第4話「感謝」

 「ふわああぁぁぁぁ…」


 未だ気絶状態になっているウィレムをよそに、ジーナは朝の日差しで目を覚ました。外からは鳥のさえずりが聞こえてくる。


 「…」


 隣で寝ていたはずのウィレムは、なぜか位置が上下逆になっている。これは誰がどう見てもジーナの寝相が悪すぎるだけなのだが、ジーナはそれに気づいていない様子である。

 ジーナは閉め切られていたはずの窓が何故か開いているのを見て、伸びているウィレムを踏まないように慎重に乗り越え、窓から身を乗り出した。


「一晩で嵐ガ…」


 雲ひとつ見えない青い空には太陽が燦然さんぜんと輝き、家々の屋根に溜まった水や所々に見えるクモの巣に張り付いた水滴をきらきらと光らせている。

 ジーナは今日の大事な用事を思い出し、ウィレムの肩をゆさゆさと揺らして起こそうとするが、まるで起きる気配がない。


「おい!起きロ!船行っちまうかもしれないゾ!!」

「…!」


 激しく揺さぶったり叩いたりを繰り返して、ウィレムはようやく目を覚ました。


「いつつ…」

「どうしタ?どこかぶつけたのカ?」


 首の後ろを痛々しげに抑えながら起き上がったウィレムにジーナは心配して声をかける。


「…お前、寝相悪すぎだ。お前の蹴りが首に決まってすげェ痛かったぞ…」

「マジで!?ごめんごめン!ダイジョブか!?」


…ジーナはウィレムの言葉で、ウィレムのみならず昔の仲間や親兄弟からも何度も寝相が悪いと言われてきたのを思い出した。素直に謝りつつ、ウィレムの後ろに回り込んで首を見つめるが、幸いにもアザは出来ていなかった。


「まァ、大丈夫だ。両手両足…ちゃんと動くしな。それよりも船だ。さっさと着替えてアントニオさんに会いに行くぞ。誰が船を出してくれるかわからんし、それに諸々の礼をしたい」


 ウィレムはベッドから跳ね起き、吊るしてあった衣服を手で触って確かめ、なんとか乾いていることを確認すると、ジーナのほうへ服を放り投げた。…だいだい色に紺色の縁取りというなんとも派手な上着の下には胸当て一つ、なのに丈の長いキュロットの下はくるぶしまで覆う肌着…随分とちぐはぐな格好だと思いながら、ウィレムもしわくちゃになったマントをばさばさと振り、綺麗になった服の上に羽織らせた。


「準備できたか?」

「おう!」


 問いに元気よく答えたジーナに、ウィレムは昨日手に入れたばかりの鎌に布切れを巻きつけてからジーナに手渡し、自称「偉大なる考古学者」のイサベルの手記も忘れずに懐にしまい込んだ。


「行くぞ」



 …街はあれほどの嵐が通ったにも関わらず、地面に木の葉やどこかの花壇から吹き飛んできた花が散乱しているだけで、建造物には大きな被害が出ていないようだ。

 

「あれだけ嵐があったのニ…全然だいじょうぶみたいだナ」

「多分慣れっこなんだろうぜ。見ろよあの看板を」


 ウィレムは先程出てきた宿屋の看板を指差した。


 「頑丈な金具でがっちり固定されてる。きっと他の家や店もそうだ。ただ三十年来の大嵐ってだけで、この街が今までやってきた天災の対策だけで十分だったのかもしれねェな」

 

 アントニオが走っていった方向へ進んでみると、少し遠くに馬を連れた老人が誰かと親しげに話しているのが見えた。


「アントニオさん!」

「ん?おぉおめぇらか!もうとっくに行っちまったのかと思ったぞ!しかしなんでまた?」

「あのときのお礼に参りました」


「お礼ぃ?なんじゃ気にせんでええのに!…あぁそうじゃ!こいつが昨夜話してた二人の小僧じゃ!」


 アントニオは談笑していた相手にウィレムとジーナを紹介すると、その相手も二人に軽く頭を垂れる。それでもわかるほどのかなり大柄の男で、ずっしりとした気迫を漂わせている。


「船乗りのダニエルだ。お前達がウィレムとジーナか。…友人を助けてくれたこと、感謝する。予定通り船は正午、つまり教会の鐘が今から四か…


ゴオオオオオオオオオン……


ダニエルがそう言った瞬間、少し遠くの方から大きな鐘の音が鳴り響くのが聞こえた。なんというタイミングの良さだろうか。


「…失礼、あと三回だ。駄賃はいらん。俺は時間まで船の整備をする。正午までは絶対に船を出さないからそれまでに必要なものを買っておけ。近くに雑貨屋がある。必要なものは大方揃うはずだ。何もトラブルがなければトーレには一晩をまたぐ前には着く。では失礼する」


 呼吸を挟まずにそう言い切ると、ダニエルはその場をさっさと後にしてしまった。


「…無愛想で悪いのぉ、あいつは気難しいやつでワシにしか気を許さん…これは前に言ったかの。…で、礼に来てくれたんじゃな?礼なんていらんわい」

「よそ者である俺たちを馬車に乗せてくれたばかりか、船の手配までしていただいたんです、礼をしなければ俺の気が済みません…」


 そう言ってウィレムは財布から銀貨を五枚取り出してアントニオに渡そうと手をのばすが、老人は穏やかに微笑んでその手を押し返した。


「おまえさん達はゴロツキ共を追い払い、ワシとヘルナンデス、それに大切な作物を守ってくれたじゃろ?その恩をほんの少し上乗せして返しただけじゃ。

 …上乗せした分だけ、おまえさん達の前に感謝すべき者が現れた時、同じように上乗せして恩を返す、そうしてくれればそれで良い。

 そうすればきっと向こうも別の奴にそうするじゃろ?感謝の念は神様がワシら人間だけに設けてくれた尊いものじゃ。…長年生きてきて思う、平和はそうしなければ生まれないのじゃよ…」


「アントニオさん…」

「…すごく、素敵な考えだナ」


「…っと!悪い悪い!話が長くなっちまったわい!年寄りらしくはなるまい、なるまいと思ってたのに、あかんな!行け若者よ!おまえさん達の時間はワシみたいなジジイにかまってるほど安くはあらへんぞ!」


「ウィレム行くゾ!」

「おい!待てって…!」


 ウィレムを後ろにして走り出したジーナに追いつこうと、財布に銀貨を突っ込んで同じように走り出した。


……

「あの二人、いいのぉ。まるで夫婦のようじゃ」


一人残されたアントニオは、遠ざかっていくウィレムとジーナを見て、ぽつりとつぶやき、馬は呆れたようにため息を吐いた。



続く





 

 



 

 

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