタはわかった、とだけ呟いた。
「うっ…」
「えっ!?意識が…!」
「…!」
驚くべき事が起きた。獣人が意識を取り戻したのだ。ジーナはこうなることを予測できていたようで、疲労困憊になりながらも表情を少しだけ緩ませた。
「あ…り…が
そう言いかけた所で、獣人も意識を失ってしまった。
「ダイジョブ…眠っただけ…あたしモ寝る…」
ジーナもベッドに上がるとすぐに深い寝息を立て始めた。
「…いったいどういうことなの…?」
一人残されたカリスタは、誰に伝えるでもなくそう呟くのだった。
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