第6話「出港」


「おおっ…!これが…!」


 店主が供してきた鉄の皿の中には、つぶつぶした黄色い穀物の集まりの上に、エビと見慣れぬ形の貝の肉が乗せられている。匂いは非常に独特だが刺激的で、その湯気が鼻に入った途端、口の奥からとめどなく唾液が溢れてきそうになった。ーーそう、『エビとホタテのパエリア』だ。ーー


 ウィレムが見た目の壮観さにあっけにとられている中、ジーナは備え付けのさじで穀物をすくい取り、振るえる手で口の中に放り込んだ。


「どっ…どうだ?」

「…」


 ジーナは何も語らない。ただ無言で口の中のものを噛み締め、ゆっくりと飲み込む。そこに音はない。ただ隣でギャーギャーとうるさい声が聞こえてくるだけだ。


「う…」


 ジーナの目が急にうるみ始める。


「ウマいッ…!!こんなウマいもの!!初めてダ!!」


 その言葉を皮切りにジーナが背を丸め、一心不乱に料理を貪り始めたのを見て、ウィレムも匙を口の中に入れた。


「…!!!!」


 …なんだこれは!?歯応えと柔らかさを両立させた穀物が…塩辛いような、甘いような…この味を表現する言葉が見つからない。

…上に乗せられた貝の切り身も、歯で簡単に噛み切れるほど柔らかく、穀物と同じような味付けがされている。プリプリとしたエビの身は歯を入れただけで跳ねるような食感…味も…これは海水で味をつけたんだろうか。…だが全くくどさを感じられない塩味だ。

 …匙を止められない。ジーナの言葉を借りれば…「こんなウマい物は初めて」だ。


「…ゲホッゲホッ!」


 焦って食べすぎ、喉に穀物をつまらせて吹き出してしまった。


「料理は逃げねぇぜお客さん!」


 店主が苦笑いしながら、甘い香りのする液体を手元に出してきた。


「そいつで流し込んじまいな!パピヤのジュース!」


 促されるままそのジュースを流し込むウィレムに、さらに追い打ちのように衝撃が走る。

水のように軽い飲み心地に、甘さと酸味の中にかすかな苦味があっていくらでも飲める類だとウィレムは思った。


「ぷはっ!!」


 ジュースを飲み干すとすぐに鉄の皿に手を付け直し、あれよあれよという間に平らげてしまった。


「はぁっはぁっ…」


「子供には多すぎると思ったけどよ」

「…いい食いっぷりだったな!」


 皿を平らげ、恍惚とした表情を浮かべながら涙と汗をポタポタと垂らしているウィレムを見て、店主は心から嬉しそうに笑った。


「…こんな美味いものは俺たちの故郷にはありませんでした。…本当に、本当にここに来てよかったと思いました…」

「うちの自慢のメニュー!あんたらの思い出の一つになれたなら料理人冥利に尽きるね!…ほらっ、まだタコが残ってますぜ!」


 そのタコと海藻もよく酢に漬けられていて、パエリアなる料理の油っこさを打ち消してくれるように感じられる。


 「あァ…!最高!」


 ジーナもほぼ同じタイミングで食べ終わったらしく、椅子の背にもたれかかってふうっと長い息を吐いた。


「そっちの嬢ちゃんもいい食いっぷりだったなっ!ジュースも飲みなっ!サービス!」


「甘い!すっぱイ!でもちょっとだけ苦イ!うまい!!」


ジーナがジュースを飲み干すと、ちょうど鐘の音が鳴り響いた。


 食べ物に夢中だったせいで気づかなかったが、既に店の中だけじゃなく外にも大勢の客が集まってきている。


「よしジーナ、そろそろ出るぞ。他の客の邪魔になる。…大将、ごちそうさまでした」


「おうっ!またいつでも来て!」




「さて、船が出るまであと鐘が一回…ってかこの街には時計はねぇのか?」

「あったゾ!」


 ジーナが指差した先の教会の塔に、大きな時計が飾られているのが分かった。時計の針は11の目盛りを指している。…船出までちょうど一時間、それだけ猶予がある。


「…どうするジーナ、どっか行ってみたいところはあるか?」

「浜辺とかどうダ?」

「浜辺か…そうだな、船がどこにあるかも知っておきたいし、行くか」


 その食事店から離れるとすぐ海辺に行ける。浜辺のきめ細やかな砂が、足を進める度にさくさくと音を立てて非常に心地いい。浜辺の前に敷き詰められた大岩のおかげか、昨晩の嵐で荒れた海による被害をそれほど受けなかった事がわかる。

 少し砂浜を歩くと、先程顔見知りになった船乗りがせっせと船の整備をしているのが見えた。


「よし、船の場所は分かったし、時間になるまでここにいるか。下手にうろちょろしてダニエルさんを困らせるわけにはいかなねェしな」



 ヤシの木に二人はもたれかかり、もう一度深い息を吐くと、遠く遠く広がる海を見つめた。


「…広いナ」

「…ああ」


「この遠い遠い海の先に、ここみたいな街があって、人がいて、国があるんだよナ」


「そうだな、世界は広い。もどこかで生まれ変わって、今の俺達みたいに、美味いものを食ったり、いろんな人間と会って、幸せに生きてると…いいよなァ」

「…また会えル。だっていつ、どんな場所でも、この空は一つだかラ」


「なんだァ?お前も随分言葉が上手くなってきたなァ、なかなか粋な事を言うじゃねェか」


 少しだけ驚いたのか、ウィレムは身をジーナの方に乗り出してみる。ジーナは随分と真剣な顔をしていた。


「…昨日、寝てル時に、おまえの弟の声が聞こえタ」

「何っ!?」


「姿は見えなかっタ。でも、確かにおまえの弟だって分かっタ。…魂の色がおまえそっくりだったから」

「俺も昨日の夜、お前に蹴られて目を覚ました時に外を見た。そしたら嵐の中に何かがいた!かどうかは分からねぇ。でも心が懐かしい思いで一杯になった…!」


「…」

「…」


 少しの間沈黙が訪れた。穏やかな波の音が二人の思考を助けたようである。


「…宿屋に「生まれ変わりの精霊」ってタイトルの本があった。その本を訳そうと試みた考古学者気取りのやつがトーレに昨日旅立ったらしい」

「あァ!あの日付はそいつに関する事だったのカ!」


「…トーレに着いたらまずは情報収集だ。一緒に国に帰らなくても良い。どんな形であれ、幸せに生きているのを確認する。…あいつの兄だった者として、望むのはそれだけだ。…まァ、もし俺の予想が合ってれば、の話だがな」


 ウィレムがそう言い終えると、人で賑わう街を背に、二人の間にまた静かな一時が訪れた。

 腹一杯まで食った上にこの温暖な気温、それに穏やかな波の音で、ウィレムもジーナも、だんだんと眠気が押し寄せて来るのに気づいた。

 そして気づく頃には、二人はすっかり眠りこけてしまったのだった。



「起きろっ!!もう鐘がなったぞ!!」


「っ!?」


目を覚ますと、視界にはダニエルの顔が見えた。


「ダニエルさん…」


「船、まもなく出発する。ジーナも起こしてさっさと来い。俺からは以上。」


 そう言い切るとダニエルはすぐに振り返り、そこそこの大きさの帆船に向けて歩いていった。


「…ん?」


ダニエルが振り返る瞬間、三人の人影が船に入っていったのが見えた。


「まぁいいか」


ウィレムは荷物や財布に一つの欠けも無いことを確認し、いつの間にか膝を枕にして寝ているジーナを揺すって起こすと、帆船の方に駆けていった。



 続く

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