第2話「イスパニア王国」
昼下がり、広大な小麦畑に挟まれた一本の細長い道を、荷台を満杯にした馬車が通り過ぎる。
「ふぅ…ふぅ…、全く暑くてしゃーないわ…」
とめどなく滴り落ちる額の汗を拭い去りながら、手綱を引く老人はそうぼやいた。
(…今は真夏…なのに雲ひとつあらへんちゅーことは…じきに嵐が来るのう…)
大気の微妙な変化から嵐の予感を感じ取りながら、老人はぴしゃりと馬を打ってより早く走らせる。
ガッ!!
「ヒヒィン!!」
「どわあっ!」
…が、馬が突然何かにつまづき、馬も馬車も、そして老人も一瞬でひっくり返り、積まれた作物はあたり一面に広がった。
「いっつつ……このおっちょこちょいめ!気をつけて走らんかい!!足が折れてしもーたらどうすんじゃこのバカモーン!!!」
老人に大した怪我は無かったようで、すっくと立つとすぐに立ち上がろうとする馬を叱りつける。
「ぶるる…」
馬も大した怪我が無かったようで、少しだけふらつきはしたが何事も無く立ち上がり、主人の叱責に落ち込んだようだった。
「…無事なら別に構わんわい…さて…」
老人は帽子をかぶり直しながら、荷台の方に目線を移した。…辺りにどっさりと作物の束が散らばっている。こんな事もあろうかと数十本を一つの束にまとめてあったおかげか、見た目ほど片付けに時間はかかりそうになかった。
………
「ふぅ・・・あともう少しか・・・お前もしっかり片付けんか!」
こぼれた作物の束を肩に担ぎながら、サボっていた馬をもう一度叱りつける。
「おいじーさん」
「ん…?」
老人は突然話しかけられるまで、後ろに迫っている怪しい影に気づかなかった。
「な…なんじゃ…!?」
そこに立っていたのは屈強な体格をした大男に、まるでネズミのような小男だった。
鼻が尖り、灰色がかった肌・・・これは「ゴブリン」と呼ばれる種族の特徴そのものだ。
「ひひひひひっ…」
「お前が運んでるソレ…黄金麦だろぉ? 命が惜しけりゃあそいつを置いていきな」
「高く売れるんだよなぁそれぇ…」
いかにも悪役といった風体の二人は、頭上に登る陽光でぎらりと光るナイフを握りしめながら、じりじりと老人ににじり寄っていく。
「・・・誰が渡すもんかい!!小汚ぇゴロツキの乞食共にはわからんじゃろ!種からほとんど一年かけてようやく収穫できたこの子達の価値を!!そしてここまで育てたワシら百姓の苦労を!!」
「くっ…てめぇ死にてぇのか…?」
一歩も譲らぬどころか臆せずにならず者二人組に勢いよく食ってかかるこの老人、流石である。
「暴力でしか解決できへんのか!!これまでそうしてずっと生きてきたんか!?おのれみたいな小悪党なんかにワシは殺されんぞ!!」
「う…うるせぇぇぇぇ!!!」
大男が逆上し、ナイフを大きく振りかぶる。老人はもはやここまでと歯を食いしばらせた。
「老人に何やってんだ?」
男の更に後ろから何者かの声が届き、老人はおっかなびっくりでバッと目を見開くと、視界にナイフを天高く掲げたまま動きを止めたゴロツキの姿が入ってきた。
「ぐっ…ぐぅ…何だテメェは…!?」
「あにきっ!?なんだこの小僧っ!?」
手首を掴まれ、身動きが取れなくなった大男を助けようと、小さい方も懐からナイフを取り出そうとした瞬間…
「せいっ!!」
ドッ!!
「ぐえっ…!」
少女が勢いよく突き出した肘が小男の後頭部に決まり、何か働きを見せる前に地に倒れ伏してしまった。
「な…なんなんじゃいったい…?」
老人は腰を抜かしたまま、後ろからナイフを握った腕を掴んでいる者と、小柄な方をどつき倒した者を何度も見つめ直す。
「老人に手を出すなよなァ」
「お前には恨みは無いけど…悪いナ…やっぱり人が殺されるのを目にするト…」
「せっかくの旅が台無しになっちまうんダ」
・・・なんじゃ・・・こいつら・・・!?二人・・・それも子供やんけ・・!・・・金色の目をしたやつに紫色の髪と目の娘・・・こんな奴らは見たことが無い・・・!いや、それよりも一人は一撃で敵を昏倒させ、もうひとりの方はあの大男の動きを止めとる・・・!
その異常事態に、老人も困惑と驚愕の表情を隠せずにいた。
「ぐぅぅ…このガキ……!なんて力してやがる……」
「ふん・・・これでも相当鍛えてる・・・からなァ!!」
男の背中に組み付いていた少年は、背中を思い切り蹴り飛ばし、その反動で大男を地面に叩きつけた。
「ぐっ…痛ぇよおお…」
あおむけになったまま痛みに苦しむ男に、少年はゆっくりと近づき、膝をついて男の顔を覗き込んだ。
「悪いことは言わねェ、そこのちっこいのを連れてさっさと消えろ。これ以上やるってんなら…」
「追い剥ぎを働く悪い手とさよならさせてやるぜ」
少年の金色の瞳は妖しく輝き、男を一層怯え上がらせる。
「わかったッ!わかったッて!」
男はすっかり怯えきってしまい、子分の小さい男を担ぎながら逃げるようにその場を後にしていった。
「ふぅ…」
「な…なんなんじゃお前さんたちは…」
少女の手を借りてよろよろと立ち上がりながら、老人は当然の疑問を投げかけた。
「なァに、大したものじゃありませんよ。ただの旅人です」
「旅人…?子供二人で…?」
「細かいことはいいじゃないですカ!悪いやつもいなくなったシ!」
少女は弾けるような笑顔で老人に笑いかけた。
「まぁ…そうかの…とにかく…助けてくれた事…感謝するわ…ありがとな…」
「礼には及びませんよ。いくら赤の他人とはいえ、理不尽に命を奪われるのを見過ごすのはちょっと嫌なのでね…あぁ、そうだ」
少年は緑がかった黒髪をかきあげながら、馬車に目線を移した。
「…もし王都トーレまでその馬車に乗せていってくれるなら…すごくすご〜く助かるんですよねェ」
「…なに?トーレじゃと?」
「ええ、イスパニア王国の首都、トーレに用がありましてね」
怪訝な顔をした老人に少年はそう返すが、その老人はどういうことか?と言わんばかりに口をぽかんと開けている。
「…確かにここはトーレじゃが…トーレからは随分離れた地じゃ、ここから陸路でトーレまで行くとなると3日はかかるぞ?」
「え?」
懐から出した地図を老人に見せてみると、老人は節くれだった指で国土の中央にあるトーレとは遥か南西にかけ離れた地を指さした。
「…あなたはどちらに行かれるのです?」
「ワシは近くの港町にこの麦を卸しに行く。トーレまでは行ってやれんが、港町なら船があるからのぅ、ダチの船主に話しておいてやるが、どうする?」
二人は顔を合わせ、少し話してから農夫の誘いに乗ろうと頷きあった。
「じゃ、お願いしまス!」
「ご厚意感謝します。…俺はウィレム、こいつはジーナといいます」
「ワシはアントニオじゃ。…さて、じきに嵐が来るからの、急がにゃならん。狭くて悪いが荷台の方に頼むわい」
馬も相当賢いようで、散らばった作物をいつの間にか荷台に収めていた。
(・・・こいつは・・・馬か?この世界の馬はこれほどまで賢いのか・・・?)
「ん、こいつが気になるようじゃな」
老人はウィレムが馬を興味深げに見つめていたのを見て、帽子についた砂を払いながらそう言った。
「こいつはヘルナンデスという名でな・・他の馬よりもずっとずっと賢いんじゃ。ちょっとおっちょこちょいだがの・・・」
「へ・・・へぇ・・・」
ウィレムは馬から視線を離さぬまま、ジーナにぐっと担ぎ上げられて馬車の高い荷台に乗り込んだ。
「…よし、行くかの…トォッ!」
両人が馬車に乗り込んだのを見ると、アントニオは馬の手綱をぐっと引っ張ると、一行を乗せた馬車は勢いよく走り出した。
続く
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